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可児奇譚  作者: 賀茂丈晴
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鬼ヶ島の怪 第五話 名前のある死

【 同日 午後二時 茶店ラクカ 】

茜に知らせたのは太田だった。


太田がスマートフォンを持ったまま、カウンターの中で静かに立っていた。その顔を見て、根古はすべてわかった。


「茜さん」と太田が言った。「警察から連絡が来ました」


茜は太田の顔を見た。それだけで足りた。


澪がすぐ隣に座った。何も言わずに、肩が触れるくらい近くに。


茜はしばらく下を向いていた。泣かなかった。ただ、静かに呼吸していた。


「……姉でした、か」


「はい」


また沈黙が来た。


星野が立ち上がり、茜の前に来てしゃがんだ。普段の落ち着いた顔が、少しだけ崩れていた。


「朱音さんは、最後まで妹のことを話していました。あなたには絶対に関わらせないと言っていた」


「……でも私、ここにいます」


「ええ」と星野は言った。「あなたは来た。それは、あなたが決めたことです」


茜はゆっくりと顔を上げた。目が赤かったが、声は落ち着いていた。


「犯人を、見つけてください」


根古を見ていた。


??見つける。ただ、それは警察の仕事だ。俺の役割は別のところにある。


根古は答える代わりに、右手を見た。まだ熱がある。


【 同日 午後三時 茶店ラクカ 】

江戸川勉が手帳を広げた。


「朱音さんから受けた依頼の内容を話します。三週間前、名古屋のカフェで会いました。彼女は『自分の身に何かあったとき、この名前を調べてほしい』と言って、メモを渡してきた」


江戸川はそのメモをテーブルに置いた。


手書きで、一つの名前が書いてあった。


「安藤修。元警察官。三年前に所轄を退職しています」


根古は動かなかった。しかし右手が、一瞬強く熱くなった。


「安藤……」と長曾我部が眼鏡を直した。「可児周辺で聞いた覚えが」


「三年前まで可児署にいました」と江戸川が続けた。「退職後は行方がつかめていない。表の仕事は何もしていないようです」


「大柄な男か」と根古が呟いた。


「身長百八十五センチ、体重百キロ近い。現職時代の記録からですが」


??夜の川沿い。大柄な男。後ろから近づいてくる。


断片が繋がった。


「今どこにいるか、わかりますか」と星野が静かに聞いた。その声には、感情より計算が混じっていた。


「それを調べるのが、私の次の仕事です」と江戸川は言った。「ただ??一人では少し、心もとない」


「私が手伝います」と鳴海美佑が手を挙げた。窓際に座っていた。「地元のネットワーク、使えます。顔写真があれば、目撃情報を集められる」


「YouTuberが聞き込みをするんですか」と澪が目を丸くした。


「視聴者が可児市内に八千人います。立派な情報網ですよ」


根古は黙って聞いていた。


??各自が動き始めている。俺がすべきことは、また別にある。


「松平さんに連絡します」と根古は言った。


「松平?」と澪が首を傾けた。


「条光寺の近くの神社の神主です。霊的な話を聞いてもらえる数少ない人間のひとりだ。朱音さんの魂が川にまだいるなら、きちんと供養しなければならない」


茜が静かに頷いた。


「……お願いします」


【 同日 夜 茶店ラクカ 閉店後 】

最後の客が出て、太田が暖簾をしまった頃、ドアをノックする音がした。


開けると、スーツ姿の男女が立っていた。


男は二十八歳くらい、疲れた目をしている。女は少し若く、真っ直ぐな立ち方をしていた。


「根古さんですか。可児署の雨月といいます」と男が言った。「非公式で、話を聞かせてほしい」


根古は雨月の顔を見た。右手は静かだった。


??嘘はない。ただ、何かを隠している。隠しているというより??まだ自分でも整理できていない、という感じだ。


「入ってください」と根古は言った。「太田さん、コーヒーをもう二杯」


「……閉店なんですがね」と太田は笑いながら豆を挽き始めた。


雨月と山本が椅子に座った。


雨月はしばらく手を組んだまま黙っていた。それから顔を上げた。


「根古さん。上司から、あなたに接触するなと言われました」


「知っています」


「なぜ知って??」


「午前中から、あなたの車が路地に停まっていましたよ」


山本が小さく笑った。雨月は耳が赤くなった。


「上司が、なぜあなたへの接触を禁じたか、わかりますか」


「わかりません。ただ??」


根古は右手を見た。


「安藤修という名前が、どこかで引っかかっているのではないですか」


雨月の顔が、固まった。


山本が雨月を見た。雨月はしばらく動かなかった。


「……なぜ、その名前を」


「今日、その名前が出てきました。鬼が島の件と、繋がっている可能性がある」


雨月は深く息を吐いた。


「安藤は??私の、元上司です」


夜のラクカに、コーヒーの香りが満ちた。



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