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可児奇譚  作者: 賀茂丈晴
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13/45

東京から来た女達 可児に根を張る

視点 : 西野 千紗都

【 十二月 貸家 朝 】

江戸川勉とは、少しずつ距離が縮まっていった。


最初の一週間は、ゴミ出しで顔を合わせる程度だった。千紗都が「おはようございます」と言い、江戸川が「おはようございます」と言う。それだけだった。


変わったのは、江戸川が事務所の前でタイヤがパンクしているのを発見した朝だった。


千紗都はシロで買い物に行こうとしていた。


「乗せていきますよ」と千紗都は言った。


「いいんですか」


「近くに用事があるなら」


江戸川は少し考えてから乗り込んだ。


シロの助手席は狭かった。江戸川の膝が少しダッシュボードに当たっていた。


「狭くてすみません」と千紗都が言った。


「いえ。……シロって書いてありますね、ここ」


シートの背に、千紗都が小さくシロと書いたシールが貼ってあった。


「名前です。車の」


「かわいいですね」


「でしょう」


それだけで、少し空気が和らいだ。


江戸川を降ろす前に、千紗都は聞いた。


「江戸川さん。うちの三人のこと、根古さんから聞いてますよね」


「……大まかには」


「怖くないですか、隣に住んでいて」


江戸川は少し考えてから言った。


「怖いかどうかより??面白い人たちだと思います」


千紗都は江戸川を見た。真顔だった。


「……探偵さんって、変わってますね」


「よく言われます」


千紗都は笑った。江戸川も少し笑った。


それからふたりは、月に何度か言葉を交わすようになった。多くはない。だが、確かにある距離感だった。


視点 : 古田 麻尋

【 同月 可児市内 各所 】

麻尋は街を歩くことを日課にした。


東京では、街を歩くのは仕事のときだけだった。目的がなければ歩かなかった。可児では違った。目的がなくても歩いた。


商店街を歩いた。顔なじみになった人が何人かできた。八百屋のおばさん。パン屋のお兄さん。郵便局の窓口のおじさん。


可児署の前もよく通った。雨月や山本と、路上で顔を合わせることが増えた。挨拶をする程度だったが、それで十分だった。


??警察の動向は、顔を知っているだけで変わる。動きが読めるようになる。


それは仕事の習慣だったが、可児では少し意味が違った。動向を把握するのは、脅威を避けるためではなく??この街を知るためだった。


ある日、ラクカの近くで平巡査長とすれ違った。二十四歳、根古の関係者だと江戸川から聞いていた。


「古田さん、ですよね」と平が言った。「可児に住んでいると聞きました」


「はい。よろしくお願いします」


「こちらこそ。何かあれば」


それだけの会話だったが、麻尋には十分だった。


??この街の警察は、根古さんの周りにいる人間を知っている。それは、こちらにとっても守りになる。


東京では、警察は避けるものだった。


可児では、隣にいるものだった。


その違いが、麻尋には少しずつ、大きなことに感じられてきた。


視点 : 星野 由紀子

【 同月 貸家 夜 】

根古のことを、星野はよく考えた。


直接会うのは週に一度か二度、ラクカで顔を合わせる程度だった。根古から連絡が来ることはない。星野から連絡することもない。


だが不思議と、根古のことが気になった。


??気になる、というのは心配ではない。関心、に近い。


あの男は何を考えているのか。守護霊たちは今日も何かを言っているのか。ヤマトは今日も重いのか。


そういうことを、ふと考えた。


千紗都に言うと笑われそうだったので、言わなかった。


ある夜、星野はラクカに一人で行った。根古がいた。端の椅子に座って、コーヒーを飲んでいた。いつもの場所だった。


星野は向かいに座った。


「根古さん」と星野は言った。「あなたは、私たちがここにいることを、どう思っていますか」


根古は少し考えてから言った。


「悪くないと思っています」


「それだけですか」


「……千紗都さんが縁側で日向ぼっこをしているのを見たとき、この街に合っていると思いました」


星野は少し驚いた。


「見ていたんですか」


「たまたま通りかかっただけです」


「麻尋は」


「街をよく歩いている。それが、この街の人間になるということです」


「私は」


根古はコーヒーを一口飲んだ。


「あなたは??可児の夜空を見るようになりました」


星野は少し間を置いた。


「……見ています。東京では見えなかったので」


「それで十分です」と根古は言った。


太田がコーヒーを持ってきた。星野の前に置いた。何も言わなかった。


星野はコーヒーを飲んだ。


