水の匂いの正体
根古親司は、翌日もう一度、イエンガー・ムハンマドの店を訪れた。ランチの客が引けた後の店内は静かで、カレーの匂いだけが残っていた。
「イエンガー、前から聞きたかったんだが、お前の“匂い”ってのは、一体どういう仕組みなんだ」
イエンガーは笑いながら、水を一杯差し出した。
「ネゴさん、種を明かすと、つまらなくなりますよ」
「つまらなくてもいい。今回は付き合いが長いんだから、教えてくれ」
イエンガーは少し考えてから、静かに話し始めた。
「まず一つ。私の店には、いろんな人が来ます。刑事さんも、探偵さんも、坂東さんみたいな学者さんも、村田さんみたいな占い師さんも。皆、私の前では少し、気が抜けるみたいです。カレー屋の主人に、隠し事をする必要はない、と思うんでしょうね」
「つまり――お前は、みんなの会話の“断片”を集めてるだけなのか」
「半分はそうです。もう半分は……本当に、天気の変化を感じるんです。私の故郷は、モンスーンの土地でした。雨の匂い、湿気の重さ、風の向き。小さい頃から、身体で覚えているんです」
根古は納得したように頷いた。超自然的な力ではなく、鋭い観察力と、身体に刻まれた気候の記憶――それがイエンガーの「予知」の正体だった。
「じゃあ、今回の“水の匂い”は」
「これは、両方です。会話の断片からは、まだ何かが“地面の下”にあるらしいという話が聞こえてきました。そして身体は、近いうちに大きな雨が来ると言っています。二つが重なると、私は“嫌な予感”としか言えないんです」
その言葉を聞いて、根古はすぐに小此木永周に電話をかけた。地質学者の返事は、根古の予感を裏付けるものだった。
「根古さん、実はまだ報告していなかったんですが、三柱鳥居の下の空洞、もう一段深い場所に、もう一つの反応があります。今の時期に大雨が来ると、地盤が緩んで危険です」
「もう一つの反応……木箱以外に、まだ何かあるのか」
「可能性はあります。今度こそ、慎重に調べないと」
その頃、山田貴明はまだ現場付近を一人でうろついていた。天気予報を確認せず、雨雲が近づいていることにも気づかずに。
太田豊の茶店「ラクカ」に飛び込んできたのは、坂東直樹だった。
「太田さん、山田さんを見ませんでしたか。あの人、まだ祠の近くにいるかもしれない」
「え、こんな天気の時に?」
窓の外では、既に大粒の雨が降り始めていた。太田と坂東は顔を見合わせ、すぐに江戸川たちへ連絡を入れた。
「安藤さん、山田さんがまだ現場にいるかもしれません。地盤が緩む危険があるそうです」
電話を受けた安藤は、江戸川に向かって叫んだ。
「先生、行きましょう! あの記者さん、洒落にならないことになってるかもしれません」
雨は次第に強くなり、三柱鳥居のあたりの空気は、イエンガーの言った「水の匂い」そのものになっていた。




