第二十八章 決意
ちはやの家にいるからだろうか。
いろんなことを思い出す。
「ねえ、瑚太朗。……瑚太朗は間違わないでくださいね」
「何を?」
「自分の信じた道を。瑚太朗は優しいから……。きっと間違うと思うんです」
「……? どういう意味だ?」
「うーん、うまく言えないんですけど。……うーん。だめですね。私バカだから、言葉がうまく見つからない」
「ちはや」
抱き寄せる。
窓の外には雪がちらほらと降っていた。
「難しく考える必要ないって。ほら、俺だってバカだし。二人で考えればいいんだ」
「そう……かな。……ううん。きっと瑚太朗は違う。違うんです」
「違うって、何が?」
「瑚太朗はきっと、一人で考えて、答えを見つけることが出来る人なんです。私と違って」
「ちはやだって、強いだろ」
「私にはほら、咲夜がいるし」
「俺は?」
「あはは。そうですね、瑚太朗もいる」
「も?」
「拗ねないでください。……あのですね。私が言っているのは、瑚太朗は自分で道を見つけて、選ぶことの出来る人だという意味です。それって誰にでも出来ることじゃないから」
「そんなことないだろ」
「本当ですよ。私は瑚太朗がいたからこの道を選べた。生きる道っていうのは、結果なんです。みんな選んで進めるものじゃない。選んだように見えるだけ。だけど瑚太朗は違うんです。きっと定められた道であっても、自分の意志で切り開いて進むことが出来る」
「……そりゃ褒めすぎだよ」
「本当のことなのに。だけど……不安なんです」
「何が?」
「瑚太朗は優しいから。きっと優しさが裏返しになってしまうんじゃないかって。それに気づいてしまったら、…………」
「ちはや……。余計な心配しすぎだよ」
「そう……ですね。あはは。何言ってるんですかね私。もうお母さんになるのに」
「そうだよ。……あ! 名前、まだ考えてなかった」
「もう。早く考えてくださいね、お父さん」
水道の水が冷たい。
普通に蛇口から出ている水だが、今まで冷たいことなどなかった。
試しにお湯が出るか試してみる。……普通に出る。ちはやの家は確かプロパンガスだった。どこも異常はない。
もう一度水を出した。
……冷たい。
どういうことなのかと思っていると、洗面所から庭へ通じる扉に備えつけの窓の外から、ちらほらと降るものを見た。
「雪……?!」
規定異常。
アウロラが減少したことが原因だ。この世界は篝の主観と想定が現象化されている。以前起きた雨と雲も、おそらくアウロラの減少で篝の力が乱れ、規定を崩したのだろう。
ちはやが現れたことでまた虚数密度が増えた。……そういうことなのか。
「篝……!」
急いで戻らないと。
きっとまた心身喪失状態か、少なくとも何らかの負担が生じているはず。
とりあえず用意したものを手に取り、二階へと急いで上がった。
部屋に入ると。
篝は窓の外をジッと見つめていた。
「篝、大丈夫なのか?!」
駆け寄って近づく。篝の身体をこちらに向けさせて顔を覗きこむと。
どこも異常はなく、むしろ瑚太朗を見つめてきょとんとしていた。
「篝……?」
目を瞬かせている。
何を慌てているの、とでも言いたそうな顔をしていた。
「どこも……異常はないのか?」
「…?」
「もしかして……この雪は篝が?」
首を振る。
そして窓の外を再び見つめ、不思議そうに首を傾げていた。
まるでどうして雪が降るのか、図りかねている……そんな様子だった。
(篝がやったわけじゃない……)
だが。
この天候異常は明らかに篝の力の影響だ。何らかの異常をきたしている。おそらく篝自身、それが異常なのかどうかも感知できていないのだろう。
生命と対を成すエネルギー。
それが同じ世界でどう並存しているのか謎だったが、先ほどのちはやとの会話でようやくわかった。
事象密度。
それが因果収束により飛躍的に高まった。おそらく高密度な次元間干渉が自分を中心にこの世界を侵している。
いわばフィルターのような役目。空間断層の継ぎ目だ。
つまり。
(俺が消えてしまうと……)
すさまじい熱量が発生し、大爆発。――全てが虚数領域に飲み込まれて無に帰す。
もはや死ぬことも許されなくなった。
この世界だけの話ではない。宇宙そのもの……どこまで大銀河団があるのか想像もできないが、それら一切を飲み込んでしまうほどの熱エントロピーが発生する。
もしかすると。
それがもう一人の自分――実存意識とでも呼ぶべき存在の、本当の狙いなのかも。
(どうすればいい……)
考えるのも放棄したくなる。
いっそ。
このまま篝と二人、この世界で永遠に蜜月を過ごすべきなのか。
それしかないような気がしてきた。
ここにいれば死ぬことはないわけで……。
(ダメだ……)
それじゃ何の解決にもならない。
このままの状態でいいわけがない。篝が理論を完成しなければ生命の辿る道を切り開けない。
せめてそれまでは……。
「……篝」
彼女の肩に手を触れ、引き寄せた。
少し身体が冷えている。雪の影響なのか。そういえば雨が降ったときも泣いていた。
「大丈夫だ。俺が……」
もうどんな言い訳も通用しないほど罪深い己を誤魔化すかのように。
篝の髪に顔を埋めながら囁いた。
「俺がいる限り、君を死なせやしない」
瑚太朗は静かに泣いていた。
泣いている自分すら自覚できずに――。
「篝」
篝の身体を拭きながら、瑚太朗は覚悟を決めたかのように彼女の顔を見つめて言った。
やるしかないだろう。
今の自分ならば篝に死でも訪れない限り、もう感情は揺り動かされない。
たとえオカ研メンバーが全て消滅しても……。
(いや……)
やつらに殺されるくらいなら、自分の手で。
おそらくもう現れることはないかもしれない。言いたいことはほとんど言ったはずだ。だが。
また利用などされたくはない。
これは宣戦布告になる。やつらに敵対意志はない。だけど篝の殺害が目的ならば敵としてみなすしかない。
なのになぜ……。
(ちはやの姿を借りてまで、篝の回復手段を教えた?)
