十二月の可児
【 翌朝 可児市内 】
持田勇二が逮捕されたのは、夜明け前だった。
名古屋市内のマンションに潜伏していたところを、愛知県警特別捜査班が確保した。
逮捕容疑は人身売買の幇助と収益の隠匿。節子の証言と、
水落観音のUSBと、ロドリゲス斎藤が預かっていたUSBの三つが証拠として揃った。
政治家への資金流出についても、県警が内偵を開始した。
国会議員の名前がニュースに出るのは、もう少し先になるだろう。
千歳楼から救出された四人の女性は、入院加療中だった。
通訳が手配され、それぞれの事情聴取が始まっていた。
十三号トンネルの斜面で倒れていた男??エスメディカルの社員、三枝という名前だった??は意識を取り戻し、事情聴取に応じ始めた。
コンテナの中身を見て怖くなり、逃げ出したと証言した。
可児の朝は静かだった。
【 同日 午前 茶店ラクカ 】
ラクカに全員が集まったのは、朝十時だった。
根古、太田、江戸川、安藤、雨月、山本、鳴海、ロドリゲス斎藤、村田、垂井。それから澪、茜、朱音。
星野と千紗都と麻尋。鏑木と長曾我部。松平神主と、イエンガーまでいた。
太田がテーブルを四つ繋げた。過去最大の人数だった。
「今日はケーキも出します」と太田は言った。「二回目ですが」
「奮発ですね」と長曾我部が言った。
「たまには」
持田逮捕のニュースが、テレビから流れていた。
誰かが音を小さくした。みんな、もう十分知っていた。
雨月が根古の隣に座った。
「根古さん。今回の件、正式に礼を言わせてください」
「礼は結構です」
「受け取ってください。こちらの気が済まない」
根古はしばらく考えてから言った。
「コーヒーをもう一杯、おごってください」
「……それだけですか」
「それだけです」
山本が隣で笑った。雨月はため息をついてから、太田に声をかけた。
「すみません、根古さんにコーヒーをもう一杯」
「はい」と太田は笑顔で答えた。
【 同日 午前 ラクカ 続き 】
鳴海がスマートフォンを取り出した。
「今日、動画を上げます。千歳楼と十三号トンネルの件??被害者の方は映さず、状況だけ。それと今回の一連の流れを、地元の視点でまとめます」
「タイトルは」とロドリゲス斎藤が聞いた。
「『可児で起きていたこと』にします。派手なタイトルはつけません」
「ええな」とロドリゲス斎藤は言った。「俺のチャンネルでも拡散する」
「村田さんのチャンネルでも」と村田が言った。
「占い師が地元の事件を語る、ってコンテンツになるかもしれん」
「それはやめてください」と根古が言った。
「なんで!」
「目立ちすぎます」
「地元の安全のために広めるのは意義があると思うんやけど」
「鳴海さんの動画で十分です」
鳴海がちょっと誇らしそうな顔をした。
江戸川が手帳を開いた。
「今回の依頼書はありませんでした。でも??報告書は書きました」
「何と書きましたか」と根古が聞いた。
「『心霊コラボより本物の方が怖い。ただし、本物の方が解決できる』」
ロドリゲス斎藤が吹き出した。村田がうんうんと頷いた。澪が手を叩いた。
「それ、名言ですよ江戸川さん」と澪が言った。
「普通のことを言っただけです」
安藤がコーヒーを飲みながら、静かに言った。
「根古さん。今回、右手はよく働きましたか」
「体調が良かったので」
「体調管理が大事ですね」
「温泉のおかげです」
ロドリゲス斎藤が身を乗り出した。
「根古さん、今度温泉一緒に行きましょう。俺も最近行けてない」
「行きましょう」と根古は即答した。
「え、根古さんが即答した」と澪が驚いた。
「温泉は別です」
【 同日 昼 ラクカ外 路地 】
食事が終わって、人が少しずつ散り始めた頃、根古は一人で路地に出た。
十二月の空は高く、冷たく、青かった。可児川の方から風が来た。
村田が後から来た。
