「西野薫、牧師の視点」
木曽川沿いの小さな教会に、その日も静かな午後の光が差し込んでいた。
西野薫は、机の上に広げた一枚の紙を見つめていた。松平秀麿から借りた、大垣の樋口家にある三柱鳥居の見取り図の写しだった。
三方向から中央を拝む、あの奇妙な形の鳥居。松平は先日、こんなことを言っていた。
「西野さん、あの鳥居の三本の柱がそれぞれ指す方角を延長すると、興味深いことが分かるんですよ。一つは伊勢、もう一つは富士山……そしてもう一つが、どこを指すか分かるまで、随分時間がかかりましてね」
薫は、その「もう一つ」の話を聞いたとき、思わず息を呑んだ。
三本目の線が示す先??それは、位山の祠でも、八百津の記念館でもなかった。
地図上でその延長線をたどると、行き着く先は、遥か遠く、地中海の東岸。エルサレムだった。
薫は、聖書を開いた。詩篇百三十七篇の言葉が目に入る。
「エルサレムよ、もしわれ汝を忘れなば、わが右の手にその巧みを忘れしめよ」
バビロン捕囚の民が、故郷を想って詠んだ歌。
薫はキリスト者として、エルサレムという地名に、単なる地理を超えた重みを感じずにはいられなかった。それは信仰の原点であり、約束の地であり、そして今なお、多くの人々の魂を引きつけてやまない場所だ。
「偶然だろうか」薫は、独り言のように呟いた。
古い鳥居の設計に、そこまで精密な天文学的・地理的計算が込められていたとは考えにくい。おそらくは、後世の誰かが、あるいは伝承を語り継ぐ過程で、都合よく解釈を重ねていった結果なのだろう。
松平自身も、半信半疑の様子だった。
しかし薫は、その「偶然」あるいは「後付けの物語」そのものに、むしろ深い意味を感じていた。
なぜ人は、こうまでして、遠い異国の聖地との繋がりを見出したがるのか。
薫は、これまで見聞きしてきたいくつもの逸話を思い返した。杉原千畝の記念館、位山の祠にまつわる噂、そして今、この三柱鳥居の第三の地点。
どれもが、日本という島国と、ユダヤという民族・信仰の間に、何か目に見えない絆を求める心の表れのように思えた。
「それはきっと」薫は、聖書を閉じながら考えた。
「孤独な魂が、自分たちの物語を、もっと大きな物語の一部だと信じたいという願いなのだろう」
キリスト教もまた、旧約の民の物語を継承し、自らをその大きな救済史の続きとして位置づけてきた宗教だ。薫自身、この日本という遠い異郷で牧師として生きる中で、常にエルサレムという原点との、目に見えない糸を感じ続けてきた。
だとすれば、樋口家の鳥居が指すという「第三の地点」の真偽など、実はさほど重要ではないのかもしれない。大切なのは、人々がその話に何を託そうとしているか、ということだ。
その晩、根古親司がふらりと教会を訪れた。ヤマトを抱いたまま、いつもの飄々とした様子だった。
「西野さん、松平さんから鳴らしの図面、借りたそうだね」
「ええ。……不思議な話ですね、三本目の柱が指す先が、エルサレムだなんて」
根古は少し笑い、ベンチに腰を下ろした。
「儂は、そういう話の真偽には興味がない。ただ……」
「ただ?」
「そういう話を、誰かが、なぜ今、語り出したのか。そっちの方が、儂には興味深い」
薫は、根古の言葉に、静かに頷いた。牧師としての自分と、この老人の視点は、どこか似ているのかもしれないと感じた。
真実そのものより、真実を求める人の心の動きにこそ、意味がある。
「西野さん」根古が、ヤマトを撫でながら続けた。
「あんたなら、こう考えないか。三本目の柱が、本当にエルサレムを指しているかどうかより……この町の人間が、遠い異国の民の恩義や信仰と、こうして繋がろうとしていること自体が、もう一つの『祈り』なんじゃないかと」
薫は、しばらく黙り込んだ後、静かに微笑んだ。
「……その通りかもしれません。真実を確かめることよりも、繋がりを信じようとする心そのものが、尊いのかもしれませんね」
窓の外、木曽川の水音が、いつまでも静かに続いていた。
三柱鳥居が本当にエルサレムを指しているのか、それとも人々の願いが後から意味を与えただけなのか??その答えは、誰にも分からないままだった。
だが薫にとって、それはもはや、さほど重要な問いではなくなっていた。
その夜、薫は日記にこう記した。
「樋口の鳥居が指すという第三の地点は、あるいは科学的には偶然の産物に過ぎないのかもしれない。
しかし、人がそこに意味を見出し、遠い地との絆を信じようとする心そのものは、決して偶然ではない。それは、孤独な魂が、より大きな物語との繋がりを求める、




