鬼ヶ島の怪 第二話 ラクカの午後
【 同日 午前十一時すぎ 茶店ラクカ 】
「あの……ここ、鬼が島に近いですよね?」
根古は振り返った。二十歳前後の女だった。髪は少し乱れていて、リュックサックのファスナーが半分開いたままになっている。走ってきたのか、頬がわずかに赤かった。
右手の熱がまだある。この子から何かが滲み出ている??感情なのか、記憶なのか、体調が悪い今では判別できなかった。
「近いけど、今は入れませんよ」と太田が穏やかに言った。「鑑識が入ってますから」
「知ってます。でも??」
女は言いかけて、根古の顔をまじまじと見た。
「あなた、根古さん、ですか?」
根古は眉を動かした。
「……誰に聞いた」
「フェルナンド・村田さんのブログです。関西の占い師さんの。『可児市に根古という男がいる、困ったことがあれば訪ねろ』って書いてあって」
太田がカウンターの奥でくつくつと笑いをこらえた。根古は額に手を当てた。
??あの村田め。
「藤原茜といいます」と女は言った。「亡くなったのが、姉かもしれないんです」
【 同日 午後一時 茶店ラクカ 】
午後になって、ラクカの空気が変わった。
まず長曾我部圭吾が入ってきた。六十近い会計士で、丸眼鏡と几帳面な物言いが特徴だ。可児市内に事務所を構えていて、週に二、三度ここでコーヒーを飲む習慣がある。
「鬼が島の件、もう根古くんの耳に入ってるだろうと思って」
続いて鏑木俊哉が作業着のまま入ってきた。大工で、現場が近いときは昼をここで済ませる。
「テレビカメラが三台来てた。YouTuberも何人か。物見遊山みたいで気色悪い」
そこへドアが勢いよく開いた。
二十一歳の女が立っていた。小柄で、目だけが異様に大きく見える。大きなトートバッグを両手で抱えている。
「根古親司さん、ここですよね? 弟子にしてください」
店内が一瞬静まった。
「ここは私の店ですが」と太田がゆっくり言った。
「あっ、すみません! でも根古さん、いますよね。ここにいるって聞いたので」
根古はため息をついた。
「前にも云った 協力はいいが 弟子は取らん」
「柊澪さんですね」
「はい! なんでわかるんですか」
「三日前から右肩の霊がうるさかった。あなたのことを教えようとしてたんだと思います」
澪は目を丸くした。それから、ぱっと顔が明るくなった。
「やっぱり本物だ。弟子にしてください!」
「断ります」
「えっ」
【 同日 午後一時半 茶店ラクカ ??相談の輪 】
太田がテーブルをふたつ繋げた。コーヒーと麦茶が並び、気づけば六人がそこに座っていた。根古、藤原茜、柊澪、長曾我部、鏑木、そして太田。
茜が姉のことを話した。姉・藤原朱音、二十三歳。一ヶ月前から連絡が取れなくなっていた。名古屋で働いていたが、職場も突然来なくなっていたという。
「警察には届けました。でも、行方不明者届を出しただけで……大人だからって、すぐ動いてもらえなくて」
「今朝の遺体の情報は?」と長曾我部が手帳を取り出しながら聞いた。
「年齢と体格が……合うんです。髪が長くて、左手首に小さなほくろがあって。ニュースの映像を見て、いてもたってもいられなくて」
根古は黙って茜の顔を見ていた。右手が、じんわりと熱くなっている。
??体調が戻れば、何か見えるかもしれない。今はまだ、霧の中だ。
能力は今、出ますか」と太田が低く聞いた。
「出ない。今夜、温泉に入ってくる」
「温泉?」と澪が首を傾けた。
「体を整えると、少し動くようになる」
「じゃあ弟子として??」
「断ります」
鏑木が苦笑した。長曾我部は眼鏡を直した。
「とりあえず」と太田が全員を見回した。「わかっていることを整理しましょう。鏑木さん、現場で聞いた話を」
「発見したのは地元の釣り師。遺体は流れてきたんじゃなく、置かれていたらしいって話だった。葦の根元に、ていねいに」
ていねいに??という言葉が、場の空気を重くした。
「棄てたんじゃなく、置いた」と長曾我部が呟いた。「それは……」
「知っている人間がやった」と根古は言った。「あるいは、何らかの意図がある」
茜の手が、テーブルの上でかすかに震えていた。
澪がそれに気づき、そっと隣に座り直した。言葉はなかったが、肩が少し近づいた。
外では風が出てきた。可児川の方角から、秋の匂いがした。
【 同日 午後二時 ラクカ付近の路地 】
一方、店の外では??。
鳴海美佑が路地の角でスマートフォンを構えていた。鬼が島からここまで、あの三人組の女を遠巻きに追ってきてしまった。
??なんか気になる。明らかに観光客じゃないし、地元でもない。
三人は足を止め、ラクカを見た。
年かさの女??星野由紀子??が静かに言った。鳴海には聞こえなかったが、口の動きだけが見えた。
??「あの店だ」?
三人はそのまま角を曲がり、姿を消した。
鳴海は数秒迷ってから、ラクカのドアを押した。




