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可児奇譚  作者: 賀茂丈晴
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22/45

可児川呪術殺人事件 『雨の月、可児川の咎』

「――そこまでだ。カメラを止めろ、鳴海」


背後から突き刺さるような低い声が響いた。美佑がビクッと肩を揺らして振り返ると、そこには可児署の雨月雅之警部補が立っていた。

まだ若いながらも、その鋭い眼光と冷徹な佇まいは、現場の空気を一瞬で凍りつかせる。


「あ、……! これ、ライブ配信中で――」

「止めろと言っている。公務執行妨害で引っ張られたいか」


一歩、雨月が足を踏み出す。その威圧感に気圧され、美佑は思わずスマホの配信終了ボタンを押した。

急に静まり返る河川敷。遠くで野次馬をかき分ける山本巡査長の声だけが聞こえる。


「……スクープなのは分かりますけど、今回はマジで洒落になってないですって」


後ろに控えていた平巡査長が、困り果てた顔で美佑に囁く。

しかし、雨月の追及は容赦なかった。


「鳴海、お前はいつからここにいた。遺体を発見した通報者の次に現場を踏んだのはお前だな? 何を見た」

「何も見てないです

市役所の裏が騒がしいから慌ててカメラ回して降りてきただけで……。

あの、やっぱり殺人事件なんですか? 被害者は誰なんです?」


美佑が食い下がると、雨月は忌々しそうに眉間を揉み、声をさらに潜めた。


「……被害者は外国人女性だ。頭部を何度も鈍器のようなもので強打されている。死因は失血死、いや――ほぼ即死の撲殺だ。現場の状況から見て、怨恨か、あるいは非常に執拗な殺意を感じる」「これ以上は捜査機密」


「撲殺、外国人……」


美佑の脳裏に、さきほどチラリと見えたブルーシートの隙間の光景が蘇る。

そして同時に、怪しい笑みを浮かべていた東京からの三人組の一人、西野千紗都の顔がフラッシュバックした。


「おい、聞いてるのか」


雨月が美佑の顔を覗き込む。その目は、美佑が何かを隠していることを見抜いているようだった。


「お前、さっきの配信の最後、誰かを見てフリーズしてただろう。この近くに誰がいた? 鳴海、これはお前の小遣い稼ぎのネタじゃないんだ。捜査を攪乱するような真似をしてみろ、ただじゃおかんぞ」


「それは……」


美佑が言い淀んだその時、ワン、と短く鋭い犬の鳴き声がした。いや、犬ではない。橋の上から、こちらをじっと見下ろしている男がいた。

元刑事の安藤修だ。その横には、眉をひそめて事件現場を観察している私立探偵、江戸川勉の姿もあった。


雨月は橋の上の二人に気づくと、チッと小さく舌を打ち、美佑に告げた。


「……今日のところは帰れ。だが、勝手にブログや動画に変な憶測を書き込んでみろ。すぐに署に引っ張るからな」


雨月から解放され、這う這うの体で河川敷の階段を駆け上がる美佑。しかし、彼女のポケットの中で、スマホが短いバイブ音を鳴らした。画面を見ると、見知らぬアカウントから一件のDMが届いている。


『いい動画だったよ、ミユちゃん。でも、あまり深追いしないことだね。 ――C』


千紗都(Chisato)の頭文字を思わせるそのメッセージに、美佑は息を呑んだ。




『カレーの香りと異国の影

「――おい、ナルミ。ちょっと待ちまちな」


階段を上りきった瞬前、行く手を遮るようにガシリと腕を掴まれた。

見上げると、元刑事の安藤修が、鋭いながらもどこか哀愁を帯びた目で美佑を見下ろしている。その隣では、トレンチコートのポケットに両手を突っ込んだ私立探偵、江戸川勉が、じっと美佑のスマホを凝視していた。


「あ、安藤さん……勉さん。離してください、雨月さんに怒られたばかりなんです」

「雨月は関係ねえ。お前、さっきカメラがブレる直前、野次馬の中に『誰か』を見たろ」


安藤の低い声には、現役時代さながらの迫力があった。美佑が思わず息を呑むと、今度は勉が顔を近づけ、声を潜めて追及を重ねる。


「鳴海さん、隠しても無駄だよ。君は明らかに動揺して、配信を不自然にぶち切った。あの場に、君の知っている『見てはいけない人間』がいた。……そうだね?」


二人の執拗な問い詰めに、美佑はポケットの中のスマホを握りしめた。さきほど届いた『C』からの脅迫めいたDMのことが頭をよぎる。東京から来た謎の三人組、西野千紗都。彼女たちの名前を出せば、自分は本当に消されるかもしれない――。


