鬼ヶ島の怪 第四話 始末屋の話
【 翌朝 茶店ラクカ 続き 】
誰も動かなかった。
澪が口を開きかけて、閉じた。茜は星野の顔を見たまま固まっている。長曾我部は手帳を持ったまま、ページをめくるのを忘れていた。
太田だけが静かにコーヒーを注いだ。カップを星野の前に置き、根古の前にも置いた。
「続けてください」と根古が言った。
星野は一度だけ茜を見た。
「妹さんの前で話すのは??」
「聞きます」と茜が言った。声は震えていなかった。「姉のことです。聞かないわけにいかない」
星野はわずかに目を細め、それから話し始めた。
「私たちは関東を拠点に、いくつかの依頼を受けてきました。依頼主は企業のこともあれば、個人のこともある。表に出せない問題を、表に出ない方法で解決する。朱音さんは二年前から私たちと仕事をしていました」
「殺し屋、ということですか」と長曾我部が低い声で言った。
「その言葉は使いません。ただ??そう聞こえるなら、否定はしません」
「なぜ朱音が」と茜が言った。「姉は普通のOLだって??」
「彼女が私たちに接触してきたんです。最初は情報提供者として。名古屋のある企業の内部資料を持ってきた。腕があった。判断も早かった。気づいたら、現場に立っていました」
茜の手がテーブルの上で白くなった。
「そして、抜けようとした」と根古が言った。
星野が根古を見た。今度は少し、驚いたような目だった。
「……そうです。三ヶ月前、朱音さんは足を洗うと言いました。理由は言わなかった。私は止めませんでした。千紗都と麻尋は反対しましたが」
後ろの二人が、わずかに目を伏せた。
「抜けた後、彼女を狙う者がいる、という話が入ってきた。私たちとは別の筋から。それで追ってきました」
「遅かった」と根古は言った。
「……まだわかりません。鬼が島の遺体が、朱音さんだとは確認できていない」
??だが限りなく近い。昨夜、川から声がした。
根古は右手を膝の上で握った。熱がある。体調は戻っている。
「鬼が島に行きます」と根古は言った。「テープの外から見るだけでいい」
【 同日 午前九時 可児川 鬼が島付近 】
堤防の上に、奇妙な一行が並んだ。
根古、澪、茜、星野の四人。後ろに千紗都と麻尋。鳴海美佑はやや離れた位置でカメラを構えていたが、今日は撮影よりも観察のつもりらしく、レンズを川に向けたまま動かなかった。
鑑識のテープはまだ残っていた。昨日より人は減っていたが、制服の警官が一人、河原に立っている。
根古は目を閉じた。
??右手。
じわりと熱が広がった。掌の中心から、指先へ。普段は体調が悪いとここで止まる。今日は通った。
川の匂い。葦の揺れる音。秋の日差し。
そして??映像が来た。
??夜。暗い。川沿いの道を、誰かが歩いている。女だ。足が重い。怪我をしている。後ろから、もうひとり??男。大柄な男。女は振り返る。顔がわからない。男の顔も??
ぶつり、と映像が切れた。
根古はよろけた。澪が素早く腕を掴んだ。
「大丈夫ですか」
「……見えた。断片だが」
「何が」と星野が近寄った。
「夜、川沿いを歩いていた。女。後ろから男がいた。大柄な男。それだけだ。顔はわからなかった」
「自分で歩いていたということは、まだ生きていたんですね」と茜が言った。声が細かった。
「その時点では」
沈黙が落ちた。
そのとき、河原の警官が動いた。こちらを見ている。一行の中で最も「怪しい」のが誰かはわからないが、全員まとめて怪しい集団に見えるだろう。
「退きましょう」と長曾我部が後ろから言った。いつの間にか来ていた。「私の車が近くに停めてあります」
【 同日 午前十時 茶店ラクカ 】
戻ってくると、ラクカの前に知らない顔が立っていた。
二十五歳くらいの若い男。くたびれたジャケットにスニーカー。首からIDカードのようなものをぶら下げているが、よく見ると手製らしかった。
「根古さんですか。江戸川勉といいます。私立探偵です」
根古は男の顔を見た。右手に反応はない。嘘はついていない。
「依頼人は」
「藤原朱音さんです。失踪する三週間前に、私に依頼がありました。『もし自分に何かあったら、可児市の根古という人物を訪ねろ』と」
茜が小さく声を上げた。
「姉が……根古さんを?」
「知っていたんですか、朱音さんが私を」と根古が聞いた。
「はい。フェルナンド村田さん経由らしいです」
太田がまたくつくつと笑った。根古は額を押さえた。
??村田め、本当に。
「上がってください」と太田が言った。「コーヒー、もう一杯分あります」
江戸川勉はラクカの中を見回した。星野たち三人、茜、澪、長曾我部、鏑木??そして根古。
「……すごい人数ですね」
「まだ増えるかもしれません」と澪が言った。妙に嬉しそうだった。
【 同日 午前十一時 ラクカ近く 路地 】
一方、誰も知らないところで??。
可児署の雨月雅之警部補は、路地に停めた車の中でラクカを眺めていた。二十八歳、所轄の若手だが、今朝の上司からの一言が頭に引っかかっていた。
??「鬼が島の件、妙な動きをしている民間人がいる。根古という名前だ。接触するな。ただし、目は離すな」
接触するな、と言われた。だから見ているだけだ。
ラクカのドアが開き、見知らぬ若い男が中に入った。
雨月はメモ帳に書き込んだ。
??関係者、また増えた。




