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可児奇譚  作者: 賀茂丈晴
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第二章 第三話「命のビザの子孫」

視点:レビン・ダヴィッド


---


 私の祖母は、一九四〇年に杉原千畝のビザで生き延びた。


 リトアニアのカウナスから、日本を経由してアメリカへ。

十七歳だった。手荷物は一つだけ。でも命は持っていた。


 その命が私に繋がった。


 だから私はこの国に、特別な感情を持っている。恩義、とも呼べるし、責任とも呼べる。

どちらでも構わない。ただ、この国で起きることに、他人事でいられない。


 それが、私がモサドに入った理由の一つだ。


---


 東海エリアに来て、二ヶ月になる。


 任務は二つある。


 ひとつは、杉原・樋口両氏の記念施設の安全確認と保全支援。

近年、歴史修正主義的な動きが国際的に活発化しており、こうした施設への嫌がらせや破壊行為が各国で報告されている。日本も例外ではない。


 もうひとつは、アダム・ハイマンの安全確保だ。


 アダムは私の任務上の保護対象ではない。個人的な繋がりだ。

彼の祖父と私の祖母は、同じビザで同じ船に乗った。その縁で、アダムが日本に来ると聞いたとき、私は連絡を取った。


「何かあれば、連絡してくれ」


 アダムはうなずいた。


 その「何か」が、起きた。


---


 アダムから連絡が来たのは三日前だった。


「尾行されている気がする」


 私はすぐに動いた。アダムのホテルを変えた。

移動ルートを変えた。接触してくる人間を観察した。


 二日前、アダムが言った。


「鳴海美佑という女性と会っている。YouTuberだ。信頼できると思う」


 私は鳴海美佑という名前を調べた。


 可児市在住。二十四歳。半年前の人身売買事件の公開配信に関わった人物。


 繋がった。


 残党が動いている。そしてアダムを狙っている。


 なぜアダムを狙うのか。


 理由は一つしか思いつかなかった。


 アダムが知っている何かを、残党は恐れている。


---


 昨夜、鳴海美佑が消えた。


 アダムから連絡が来たのは、深夜だった。


「鳴海さんが、会いに来た知らない人間に連れて行かれた。私はホテルにいた。彼女が一人で行くと言ったので、止められなかった」


 アダムの声は震えていた。


「あなたのせいじゃない」と私は言った。「今すぐホテルから出るな。鍵をかけて、朝まで動くな」


「鳴海さんは??」


「私が動く」


 電話を切った。


 私はすでに靴を履いていた。


---


 公安の担当者に連絡したのは、今朝の六時だった。


 担当者の名前は、ここでは書かない。長い付き合いの人間だ。東海エリアの公安を仕切っている。


「鳴海美佑の失踪と、アダム・ハイマンへの尾行。繋がっている」


「根拠は」


「半年前の組織の残党が動いている。アダムは杉原ビザの子孫だ」


 間があった。


「……レビン、それは確かか」


「確かだ」


「可児署に、信頼できる人間がいる。雨月雅之という警部補だ。彼に繋ごう」


 雨月雅之。


 その名前は、鳴海美佑の事件の記録に出てきた名前だった。


「わかった」


---


 可児署の近くの喫茶店で、雨月と会ったのは昼前だった。


 若い男だった。二十八歳。でも目が老けていた。たくさんのものを見てきた目だ。


 私は席に座った。日本語で話した。私の日本語は完全ではないが、会話には困らない。


「レビン・ダヴィッドです」


「雨月です」雨月は静かに言った。

「公安から聞きました。モサドの方が可児にいるとは思いませんでした」


「私も思っていませんでした。でも縁というのは、そういうものです」


 雨月はコーヒーを一口飲んだ。


「鳴海さんのことは、今朝から把握しています。

安藤と江戸川がYouTubeで公開捜査を始めました」


「見ました」


「レビンさんは、なぜアダム・ハイマンが狙われていると思いますか」


 私は少し考えた。


 正直に話すことにした。


「アダムの祖父は、杉原ビザで生き延びる前に、ある記録を持ち出した。

戦時中の、ある取引の記録です。何十年も眠っていた。でも最近、その記録の存在が表に出てきた」


「その記録が、残党に関係している?」


「可能性があります。残党の資金源の一部が、戦時中の密輸ルートを起源に持つという情報があります。アダムの祖父が持ち出した記録には、そのルートの原型が含まれているかもしれない」


 雨月が手帳を出した。


 書き始めた。


「……歴史が、今の事件に繋がっている」


「そういうことです」


 雨月が顔を上げた。


「根古さんに話しますか」


 私はその名前を聞いて、少し止まった。


「根古親司?」


「知っていますか」


「名前は知っています。どんな人間かは、まだ知らない」


 雨月がかすかに笑った。珍しそうな笑い方だった。


「会えばわかります。ただの市民です」


 私は雨月を見た。


「……それは、どういう意味ですか」


「会えばわかります」


 雨月が繰り返した。


---


 その夜、ラクカという茶店に行った。


 カウンターに、一人の男がいた。五十八歳。黒猫を膝に乗せていた。


 男が私を見た。


 私も男を見た。


 一秒で、わかった。


 この男は、ただの市民ではない。


 でも何者かは、まだわからない。


 男が口を開いた。


「レビンさん、ですね」


「そうです」


「根古です」男は言った。「ただの市民です」


 黒猫が私を見た。


 興味なさそうな目だった。


 それが、少しだけ、おかしかった。


---


*── 第三話 了 ──*



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