「根古さん。ちょっとええか」
「何ですか」
「俺、来年もここに来るつもりや。可児、気に入ってもうた」
「それはあなたの自由です」
「また何かあったとき、俺に声をかけてくれるか」
根古はしばらく空を見ていた。
「村田さん。あなたは最初の事件から、ずっと糸を繋いでいましたね」
「俺がですか」
「朱音さんをロドリゲスさんに繋いだ。安藤さんを私に繋いだ。節子さんも、あなたを知っていた。江戸川くんにも私の名前を教えた」
村田は少し照れたように頭を掻いた。
「俺、そんなに大したことしてへんで。ただ、困ってる人がおったら知ってる人を紹介するだけや」
「それが、一番大事なことです」と根古は言った。
村田は黙った。珍しかった。
「……根古さんにそう言われると、ほんまに照れるな」
「事実を言っています」
根古は路地を戻り始めた。
村田が後ろから言った。
「根古さん。来年も、よろしゅう頼みます」
根古は振り返らずに言った。
「体調のいい日に」
「もうそれしか言わんな!」
村田の声が、冬の路地に響いた。
【 同日 夕方 根古のアパート 】
帰宅すると、ヤマトが玄関で待っていた。
根古はヤマトを抱き上げた。重い。温かい。
窓際に座った。十二月の夕陽が、可児の山の向こうに沈んでいく。
空が橙から紫に変わっていく。
守護霊たちが、静かだった。
右肩の古い霊も、左側の女の霊も、今夜は何も言わなかった。ただ、穏やかにそこにいた。
??今年は、色々あった。
鬼が島の遺体から始まった。朱音が死んでいなかった。エスメディカルが潰れた。
千歳楼で四人が救われた。持田勇二が逮捕された。
そしてラクカに、人が集まるようになった。
??もともと太田さんのコーヒー目当てに来ていたが、今は少し違う理由でみんな来ている気がする。
根古にはよくわからなかった。ただ、悪いことではなかった。
ヤマトが根古の膝の上で丸くなった。
スマートフォンに、ロドリゲス斎藤からメッセージが来た。
??「温泉、今週末でどうですか。村田さんも来るって言ってます」
根古は少し考えてから返信した。
??「体調が良ければ」
すぐに返信が来た。
??「それ、行くってことですよね」
根古はスマートフォンを置いた。
??まあ、行くかもしれない。
ヤマトが一声、にゃあと鳴いた。
根古は黒猫の頭を撫でながら、夕陽が完全に沈むのを、静かに見ていた。
【 後日談 】
持田勇二は起訴された。裁判は翌年の春まで続いた。政治家二名が議員辞職し、元警察幹部一名が収賄で逮捕された。
千歳楼から救出された四人の女性は、それぞれの国への帰国支援を受けた。うち一人は日本に残ることを選んだ。
節子は子どもと可児市内に部屋を借りた。垂井美智子が離婚の手続きを引き受けた。
鳴海美佑の動画「可児で起きていたこと」は、公開三日で五十万再生を超えた。コメント欄には「地元に住んでいて知らなかった」という声が溢れた。彼女はその後も可児だけを撮り続けた。
ロドリゲス斎藤は春に「可児の特集」動画を公開した。猫神社の猫、ラクカのコーヒー、可児川の朝霧。百二十万再生になった。
フェルナンド村田は年明けに可児に戻ってきた。「占い師が可児に移住」という動画を撮った。登録者が二万増えた。
江戸川勉の事務所に依頼が増えた。安藤修が週三日、手伝いに来るようになった。ふたりは相変わらず、夜の川沿いを時々歩いた。
星野由紀子たちは江戸川の隣に住み続けた。江戸川は朝になると三人分のコーヒーを買ってくることがあった。本人は認めなかった。
根古親司は今日も引きこもっている。ヤマトは相変わらず重い。温泉には週三回行く。体調のいい日だけ、少し特別なことができる。
ラクカには今日もコーヒーの香りがする。太田豊は今日も同じ顔でコーヒーを出す。それが、この街の変わらないものだった。




