「位山、第三の方角」
三柱鳥居の夜から、ひと月ほどが過ぎていた。
松平秀麿は、社務所の奥にしまっていたあの古い巻物を、久しぶりに取り出していた。
あの夜、樋口家の当主が読み上げた誓約の言葉――「三本の柱を組み、三つの地に、その心を刻む」。八百津と大垣、二つの地はすでに明らかになっている。
だが、第三の地については、当主自身も「まだ話す時ではない」としか語らなかった。
(第三の地は、位山なのではないか)
松平の胸には、以前からその予感があった。
位山は、飛騨の山中に位置する霊山で、古くから「日本のピラミッド」とも呼ばれ、両面宿儺の伝承や、天孫降臨にまつわる不思議な言い伝えが数多く残る土地だった。
松平家自体、その位山の祭祀と何らかの縁を持つ家系だと、幼い頃に祖父から聞かされたことがあった。
「……行ってみるか」
松平は一人、車を走らせて位山へと向かった。
麓の駐車場に車を停め、古くからの参道を登っていく。木々の間から差し込む光が、地面に複雑な模様を描いていた。
山頂近くにある小さな祠の前に立った時、松平はふと、懐から取り出した巻物の図と、目の前の景色を見比べた。
三柱鳥居の三本の柱がそれぞれ指し示していた方角――その延長線上に、確かにこの祠が位置しているように思えた。
「……本当に、ここか」
祠の裏手に回ると、苔むした岩の隙間に、小さな石碑が埋もれるように立っていた。
表面の文字はほとんど風化していたが、目を凝らすと、かろうじて「松平」という文字と、もう一つ、見慣れない記号のようなものが刻まれているのが分かった。
松平は震える手で、その石碑の表面をそっと撫でた。
長年、家に伝わってきた言い伝えの断片が、ここでようやく一つの形を成そうとしていた。
「……祖父さんは、これを知っていたのか」
誰に問うでもなく呟いた声は、山の静けさの中に、そのまま吸い込まれていった。
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その帰り道、松平は麓の茶屋に立ち寄り、根古に電話をかけた。
「親司か。……位山まで来てみたんだが、思っていた通りだった」
「本当か? どんな様子だった」
「祠の裏に、うちの家の名前が刻まれた石碑があった。
……三柱鳥居の三本目の方角は、間違いなくここだ」
電話の向こうで、根古がしばらく黙り込む気配があった。
「秀麿さん、それ、樋口の当主には伝えたのか」
「いや、まだだ。……正直、少し迷っている」
「迷う? 何をだ」
松平は、茶屋の窓から見える位山の稜線を見つめながら、静かに言葉を続けた。
「もしこれが本当に、三家の誓いの最後の一つだとしたら……それを明らかにすることで、また誰かがこの土地に集まってくるんじゃないか、という気がしてな」
根古は、電話の向こうで小さく笑ったようだった。
「まあ、そういうもんかもしれんな。だが、隠したままにするより、ちゃんと形にしておいた方が、後々のためにはいいんじゃないか。……お前さんの代で終わらせずにな」
松平は、その言葉に、しばらく答えることができなかった。
窓の外では、位山の緑が、初夏の風に静かに揺れていた。
「……そうだな。近いうちに、樋口さんにも話してみるとするか」
電話を切った松平は、もう一度、懐の巻物を取り出して見つめた。
誓いは、まだ完全には閉じられていない。
三つの地に刻まれた心は、これからも誰かの手によって、静かに受け継がれていくのだろう。




