鬼ヶ島の怪 第一話 鬼ヶ島にて
【 午前六時十四分 可児川 鬼が島 】
十月の朝霧が可児川の水面を這っていた。
釣り師の老人が竿を担いで河原へ降りたとき、白いものが岸の葦の根元にひっかかっているのに気づいた。最初はビニール袋だと思った。次の一歩を踏み出して、それが人の腕だとわかった。
老人は携帯電話を取り出し、震える指で一一〇番を押した。通報を受けた可児署の山本彩織巡査長が現場に着いたのは、その十八分後のことだった。
【 同日 午前九時すぎ 可児市内 某アパート 】
根古親司は薄暗い六畳間で布団をかぶったまま、黒猫のヤマトが腹の上で丸くなっているのを感じていた。外からは秋の雀の声。カーテンの隙間から光が一筋。
体は重かった。昨夜から頭の後ろのあたりに圧がある。こういうときは大抵、なにかが起きている。
??また、か。
根古は五十八年生きてきて、この感覚と折り合いをつける術をまだ覚えていなかった。守護霊たちがざわめいている。特に右肩あたりにいる古い霊が、やけにうるさかった。
ヤマトが顔を上げ、玄関の方を見た
三秒後、スマートフォンが鳴った。
「根古さん、太田です。ラクカ、今日開けてますよ。ニュース見ましたか」
茶店ラクカのマスター、太田豊の声だった。五十八歳、根古とは同い年で、この街で数少ない「根古の事情をある程度知っている」人間のひとりだ。
「……見てない」
「鬼が島で遺体が上がりました。若い女性らしい。テレビが来てますよ。それと??」
太田が声をわずかに下げた。
「YouTuberが三人ほど、もうカメラ回してます」
根古は布団の中で目を閉じた。ヤマトがにゃあと一声鳴いた。
??やはり。
右肩の霊が、ぐっと重さを増した。
【 同日 午前十時 鬼が島 河川敷 】
鑑識テープが張られた現場から五十メートルほど離れた堤防の上で、鳴海美佑は三脚にスマートフォンをセットしながら小声で実況していた。地元登録者数八千人ほどのYouTuberだが、こういう速報には目ざとい。
「可児川、鬼が島です。今朝早く遺体が発見されまして??」
そこへ少し離れた場所に、見慣れない女が三人いるのに気づいた。二十代らしいふたりと、四十がらみの落ち着いた女。いずれも携帯カメラを持っている。服装はよく言えばアウトドア風、悪く言えば目立たないように考えられたような出で立ちだった。
??県外の人? あんまり見ない顔。
鳴海は無意識にカメラを向けたが、三人のうち年かさの女??星野由紀子と後で知ることになる??がすっとこちらを見た。笑顔ではなかった。
鳴海は反射的にカメラを逸らした。
【 同日 午前十一時 茶店ラクカ 】
根古は軽自動車でラクカの駐車場に滑り込んだ。古い商店街の一角にある小さな喫茶店で、コーヒーだけは本物だった。
カウンターに座ると、太田がカップを置きながら言った。
「顔色、悪いですね」
「体調がよくない」
「能力は?」
「……出ない、たぶん。今は」
根古はコーヒーを一口飲んだ。苦味が舌に染みた。
「被害者は?」
「若い女性、二十代前半くらいとニュースでは。身元はまだ。外傷があったとか」
根古は黙ってカップを見つめた。霊たちがまだざわめいている。特に、何かを訴えようとしている気配があった。だが体が重いときには、その「声」は霧の中の遠吠えのようにしか聞こえない。
??温泉に入れば、少しは楽になるかもしれない。
そのとき、店のドアが開いた。
入ってきたのは見知らぬ若い女だった。二十歳前後、大きなリュック。きょろきょろと店内を見回してから、根古の二席隣に腰を下ろした。
注文もせずにスマートフォンを取り出し、何かを熱心に打ち込んでいる。
根古はそちらを見ないようにしながら、右手に微かな熱を感じた。
??この子から、なにかが出ている。
女は顔を上げ、ふいに根古を見た。
「あの……ここ、鬼が島に近いですよね?」




