「藤原茜」
柊澪と藤原茜が知り合ったのは、可児の図書館でのアルバイトがきっかけだった。
澪は二十一歳、地元の大学に通う学生で、茜はその一つ下、二十歳になったばかりだった。
あの記念館の騒動があった週、二人は閉館作業をしながら、その話題で持ちきりだった。
「ねえ、聞いた? 八百津の記念館、なんか変な事件があったらしいよ」
澪が本を棚に戻しながら言うと、茜は返却カウンターの整理をする手を止めた。
「うん、鳴海さんの動画で見た。暗号がどうとか」
「鳴海美佑? あの人の動画、たまに大げさすぎない?」
「でも、今回はマジで警察も動いてたって、うちの母親が言ってた。近所の人が、記念館の職員と知り合いらしくて」
茜の母親は、地元の情報網に妙に強い人だった。
噂話の出所を辿ると、たいてい茜の母親のところに行き着く、と澪は前から思っていた。
「怖くない? 侵入者がいたって話でしょ」
「うーん……」茜は少し考え込むように、カウンターの上のペンを弄んだ。
「でも、なんか、悪いことが起きた感じじゃない気がするんだよね」
「何それ、勘?」
「勘っていうか……」
茜は言葉を濁した。実を言うと、茜の祖父は、戦後まもなくこの土地に移り住んだという経緯があり、家には昔から「この土地には、何か大事なものが眠っている」という、根拠のない言い伝えのようなものがあった。
子供の頃、祖父から聞かされたその話を、茜はずっと忘れられずにいた。
「まあ、いいけど。それより、今度の連休、どこか遊びに行かない? 太田さんの茶店、新しいメニュー出したらしいよ」
「ラクカの? 行きたい行きたい」
二人は閉館作業を終え、自転車を並べて夜道を走り出した。
空には、初夏の星が控えめに瞬いている。茜は走りながら、ふと空を見上げた。
「……ねえ澪、位山って知ってる?」
「位山? 飛騨の方の山でしょ、なんか神様の山とかいうやつ」
「うちの祖父が、昔よく『あの山には気をつけろ』って言ってたの、思い出して」
「何それ、怖いこと言わないでよ」
澪は苦笑いしながら、ペダルを漕ぐ速度を上げた。茜も釣られて笑いながら、後を追いかける。
二人の会話は、それ以上深まることなく、いつもの他愛のない話題へと戻っていった。
だが、その夜、茜は自室の机の引き出しから、祖父の形見である古い手帳を取り出した。
表紙には何の変哲もない、ただの日記帳だったが、最後のページにだけ、見慣れない記号のようなものが、鉛筆でそっと書き込まれていた。
茜自身、それが何を意味するのか、まだ知らない。ただ、あの記念館の騒動のニュースを見た瞬間から、なぜかその手帳のことが、頭から離れなくなっていた。
「……お祖父ちゃん、これ、何だったの」
誰に問うでもなく呟いた声は、静かな部屋の中に、そのまま溶けて消えていった。