「い、言えません……! それより二人とも、死んだ人のこと、何か知ってるんですか!?」


美佑が必死に話題をそらそうと叫んだ、その時だった。

河川敷の道路の向こうから、狂ったように自転車を漕いで激突寸前で急ブレーキをかける男がいた。


「ハァ、ハァ……嘘デショ……! 警察がいっぱい、アソコですか!?」


ターバンを巻き、エプロン姿のまま息を切らせているのは、地元の人気カレー店店長、イエンガー・ムハンマドだった。

いつもは陽気な彼の顔が、今は見たこともないほど真っ青に引き攣っている。


「ムハンマドさん? どうしたんですか、そんなに慌てて」

勉が怪訝そうに尋ねると、ムハンマドはガタガタと震える手で河川敷のブルーシートを指差した。


「テレビの速報、見ました……! 外国人の女の人が殺されたって……。

それ、ルシアじゃないですか!? 『ルシア・マルチネス』じゃないですか!?」


「ルシア・マルチネス……?」

安藤がその名に眉をひそめる。


「ワタシの店で、少し前まで手伝ってくれてたフィリピン人の女の子です! 最近、変なバイヤーの男と揉めてるって、泣きながらワタシに相談してきた……。

神様、お願い、彼女じゃないと言ってくだサイ!」


ムハンマドはそのままへたり込み、頭を抱えて咽び泣いた。


撲殺された外国人女性の身元は、ルシア・マルチネス。

そして、彼女が揉めていたという『変なバイヤー』という言葉に、安藤と勉の脳裏に同時にひとつの名前が浮かんだ。


――ロドリゲス斎藤(52)。


「……事件が繋がってきたな」

勉が眼鏡の奥の目を光らせる。

可児川の冷たい風が吹き抜ける中、美佑は自分がとんでもない闇の入り口に立ってしまったことを確信していた。




『羊の皮を被る狼、そしてキャットタワーの怪』


「……ロドリゲスはシロ、ですか?」

カレー店の床にへたり込んだままのムハンマドを安藤が介抱する傍らで、勉がスマホの画面を睨みながら言った。


「ああ。知り合いに確認を取らせたが、ロドリゲス斎藤は事件のあった時間、大阪の通天閣近くの串カツ屋にいた。関西の高名な占い師、フェルナンド・村田のYouTubeライブに生出演中だ。アリバイは完璧、手出しはできねえ」


安藤が忌々しそうに首を振る。有力な容疑者が消え、捜査が暗礁に乗り上げたかと思われたその時、美佑が意を決したように勉の袖を強く引いた。


「勉さん、安藤さん……これ、見てください」

差し出されたスマホの画面には、さきほど届いた『C』からの冷酷なDMが映っていた。

『いい動画だったよ、ミユちゃん。でも、あまり深追いしないことだね』


「C……西野千紗都か!」

勉の目が鋭く光る。

「彼女たち、今どこにいる?」

「勉さんの事務所のすぐ近く、あの古い家です。最近引っ越してきたばかりの……」

「よし、行くぞ」


数分後。勉、安藤、そして生唾を飲み込む美佑の三人は、勉の事務所の向かいにある家へ、『星野』の表札が出たドアの前に立っていた。


ピンポーン、と勉がチャイムを鳴らす。

ガチャリと扉が開くと、エプロン姿の西野千紗都が、いかにも「普通の若いお嬢さん」といった愛くるしい笑顔で顔を出した。奥からは、同じく古田麻尋がのんびりとジャガイモの皮を剥いている姿が見える。


「あら、お向かいの探偵さん? それに警察の方も……どうされたんですか? 奇遇ですね、私たち今、肉じゃがを作っていたところで」


「西野さん、とぼけないでください」

美佑がスマホを突きつける。

「これ、あなたが送ってきたんでしょう! 河川敷で私を見ていたはずです!」


千紗都は小首を傾げ、心底不思議そうな顔で画面を覗き込んだ。

「C……? すみません、私、SNSは見る専門で、DMなんて送ったことないです。可児川で事件があったのは、さっき鳴海さんの配信で知って驚いていたところで……。ねえ、麻尋?」

「うん。私たち、ずっと部屋の片付けしてたよね」

奥から麻尋が、全く動じない平坦な声で同意する。


(……チッ、完璧なポーカーフェイスだ)

安藤は内心で歯噛みした。

部屋の隅に置かれた段ボールの配置、彼女たちの重心の置き方、そして一切の動揺を見せない視線。噂通り、関東の裏社会で慣らした「元プロ」の佇まいだ。

突撃したところで、そう簡単にシッポを出すようなタマではない。


その時、部屋の奥から、ワイングラスを片手にした年長の星野由紀子が、妖艶な笑みを浮かべて現れた。


「あらあら、若い女の子たちをそんなに虐めないで頂戴、探偵さん。……そんなにルシアっていうフィリピンの女の子の事件が気になるなら、私たちを疑うより、もっと適任の人がいるわよ」


由紀子の言葉に、勉の眉が跳ね上がる。

「適任、とは?」


「この街の裏も表も知り尽くしている。……『根古親司』さん。

あの人に話を聞きに行ったらどうかしら? ちょうど今、あの人の飼い猫の『ヤマト』が、うちのベランダに迷い込んできていてね。今からお返しに伺おうと思ってたの」


由紀子が指差したリビングの窓辺には、あの河川敷の死体の傍らにいた黒猫ヤマトが、まるで最初から彼女たちの身内であるかのように、静かに毛づくろいをしていた。


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