??この男は、私たちを裁かない。ただ、見ている。それが??ありがたい。


そういう人間が、東京にはいなかった。


視点 : 西野 千紗都

【 冬 貸家 縁側 】

柿の木の最後の一つの実が落ちたのは、十二月の終わりだった。


千紗都が縁側でそれを見つけた。実は庭の土の上に落ちていた。傷ついていなかった。ただ、静かに落ちていた。


拾って、台所に持っていった。


麻尋が台所にいた。


「柿、落ちてました」と千紗都は言った。


「食べますか」


「三等分しよう」


麻尋が包丁で柿を三つに切った。


星野を呼んだ。三人で縁側に座って、柿を食べた。


甘かった。


「旨いですね」と麻尋が言った。珍しく、すぐに言った。


「この木が育てた柿だよ」と千紗都は言った。「来年も実がなるかな」


「来年もいるんですか、ここに」と麻尋が聞いた。


「いるつもり。麻尋は?」


「……いると思います」


ふたりが星野を見た。


星野は柿を食べながら、庭を見ていた。


「来年の柿が落ちるまで、ここにいます」


千紗都が笑った。麻尋も、少し笑った。


「それって、何年でも、ってことですよね」と千紗都が言った。


「柿の木次第です」と星野は言った。


縁側に、冬の日差しが当たっていた。


可児川の方から、風が来た。


三人は、しばらくそのままでいた。



視点 : 古田 麻尋

【 大晦日 貸家 】

大晦日の夜、三人でテレビを見ていた。


紅白歌合戦が流れていた。千紗都が知っている曲が出てくるたびに少し歌った。麻尋は知らない曲の方が多かったが、それでも見ていた。


年が変わる少し前、江戸川の部屋から物音がした。何か落としたらしかった。


「江戸川さん、一人ですよね、今日」と千紗都が言った。


「そうですね」


「呼んでこようかな」


「……それは、どうでしょう」と麻尋は言った。


「なんで」


「安藤さんも今夜は一人かもしれない」


千紗都は少し考えてから立ち上がった。


「両方呼んでくる」


星野が言った。


「お酒、買ってきていません」


「シロで行きます。コンビニ、年末でも開いてるから」


千紗都はコートを着て出て行った。


麻尋と星野が残った。テレビから歌が流れていた。


麻尋が言った。


「由紀子さん。来年、どうなると思いますか」


「何が」


「私たちが、この街で」


星野はテレビを見たまま言った。


「わかりません。でも??根古さんの守護霊がざわめく限り、この街では何かが起きます。そのたびに、私たちも動くことになると思います」


「それでいいんですか」


「……いいと思っています。今は」


麻尋はそれを聞いて、少し考えた。


「私も、同じです」


ドアが開いた。千紗都が戻ってきた。後ろに江戸川と安藤がいた。


「連れてきました」と千紗都が言った。両手にコンビニの袋を持っていた。「お酒とおつまみと、年越しそばも買ってきました」


「お邪魔します」と江戸川が言った。


「……お邪魔します」と安藤が少し遠慮がちに言った。


麻尋は立ち上がって、台所から鍋を出した。


五人で年越しそばを作った。狭い台所で、少し窮屈だったが、誰も気にしなかった。


年が変わる少し前、根古からメッセージが来た。


千紗都がスマートフォンを見て言った。


「根古さんから。『良いお年を。ヤマトも』って」


江戸川が笑った。安藤も笑った。


星野が返信を打った。


??「良いお年を。来年もよろしくお願いします」


すぐ返信が来た。


??「体調のいい日に」


千紗都が声に出して笑った。麻尋が天井を見た。


テレビから、カウントダウンが始まった。


五人で、年が変わるのを待った。


可児の夜が、静かに更けていった。







【 後日談 】


星野由紀子、西野千紗都、古田麻尋の三人は、翌年の春も可児にいた。柿の木には新しい葉が出た。


白い軽バン「シロ」は可児市内を走り続けた。山道も、川沿いも、商店街も。千紗都の運転で。


江戸川勉とは、つかず離れずの関係が続いた。朝のゴミ出しで顔を合わせ、時に同じ方向へ動き、時に別々に動いた。それが心地よかった。


麻尋は可児市内の地理を、誰よりも詳しく覚えた。警察の動向も、近隣の状況も、頭の中にあった。それがいつか役に立つと、麻尋は静かに思っていた。


千紗都は縁側で日向ぼっこを続けた。春になると、近所の猫が縁側に来るようになった。毎朝来る三毛猫に、千紗都はミケという名前をつけた。


星野由紀子は、可児の夜空を見る習慣ができた。東京では見えなかった星が、ここでは見えた。それがどういう意味を持つのか、まだ言葉にはできなかった。でも、毎晩見た。


根古親司は相変わらず引きこもっていた。体調のいい日だけ、少し特別なことができた。ヤマトは重かった。


ラクカには今日も、コーヒーの香りがする。






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