温泉の予知
可児から少し離れた山あいの温泉には、いつも顔を出す常連たちがいた。カレー店主のイエンガー・ムハンマドは、湯につかりながら目を細めていた。
「ネゴさん、今度のは、前よりちょっと嫌な匂いですね」
根古親司は苦笑した。
「お前の“匂い”は、当たると厄介なんだよな。今度は何だ」
「分からない。でも……水の匂いがする。川か、それとも雨か」
その言葉を聞いて、根古の脳裏に第四話の「雨と暗号」の記憶が浮かんだ。あの時も雨が絡んでいた。
同じ頃、関西の占い師でYouTuberのフェルナンド・村田が、可児近郊の茶店「ラクカ」に姿を見せていた。マスターの太田豊が驚いた顔をする。
「村田さん、こんな遠くまで、珍しいですね」
「いやね、太田さん。ここ最近、視聴者のコメントで“可児”という地名がやたら出るんですよ。何かあったんですか?」
太田は曖昧に笑って誤魔化した。地元の人間は、既にこの一件について、話さないという不文律のようなものを共有していた。
一方、ジャーナリスト山田貴明は、多治見署長の小倉裕司に取材を申し込んでいたが、当然のように断られていた。
「山田さん、悪いが、公式にお話しできることは何もない」
「小倉さん、これだけは教えてください。イスラエル大使館の関係者が動いていたのは事実ですか」
小倉は一瞬だけ表情を変えたが、すぐに元に戻した。
「取材は受け付けていません。それだけです」
山田は追及を諦めなかった。彼は次に、私立探偵の江戸川勉に接触を試みる。江戸川の助手・安藤修が、事務所の電話を取った。
「もしもし……ジャーナリストの山田さんですか。江戸川は今、取材には応じられません」
「いえ、取材というより……あなた方が現場で撮っていたドローンの映像、少し見せていただけませんか。お礼はします」
安藤は電話を切ってから、江戸川に向かって首を振った。
「まずいですね、先生。あの映像、変な方向に流れたら」
江戸川は椅子に深く座り直し、腕を組んだ。
「安藤、俺たちの仕事は“見る”ことだ。誰に見せるかは、俺たちが決める」
その夜、可児署の会議室で雨月雅之は、平圭からの報告を受けていた。
「雨月さん、山田って記者、あちこち聞き回ってるみたいです。あと、気になる情報がもう一つ」
「何だ」
「木嶋神社系の資料室に、また外国人が来たそうです。今度はイスラエル大使館の別の人――ジェイコブ・ラファエルとアンナ・レヴィが、普通の観光客のふりをして」
雨月は溜息をついた。
「収まった話じゃなかったのか、あれは」
「収まったのは“表向き”だけかもしれません」
窓の外では、いつの間にか小雨が降り始めていた。イエンガーの言った「水の匂い」が、根古の頭の中で、また静かに響いていた。