いま篝を殺してしまうと。
この世界に満ちている生命エネルギーを完全消滅させることが出来なくなる。
篝にアウロラをすべて集約させてから殺すつもりか。
だから、回復させようと……。
(汚い)
さすがもう一人の自分だ。やることがえげつない。
そっちがその気なら。
それを逆手に取るまでだ。
「悪いけど、用事が出来たんだ。必ず戻ってくるから少し待っててくれないか?」
「……」
「大丈夫、すぐ戻ってくる。帰ったら再開する。第……何ラウンドになるかな。いや、君の体力が続く限りやるよ。そうしなければいけなくなった。あとさ、もう神経系パルス切ったりしないから」
「……」
「……うん。ごめん。ビビってた。自分が信じられなくて。もうそんなことないから。……篝。ちゃんと回復させてやる。君の研究、完成させないとな」
篝は不安そうな顔で瑚太朗を見上げていたが、最後の言葉を聞いて。
頷いて、瑚太朗の頬に唇を寄せた。
初めての篝からのキス。
頬だったけれど。
だけど。
「……ありがとう」
嬉しかった。
たぶん、彼女に深い意味なんてない。愛情とかそういうものがないのもわかっている。
だけど励ましてくれている。
それだけは伝わってきた。
瑚太朗は、篝のリボンをひとつ手に取った。
「これ、ちょっとだけ借りてもいいか?」
後でちゃんと返すよ、と言うと篝は少し躊躇ったがリボンの一部を切り離して瑚太朗に渡した。
このリボンには篝の力と生命そのものの本質が含まれている。
彼女たちのために必要なものだった。
もう一度だけ篝にキスをして、それから。
「君を守る」
固い決意をこめて言った。
森に行った。
もしまだやつらの手が及んでいないのなら……必ずこの辺に……。
「……よかった」
小鳥の命の気配。
小さな木彫りの人形結界。微かにだが彼女の命の波動のようなものを感じとれた。
今思うと。
小鳥があの世界で黄金鳥を使って自分にあの鍵を託したのは――きっと。
「俺に会いたかったから……とか、自惚れてもいいのかな」
人形を手に取る。
話しかけても意味はないが、それでも感謝したかった。
最後に篝に会うことが出来たのは小鳥のおかげだから。
「おまえのこと、今までずっと、ちゃんと考えてやれなくてごめんな」
記憶を取り戻した今。
小鳥が自分の両親を魔物化し、ペロを魔物化し、たくさんの命を奪ってまで生き延びようとしたこともわかっている。
だけど小鳥は鍵に殺されかけて瀕死だった自分を助けてくれた。
あんなに酷いことばかり言って、ちっとも優しくなかったのに。
「きっと……おまえは……寂しかったんだな。……ずっと一人ぼっちで」
今の自分と同じだった。
だからわかる。
小鳥の心の闇も、抱えていた痛みも。
だけど彼女の勇気が、自分を奮い立たせてくれた。
「ありがとう。感謝しても足りないけど、せめて最後にひとつ言わせてくれ。……おまえのこと好きだったよ。ほんとだ。振られちゃったけどさ。ほんとに好きだったんだ。だから」
篝のリボンを近づける。
これで小鳥は消えてしまう。だが、篝の中で生き続ける。ひとつになって。
「おまえの命、無駄にはしない」
小鳥の命の欠片は。
虹色に輝いて、リボンの中に吸い込まれていった。
それを寂しげに見送って、涙を振り払う。
「さて。……あと二人か」
胸が痛む。
だけど耐えないと。これは決別じゃない。決意表明なのだから。
「行こう」
自分に語りかけるように呟いた。
静流を探して街中を探索する。
だが彼女らしき気配はどこにも感じられなかった。
目を瞑って集中する。……ダメだ。どこにもいない。
「おまえのこと……助けてやれなかったか……」
もっと早く気がついていれば。
過ぎたことを悔やんでも仕方ないけれど。
せめて。
思い出だけでも浸りたい。
自分の家に行った。
篝に殺されるたびに何度もこの家で目覚めた。自分自身の収束地点。それがなぜこの家なのか不思議だったけれど。
「結局……一番安らいだ場所だったってことかな」
あまりいい思い出はない。
両親と気まずく過ごした日々。荒れていた中学時代。すべてがどうでもよかった頃。
あの頃の自分は何も見えていないバカだったけど。
たったひとつだけ大事なことをしていた。
篝を、見つけた。
