「当主の記」
根古たちは、蔵から掘り出した木箱一式を、正式な手続きを経て、西野の教会に運び込んだ。
財産の存在は、雨月を通じて、市の文化財担当と、税務署にも報告された。金塊や美術品の扱いについては、今後、法的な手続きが必要になるという。
根古が最も気にかけていたのは、ノートの中身だった。
教会の一室で、根古、由紀子、西野、そして清一が同席し、ノートを開いた。
達筆な筆で綴られたそれは、木下家の当主??根古の曽祖父にあたる人物の、私的な日記のようなものだった。日付は、昭和二十年から二十五年にかけてのものだった。
根古は、一ページずつ、慎重に読み進めた。
――昭和二十年八月、終戦。 ――軍からの預かり物を、いかに扱うべきか、思案している。
「軍からの預かり物?」根古は呟いた。
さらに読み進めると、当主が、戦時中、地元の軍関係者から、ある「物資」を預かっていたことが記されていた。
――物資は、金塊のみにあらず。書類の類も含まれる。 ――これらは、戦後、決して表に出してはならぬものである。
「書類?」由紀子が身を乗り出した。
根古は、ノートの中盤あたりで、手を止めた。
――安藤家の当主より、申し出あり。
――軍からの預かり物のうち、一部を、安藤家に譲る取り決めをした。
――理由は、安藤家が、当時、ある機密??大陸方面での、軍と現地勢力との取引記録を、握っていたためである。
――我が家の平穏を守るため、やむを得ず応じた。
「これが、安藤浩一の言う『取り決め』か」根古は言った。
「戦時中の、機密文書か何かを巡る話のようですね」由紀子は言った。
根古は、さらにページをめくった。
――しかし、安藤家の当主は、その機密を、後にソ連側に売り渡したと聞く。
――これにより、我が家との取り決めも、無効とすべきと考える。
――安藤家が渡した機密文書とは、大陸における、我が国の軍関係者の不正行為??現地での財産の不正な収奪に関する記録であったという。
「安藤家は、二重に動いていたのか」根古は言った。
「木下家から取り決めで財産を得ながら、その原因となった機密を、ソ連にも売った」 「戦後の混乱期、あちこちで、似たような裏切りがあったのかもしれません」由紀子は言った。
根古は、ノートの最後のページに近づいた。
――清一へ ――もし、お前がこの記録を読む日が来たなら、伝えておきたいことがある。
――我が家と安藤家の因縁は、根深い。この財産を巡る取り決めは、儂の代で終わらせるつもりであった。
――だが、安藤家の裏切りにより、それは叶わなかった。
――お前には、この財産を、正しく使ってほしい。安藤家に渡すべき道理は、もはやない。
清一は、そのページを見つめ、静かに涙を流した。 「父は、最後まで、儂のことを考えていたんだな」清一は呟いた。
「では」由紀子が言った。「安藤浩一が主張する『正当な権利』というのは……」 「根拠がない」根古は言った。
「安藤家が、自ら取り決めを反故にしたんだ。今さら、権利を主張する道理はない」
根古は、ノートを閉じた。
「これを、浩一に見せる必要がある」根古は言った。
「もし、それでも力ずくで奪おうとするなら、こちらにも、正当な根拠がある」
西野が、静かに口を開いた。 「それにしても」西野は言った。
「木下家と安藤家の因縁は、義雄の代よりも、さらに前??当主同士の取り決めから、始まっていたということか」 「そうらしい」根古は言った。
「七十年前の因縁が、今も、こうして形を変えて続いている」
由紀子が、根古を見た。 「安藤浩一に、会いに行きますか」 「行こう」根古は言った。
「ただし、今度は、こちらから条件を出す番だ」
根古は、ノートと、財産の一覧を記した書類を、鞄にまとめた。
窓の外には、冬の澄んだ空が広がっていた。




