鬼ヶ島の怪 第六話 元上司の影
【 同日 夜 茶店ラクカ 続き 】
「安藤は??私の、元上司です」
雨月雅之は両手をテーブルの上で組み、それをじっと見ていた。山本彩織は隣で黙っている。ラクカの中には根古と太田だけが残っていた。他の面々は裏部屋か、近くの宿に引き取っていた。
「三年前まで可児署にいました。私が配属された年に、ちょうど退職した。直属ではなかったが、何度か一緒に動いたことがある」
「退職の理由は」と根古が聞いた。
「表向きは自己都合。ただ??内部では、捜査情報の外部漏洩が疑われていました。証拠がなくて立件できなかった。それで穏便に、という形で」
「漏洩先は」
雨月は少し間を置いた。
「民間の、ある組織。表向きは不動産業ですが、実態は??灰色です。名古屋と岐阜にまたがって動いている。警察が何度か手を入れようとして、そのたびに情報が漏れて空振りになった」
「それが安藤経由だった」
「おそらく。退職後、安藤はその組織の中に入ったと見ています。非公式の情報ですが」
根古はコーヒーを一口飲んだ。
??朱音は、その組織の内部情報を持っていた。だから始末された。そして安藤が実行した。
「あなたの上司が接触を禁じた理由は」と根古は続けた。
雨月の顎が少し引いた。
「……わかりません。だから、非公式で来ました」
「上司も、その組織と繋がっている可能性がある、と思っているんですね」
雨月は答えなかった。それが答えだった。
山本が初めて口を開いた。
「根古さん。あなたは何者ですか。今日、鬼が島で何をしていたか、報告が上がっています。ただ堤防に立っていただけのはずなのに、なぜ安藤の名前を知っているんですか」
根古は山本を見た。真っ直ぐな目だった。
「信じますか」と根古が言った。
「聞いてから判断します」
「現場に残った記憶を、触れずに読む。それができます。体調が良いときだけ、断片的に」
山本は根古の顔をしばらく見ていた。
「……信じます」
雨月が山本を見た。山本は構わず続けた。
「うちの祖母が似たようなことをする人でした。嘘をついている顔じゃない」
太田がカウンターの奥でそっと微笑んだ。
【 翌朝 条光寺近く 松平神社 】
松平秀麿は五十五歳、小柄で白髪まじりの神主だった。境内の掃き掃除をしながら根古を見て、箒を止めた。
「根古さん。また難しい顔をして来ましたね」
「供養を頼みたい。若い女性です。川で亡くなった。魂がまだ留まっている気配がある」
松平は根古の顔を読むように見た。長い付き合いだ。根古が「気配がある」と言うときは、たいてい本当にある。
「わかりました。夕方、川のそばで簡単なものを。妹さんも来られますか」
「来ると思います」
「では、用意しておきます」
根古が帰りかけたとき、松平が呼び止めた。
「根古さん。昨日からこの辺に、妙な気配がします。人の気配ではなく??何か、昏いものが動いている。あなたも感じていますか」
根古は立ち止まった。
??感じている。安藤修という男の周りに、それがある。
「感じています。気をつけてください」
「あなたもね」と松平は静かに言った。
【 同日 午前十時 茶店ラクカ 】
鳴海美佑がノートパソコンを広げていた。
「昨夜、視聴者にDMで聞き込みしました。安藤修の顔写真、警察の広報誌の古いやつをネットで見つけて。可児市内で三件、目撃情報が来ています」
「どこで」と江戸川が身を乗り出した。
「一件は兼山の廃工場付近。一件は可児川沿いの駐車場。もう一件は??」
鳴海は少し間を置いた。
「この近くです。ラクカから二百メートルほどのコンビニ」
場が静まった。
「いつ」と星野が言った。声が低くなっていた。
「昨夜、十一時ごろ」
??昨夜、雨月が来た時間帯。この店の周辺を安藤が歩いていた。
根古は右手を握った。熱い。強い反応だった。
「もうここを知っている」と根古は言った。
「どういうことですか」と澪が聞いた。
「安藤修は、すでにこの店を把握している。我々がここに集まっていることも、おそらく」
千紗都と麻尋が視線を交わした。星野は無表情のまま窓の外を見た。
「動かれる前に、こちらが動く必要がある」と星野は言った。
「兼山の廃工場」と江戸川が手帳に書きながら言った。「拠点にしている可能性がある。確認しに行きます」
「一人では行かないでください」と根古が言った。「安藤は元警察官です。素人が近づいて良い相手ではない」
「では誰と」
鏑木が腕を組んだまま言った。
「俺が行く。兼山の現場、昔仕事で入ったことがある。土地勘があるし??」
鏑木は右腕をぽん、と叩いた。大工の腕だった。
「いざとなれば、それなりにやれます」
根古は鏑木を見た。右手は静かだった。
「夜は動かないでください。昼間、遠くから見るだけにしてください」
「わかった」
【 同日 午後 ラクカ裏 路地 】
根古が一人になったのは昼過ぎだった。
裏の路地に出て、壁に背を預けた。空は高く、秋の雲が流れていた。
右肩の古い霊が、また押してきた。今度は言葉ではなく、映像だった。
??男の後ろ姿。大きな背中。振り返らない。手に、何かを持っている。光を反射するもの。金属??
根古は目を開けた。額に汗が出ていた。
??武器を持っている。そして、まだ終わっていないと思っている。
安藤修は、まだ動いている。
根古はポケットからスマートフォンを取り出し、ある番号を呼び出した。しばらく迷ってから、発信した。
三コール目で出た。
「もしもし、垂井です」
「根古です。少し聞きたいことがある。元警察官の民事上の問題について。今夜、時間はありますか」
垂井美智子??ミーコ??は弁護士だった。根古とは古い知り合いで、法律の話なら彼女が最も頼りになる。
「根古さん、また厄介ごとですか」
「いつものことです」
「……八時に事務所に来てください。コーヒーくらいは出しますよ」
根古は電話を切った。
路地の向こう、ラクカの表側から澪の声が聞こえた。
「根古さーん、どこですかー!」
??あの子は本当に弟子になる気でいる。
根古は小さくため息をついてから、路地を戻った。




