鬼ヶ島の怪 第三話 三人と湯煙
【 同日 午後二時すぎ 茶店ラクカ 】
ドアベルが鳴った。
鳴海美佑が入ってきた。二十四歳、肩にカメラバッグ、首からストラップが二本。地元YouTuberの顔つきというか、常にどこかを記録しようとしている目をしていた。
「すみません、取材っていうか??あ、根古さんですか?」
根古は黙って太田を見た。太田は肩をすくめた。
「フェルナンド村田さんのブログ経由ですか」と根古は聞いた。
「いえ、地元では有名ですよ。ちょっと変わった人がいるって」
「変わった人」
「褒め言葉のつもりです。今朝の鬼が島、関係しますか」
根古は答えなかった。鳴海はその沈黙を「ノー」とは受け取らなかったらしく、空いた椅子を引いて座った。
「さっき、外で変な三人組を見かけました。ラクカを見て、『あの店だ』って言ってた気がして」
場の空気が変わった。長曾我部が手帳を閉じ、鏑木が腕を組んだ。
「どんな三人だった」と根古が言った。今度は質問だった。
「女性三人。二十代ふたりと、四十くらいの落ち着いた人。朝も鬼が島の現場にいました。カメラ持ってたけど、素人じゃない感じ。私がレンズ向けたら、すごい目で見られて」
??来ている。
根古の右肩の霊が、強く押してきた。警戒、というより??興味、のような圧力だった。珍しかった。守護霊が「面白がっている」と感じたのは久しぶりだ。
「今夜、温泉に行きます」と根古は太田に言った。「明日の朝、また来る」
「茜さんは?」と澪が聞いた。
根古は藤原茜を見た。茜はテーブルの木目を見つめたままだった。
「太田さん、今夜泊めてやってください。裏の部屋」
「もちろん」と太田は即答した。
「私も残ります」と澪が手を挙げた。
「あなたは??」
「弟子候補として、待機します」
「弟子は取りません」
「まだ決まってないじゃないですか」
鏑木がぷっと吹き出した。
【 同日 夜 可児市内 某温泉施設 】
根古は湯の中で目を閉じた。
平日の夜、露天風呂に客は少ない。岩の縁から可児の夜空が見える。秋の星が、水蒸気の向こうにぼんやりと滲んでいた。
体が少しずつほぐれていくのがわかった。肩の重さが溶け、霧が薄れていく感覚。
??守護霊たちが近くなってくる。
最初に来るのはいつも、右肩の古い霊だ。根古はその名前を知らない。江戸か明治の頃の人間らしい気配がする。無口だが、危険な場面では必ず先に教えてくれる。
次に、左側に女の霊が来た。こちらはもっと新しい。声を持っている霊で、たまに言葉になる。
??「川に、まだいる」
根古は息を止めた。
??川に、まだいる。鬼が島の川に、もうひとり? それとも??被害者の魂が、まだあそこに留まっている?
右手がじんわりと熱くなった。湯の中で、指先が光るような感覚。体調が戻ってきている。
根古は湯から上がり、濡れた髪をタオルで拭きながら空を見た。
??明日、鬼が島に行かなければならない。
【 同日 深夜 茶店ラクカ 裏部屋 】
茜は眠れなかった。
太田が用意してくれた布団の上で天井を見ていた。隣の部屋では澪がすでに寝息を立てている??あの子はどこでも眠れるらしい。
姉の顔を思い出した。朱音姉さん。笑うと目が細くなる人だった。
スマートフォンに着信が来た。知らない番号だった。
迷ってから出た。
「藤原茜さんですね」
女の声だった。落ち着いた、低い声。
「……はい」
「お姉さんのこと、知っています。明日、話しましょう。場所はラクカで構いません」
「誰ですか」
一拍の間があった。
「星野といいます。東京から来ました」
電話は切れた。
茜はしばらく画面を見つめていた。それから隣の部屋の引き戸を叩いた。
「澪さん……起きてますか」
三秒後、元気な声が返ってきた。
「起きてます!」
【 翌朝 茶店ラクカ 】
根古が軽自動車でラクカに着いたのは朝八時だった。ヤマトを一晩ひとりにしたのが少し気がかりだったが、あの黒猫は根古より自立している。
ドアを開けると、カウンターに太田、テーブルに茜と澪、そして??見知らぬ三人の女がいた。
四十がらみの女が立ち上がった。
「根古さん、ですね。星野由紀子といいます」
根古は入口に立ったまま、その女を見た。
??守護霊たちが、静かになった。
騒ぐのでも警戒するのでもなく、ただ??静かになった。根古の経験上、それは「格の高い何かと向き合っている」ときの反応だった。
星野の後ろの二人、二十三歳くらいの女たちは静かに座っている。西野千紗都と古田麻尋??あとで名乗った??は、並んでいると双子のように見えたが、顔は全然違う。ただ、目の据わり方が似ていた。
「座ってください」と太田が根古に言った。
根古は上着を脱いで椅子に座った。右手がまだ熱い。昨夜の温泉の効果か、体調は戻っていた。
「藤原朱音さんのことを、どこまで知っていますか」と根古は言った。
星野は少し目を細めた。それから、ゆっくりと口を開いた。
「彼女は、私たちと同じ仕事をしていました。少し前まで」
茜が息を飲んだ。
「同じ仕事??」
「ええ」と星野は言った。静かな目で、根古を見た。「人を、始末する仕事です」
ラクカの中が、しんと静まり返った。
窓の外で、可児川の方角から風が吹いた。




