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可児奇譚  作者: 賀茂丈晴
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第二章  第六話「前夜」

---


 決行は翌朝、六時に設定された。


 倉庫の住所は全員が把握していた。

 役割は全員が把握していた。

 それでも、その夜は長かった。


---


**根古 ラクカ 午後十一時**


 太田が閉店後の店を開けていた。


 根古はカウンターに座っていた。コーヒーは三杯目だった。ヤマトは根古の膝の上で丸くなっていた。いつもより重く感じた。


 テーブルの上に、手書きのメモがあった。


 倉庫の構造図。レビンが入手した。


 建物は一棟。入口は二つ、表と裏。内部は大部屋が一つと、奥に小部屋が二つ。電気は通っている。水道は不明。


 鳴海がどの部屋にいるか、まだわからない。


 根古はメモを見た。見続けた。


 太田が新しいコーヒーを置いた。


「根古さん」


「なんだ」


「今夜は眠れますか」


「眠らない」


「眠れない、じゃなくて?」


 根古は少し間を置いた。


「……眠らない、だ」


 太田は何も言わなかった。それ以上聞かなかった。


 それが、太田豊という人間だった。


 ヤマトが根古の膝の上で少し動いた。前足を伸ばして、また丸くなった。


 根古はヤマトの背中に手を置いた。


 明日、全部終わらせる。


 そう思った。


---


**鳴海 倉庫 同じ夜**


 暗かった。


 窓がない部屋だった。床はコンクリートで、冷たかった。毛布が一枚あった。


 鳴海美佑は壁にもたれて座っていた。


 怖かった。正直に言えば、怖かった。


 でもカメラのことを考えていた。


 公民館の床に落ちたカメラ。録画は続いていたはずだ。誰かが拾ったか。電池が切れる前に、誰かに届いたか。


 あのカメラには、男の声が入っている。「残ったものです」という声が。


 それだけで充分かもしれない。


 充分じゃないかもしれない。


 鳴海は膝を抱えた。


 根古さんは動いているだろうか。


 安藤さんは。江戸川さんは。


 ??お前のことだから、押したはずだ。


 誰かがそう言った気がした。


 声ではなかった。でも聞こえた。


 鳴海は少し笑った。


 笑えた。それだけで、今夜は充分だと思った。


---


**澪 自室 深夜十二時**


 眠れなかった。


 当然だ、と澪は思った。眠れる状況じゃない。


 スマホを見た。師匠からのメッセージが来ていた。


「明日の澪の役割、確認する。連絡中継と、アダムの安全確保。倉庫には近づくな」


 澪は返信した。


「わかりました」


 少し待った。それから、もう一行送った。


「師匠、気をつけてください」


 既読がついた。


 返信はなかった。


 でもそれが答えだと、澪は思った。


 根古が「気をつける」と言葉にする人間ではないことを、一年間で澪は知っていた。


 澪は天井を見た。


 今夜の自分の役割は、待つことだ。


 待つことが、こんなに難しいとは思わなかった。


 でも師匠は言った。「大事な仕事だ」と。


 シーズン1のときも、同じことを言われた。


 あのときも、ちゃんと大事だった。


 だから今回も、大事だ。


 澪は目を閉じた。眠れないとわかっていたが、目を閉じた。


---


**レビン ホテル 深夜**


 アダムは隣の部屋で眠っていた。


 レビンは窓の外を見ていた。可児市の夜景は静かだった。大きな街ではない。でも今夜、この街のどこかで、鳴海美佑が一人でいる。


 レビンは祖母のことを思った。


 一九四〇年、カウナスで、十七歳の祖母が領事館の窓口に並んだ。ビザをもらうために。


 そのビザを書いた人間がいた。


 その人間が生まれたのは、岐阜だった。


 歴史は繋がっている。どこかで必ず、繋がっている。


 レビンは窓から離れた。


 明日の確認をした。アダムの移動ルート。北村との連絡タイミング。雨月への報告経路。


 全部、頭に入っていた。


 レビンは椅子に座った。目を閉じなかった。


 エージェントの仕事は、待つことに慣れることだ。


 でも今夜は、少し違う種類の夜だった。


---


**星野・千紗都・麻尋 マンション 深夜**


 三人は同じ部屋にいた。


 麻尋はパソコンの前にいた。最後の確認をしていた。


 千紗都はソファで足を組んで目を閉じていた。眠っているのか起きているのか、わからなかった。


 由紀子は窓の外を見ていた。


「由紀子さん」麻尋が言った。「曽根に送った手紙、今朝届いたはずです。反応は」


「事務所の電話が、今日だけで十二回着信して全部出なかった」


「焦っている」


「ああ」


「鳴海さんを動かそうとする可能性は」


「ある。だから明日の朝が早い方がいい」


 千紗都が目を開けた。


「眠れないなら、話しませんか」


「何を」


「なんでもいいです。昔話でも」


 由紀子は千紗都を見た。


 二十三歳。まだ若い。でもこの仕事を知っている。


「昔話は長くなる」


「長くていいです。朝まで時間があります」


 麻尋がパソコンを閉じた。


 由紀子は窓から離れて、ソファに座った。


「どこから話す」


「最初から」千紗都が言った。「由紀子さんがこの仕事を始めたところから」


 由紀子は少し黙った。


「……長い話になる」


「言いました、長くていいって」


 由紀子は少し笑った。


 三人分の夜が、静かに続いた。


---


**北村 部屋 午前二時**


 私はまだ起きていた。


 起きている理由は一つだ。倉庫のネットワーク遮断の準備が、まだ終わっていない。


 正確には、終わっていたが、もう一度確認していた。


 三回確認した。


 四回目を始めようとして、やめた。


 これ以上確認しても、変わらない。準備は完璧だ。


 私はコーヒーを淹れた。


 窓の外を見た。


 この街に来て二ヶ月半になる。最初は任務だった。今も任務だ。でも今は、それだけじゃない気がしていた。


 何が違うのか、うまく言葉にできなかった。


 ただ、明日の六時が来るのを、私は待っていた。


 それだけは、はっきりしていた。


---


**安藤・江戸川 事務所 午前三時**


 配信を終えたのは、深夜二時だった。


 十五時間連続だった。


 江戸川がカメラの電源を落とした。


 二人は何も言わずにいた。


 江戸川が静かに言った。


「鳴海さん、怖いですよね、今夜」


「そうだな」


「俺たちは何もできない」


「できることはした」


「それだけじゃ??」


「江戸川」安藤が言った。「俺たちがした十五時間の配信で、倉庫の場所が特定できた。あの視聴者のコメントがなかったら、わからなかった」


 江戸川は少し黙った。


「……そうですね」


「それが俺たちの武器だ」


 江戸川がうなずいた。


 二人はそのまま、事務所のソファで目を閉じた。


 眠れるかどうか、わからなかった。


 でも朝は来る。


 六時になれば、全部動く。


---


 その夜、可児市は静かだった。


 街灯がぽつぽつと光っていた。


 どこかで犬が吠えた。


 そしてまた、静かになった。


 朝まで、あと三時間だった。


---


*── 第六話 了 ──*



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