「約束の記録」
あの夜から一週間ほど経った、よく晴れた日のことだった。
八百津の杉原千畝記念館の前庭に、思いがけない顔ぶれが集まっていた。
根古親司はヤマトを抱えたまま、少し落ち着かない様子で周囲を見回していた。
隣には松平秀麿、そして少し離れたところに江戸川勉と安藤修の姿がある。
庭の端には、樋口家の当主が、千紗都、麻尋、由紀子の三人を伴って静かに立っていた。
「まさか、こんな形でまた集まることになるとはな」
根古がぽつりと呟くと、松平が小さく笑った。
「あの夜、当主が『続きは記念館で』と言っていただろう。律儀な人だ」
館長が正面玄関から姿を現し、一同を収蔵庫の奥へと案内した。
あの日、根古が見つけた古い手帳が、今は丁寧に保護ケースに収められて、机の上に置かれている。
その傍らには、大垣の三柱鳥居の根元から掘り出された、あの金属の筒も並べられていた。
「開封は、当主にお願いしてもよろしいでしょうか」
館長の言葉に、樋口家の当主は静かに頷き、筒の蓋をゆっくりと開けた。
中から出てきたのは、経年劣化こそあれ、しっかりとした紙質の巻物だった。
丁寧に広げると、そこには杉原千畝の筆跡と思われる文字と、松平家に伝わる祭祀の印、そして樋口家の家紋が並んで記されていた。
「……これは」
当主が声を震わせながら読み上げる。
「『命を救うことは、一時の行為に非ず。これを継ぐ者ある限り、その意志もまた続く。杉原、樋口、松平、この三家に連なる者、及びこれを信ずる全ての者に託す』」
巻物の末尾には、当時、杉原の助けによって命を救われた一族の末裔たちの名が、ずらりと連ねられていた。財宝でも、秘密結社の証でもない。
それはただ、命を繋いだ記録そのものだった。
「……杉原さんは、ビザだけじゃなかったんですね」
江戸川が静かに言うと、当主は頷いた。
「表に出た『命のビザ』の裏で、こうしてひっそりと、いくつもの約束が交わされていたのでしょう。……うちも、松平さんの家も、それを守り継ぐ役目を、何百年も前から――いや、失礼、何十年も前から担っていたのですね」
「何百年、は言い過ぎだが」松平が苦笑しながら訂正する。
「だが、この土地に、こんな形で繋がりがあったとは、わしも今日まで知らなかった」
千紗都が、巻物の名簿の一角を指でなぞった。
「……ここに、樋口静、とあります。私の祖母の名前です」
当主は静かにその名を見つめ、深く息をついた。
「静姉さんは、戦後まもなく、家を出て行かれた。詳しい事情は、私も聞かされていない。……だが、こうして血を引く方々が、今こうしてここに立っておられる。それだけで、十分だ」
由紀子が、初めて柔らかな笑みを浮かべた。
「殺し屋だなんて噂されて、正直、居心地が悪かったんです。……でも、ようやく、本当の理由でここに来られた気がします」
麻尋も小さく頷きながら、涙を拭った。
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その頃、記念館の外では、鳴海美佑がまた別のスクープを求めて、うろうろとカメラを構えていた。
「はいどうも、美佑チャンネルです! 実は今日、記念館に何やら関係者っぽい人たちが集まっているという情報を入手しまして……」
だが、館長にやんわりと「今日は非公開の行事です」と断られ、鳴海は肩を落としながらも、カメラに向かって明るく締めくくった。
「まあ、結局は謎のままでしたけど! ……でも、あの時の暗号騒動、結局何だったのか、いつか分かる日が来たら、また報告しますね! それでは、また次の動画で!」
彼女は気づかぬまま、記念館の裏手を後にした。あの騒動の本当の結末は、地元のちょっとした噂として、いつか静かに語り継がれるのだろう――そんな予感だけを残して。
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同じ頃、東京のとあるビルでは、一石誠二が上司への報告書をまとめていた。「岐阜県内における特筆すべき事案なし」という一文で締めくくられたその報告書は、そのまま静かに保管庫へと送られていくことになる。
NSAのステーブ・ヘイブンスも、北村唯と遠藤成気からの報告を受け、静かに頷いた。
「杉原記念館の件は、これで終いだな。……親司さんには、また今度、顔を出すとするか」
彼はそう言って、報告書を閉じた。
そして、多治見のアパートの一室では、佐藤明が舌打ちしながら荷物をまとめていた。
杉本幻と深沢彩織が、静かにその様子を見守っている。
「……こんな骨折り損があるかよ」
「まあ、次の仕事に切り替えましょう。ここにはもう用はなさそうです」
三人はそのまま、静かにこの土地を去っていった。
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その日の夕方、根古は軽トラの助手席にヤマトを乗せて、可児への帰路についていた。
窓の外には、夕焼けに染まった木曽川沿いの景色が広がっている。
「なあヤマト。お前、あの晩、よく鍵の場所が分かったな」
ヤマトは相変わらず、答える代わりに小さく欠伸をした。根古は思わず笑ってしまった。
「まあ、お前がそういう奴だってことは、十年一緒にいれば分かるさ」
道の途中、いつもの温泉宿の看板が目に入った。
ふと思い立って車を停めると、ちょうど湯上がりのイエンガー・ムハンマドとフェルナンド・村田、そしてロドリゲス斎藤の三人が、駐車場で談笑しているところだった。
「おお、親司さん! どうやった、例の件」
ムハンマドが声をかけてくると、根古は苦笑しながら首を振った。
「詳しくは言えんが……まあ、無事に片付いたよ。三本足の門、ちゃんと気をつけたからな」
「ほら見い! わしの勘は当たったやろ!」
ムハンマドが得意げに胸を張ると、村田とロドリゲスが揃って肩をすくめた。
「はいはい、今度は何を予言してくれるんですか、先生」
「……次は、そうやな。近々、誰かがまた面白い忘れ物を見つける気がするわ」
根古は苦笑いを浮かべながら、ヤマトを抱き直して車に戻った。
西の空は、いつもと変わらない、穏やかな夕焼けに染まっていた。
命を繋いだ約束は、これからも、この土地のどこかで、静かに受け継がれていくのだろう。
誰に気づかれることもなく、しかし確かに――。