「それもたぶん……俺に因果をつけるためだろうけど」
あのとき森で魔物狩りなんてバカなことをしていなければ、発芽状態の篝を見つけることはなかった。
そもそもあの時からすべてが始まっていた。
「運命なんて、……信じちゃいないけど」
たとえすべてが予定調和の出来事だろうと。
篝を見つけてすべてが始まったことを、後悔などしていない。
むしろここにいる自分を誇りにすら思う。
そして。
「静流と過ごした日々も……きっと」
この家で。
監視という役目だったけれど、静流と過ごせるかと思うだけで嬉しかった。
浮かれて、調子に乗ってた。
その日々がなければ、こんなにもこの家を愛おしく思えたりしなかった。
「静流……」
申し訳なく思う。
この世界で、きっと自分が放出した虚数波動に飲み込まれ、彼女の微かな命を崩壊させてしまった。
それほど静流の命は弱々しかった。
それは……。
彼女が自分のために、持てる限りの命を捨てて守ってくれていたから。
ガーディアン最強と謳われた彼女を、一人の女性として愛してしまったから、静流をこんな存在にしてしまった。
だけど――きっと。
「それでもおまえは笑って赦してくれるような気がするよ」
静流はとても優しいから。
せめて……。
「贈り物だけでも、させてくれ」
篝のリボンから、アウロラを霧状に放出させた。
虹色の光が家中を取り巻き、そして家全体を包み込んだ。
これでこの家はもう、何があっても崩壊したりしないだろう。
静流との思い出も守られる。
「……っ」
堪えていた涙がまた溢れる。
「ダメだろ……こんなんじゃ」
感情はもう抑えないと。
まだ無意識領域は開放していないが、何かあってからでは遅い。
もう二度と……篝を失わないためにも。
「静流。……見守っててくれ」
振り返ることなく、自分の家を立ち去った。
ルチアの手袋。
ショッピングモールに行くと、足元にいつの間にか落ちていた。
どこから落ちてきたのだろう?
見上げてみたが、ルチアらしき気配は感じられなかった。
「かくれんぼのつもりか?」
前に来たときは、命というよりも概念として存在していた。
きっとタダでは会えない気がして、つい後回しにしてしまった。……厄介な女だった。だけど。
「おまえのそういうところに惹かれたんだよな、俺は」
もっとも、それに気づいたのはだいぶ後だったが。
ほとんど手遅れの状態で気づいてしまった。
鈍かった。本当に。今さらながら自分が憎い。
だけど……。
「同じ過ちを篝にしなくても済んだのは、おまえのおかげだしな」
反面教師といったら悪いけど。
素直になれないルチアと、素直どころか認めることすら出来なかった自分。
最悪の相性の二人。
これで破綻がないほうがどうかしている。
その経験がなければ。
篝を振り向かせることなど出来なかった。
人間ですらなく、高次元の生命体である彼女に、関心すら持たれなかっただろう。
だから感謝している。
もう同じ言葉を彼女に向かって言うことはできないが。
せめて応援でもしてくれないか。
「降りておいで」
手を差し伸ばした。
すると――。
ひらひらと、舞うように、彼女の髪を結んでいたリボンが落ちてきた。
手に取ってみる。
間違いなく彼女の命だった。
素直に言えばこんなに簡単に手に取ることが出来る。
そう。
ルチアとは、そういう可愛い人だった。
「……ありがとな。おまえのこと忘れたりしない。無駄になんて絶対にしない。なあ、そうだろ?」
地球を守る委員長だもんな。
せめて。
世界を――この宇宙を。
守れるよう、見守っててくれ。
「さよなら……」
篝のリボンに吸い込まれていくルチアの命を。
瑚太朗は静かに、笑みすら湛えて、見送っていた。
雪はまだ降っていた。
篝の異常は収まっていない。
「いま行くからな」
降りしきる雪の中。
瑚太朗の足音だけが静かに鳴り響き、世界を白く染めていた。
to be continued……
これからが本番です。頑張ります。
長かった……。
いやほんとに、この先がもっとも難しい部分です。最終章的な。
ちゃんと書けるのだろうか。(不安)
もしかすると、推敲に推敲をかけるので、次回は遅くなるかもしれません。
どうか気長にお待ち頂けると嬉しいです。