東京から来た女達 貸家と軽バンと隣人
視点 : 西野 千紗都
【 十一月 可児市内 不動産屋 】
貸家を探し始めたのは、千紗都の提案だった。
宿に長期滞在するより安い。三人で使えば一人当たりの負担も減る。
.それに??宿だと、いつでも帰れる気がする。家を借りると、ここにいることが決まる。
??決めたかった。自分で、ここにいると。
不動産屋のおじさんは、三人組の女が来たことに少し驚いたようだったが、すぐ案内してくれた。可児市内のいくつかの物件を見た。
最初の物件は駅から遠すぎた。二番目は天井が低かった。三番目は??良かった。
築三十年の一戸建て。二階建てで、部屋が四つ。庭に柿の木が一本。縁側がある。家賃は月六万二千円だった。
「ここにします」と千紗都は即決した。
「早くないですか」と麻尋が言った。
「縁側があるから」
「それが理由ですか」
「縁側で日向ぼっこしたい。ずっと思ってた」
星野は物件を一周してから言った。
「悪くない。借ります」
不動産屋のおじさんが、ほっとした顔をした。
視点 : 古田 麻尋
【 同日 貸家 引っ越し当日 】
荷物は少なかった。三人合わせてもダンボール十二箱だった。
麻尋は自分の部屋に荷物を置いて、窓を開けた。庭が見えた。柿の木に、まだ実が二つ残っていた。
??部屋がある。自分の部屋が。
東京の共同生活でも部屋はあった。だがあれは「仕事の拠点の中の部屋」だった。ここは??違う気がした。うまく言葉にならなかったが、違った。
階段を降りると、千紗都が縁側に座っていた。外を向いて、庭を見ていた。冬の日差しが縁側に当たっていた。
「日向ぼっこしてるんですか」と麻尋は言った。
「してる。最高」
「引っ越し終わってないですよ」
「ダンボール、明日開けます」
麻尋は少し考えてから、千紗都の隣に座った。
庭の向こうに、路地が見えた。静かな住宅街だった。
「麻尋も日向ぼっこ?」と千紗都が言った。
「……することにします」
ふたりでしばらく、庭を見ていた。
星野が二階から降りてきた。手に雑巾を持っていた。
「ふたりとも何をしているんですか」
「日向ぼっこです」と千紗都が答えた。
「引っ越しが終わっていません」
「明日やります」
星野は少し間を置いてから、雑巾を置いて縁側に座った。
三人で庭を見た。
「……悪くない」と星野は言った。
「でしょう」と千紗都は笑った。
視点 : 星野 由紀子
【 翌日 可児市内 中古車屋 】
移動手段が必要だった。
可児は車社会だ。徒歩と電車だけでは動きに限界がある。特に山間部や廃墟周辺を動くには、それなりの車が要る。
加藤敬三の自動車屋を、イエンガーから紹介してもらった。
六十歳の男で、口数が少く、車に詳しかった。星野が「目立たない、荷物が積める、山道でも走れる」と条件を出すと、黙って奥から一台引き出してきた。
白い軽バンだった。
走行距離は多いが、整備は行き届いていた。荷室が広く、後部座席を倒せばフラットになる。汚れが目立たない色だった。
「これにします」と星野は言った。
「即決ですね」と加藤は言った。嬉しそうではなかったが、悪い顔でもなかった。
「条件に合っています」
「ナンバー、地元のにしますか」
「お願いします」
加藤は少し星野を見てから言った。
「長く住むんですか、可児に」
「しばらく」
「しばらくが長くなる人が多い街ですよ、ここは」
星野はその言葉を、帰り道ずっと考えた。
視点 : 西野 千紗都
【 同日 貸家 夕方 】
白い軽バンが家の前に停まったとき、千紗都は縁側から見ていた。
「かわいい」と千紗都は言った。
「軽バンがかわいいですか」と麻尋が隣で言った。
「白くて小さくてかわいい。名前、つけよう」
「車に名前を」
「シロ」
「そのままですね」
「わかりやすい方がいい」
星野が車から降りてきた。
「千紗都が名前をつけようとしています」と麻尋が報告した。
「シロです」と千紗都が言った。
星野はバンを見て、少し考えてから言った。
「……悪くない」
「採用ですね」と千紗都が笑った。
その夜、三人でシロに乗った。試乗がてら、可児市内をひと回りした。
助手席に星野、後ろに麻尋。千紗都が運転した。
可児川沿いを走った。夜の川が光っていた。神社の前を通った。商店街を通った。ラクカの前を通った。灯りがついていた。
「ここで生活するんだな」と千紗都は呟いた。
「東京と全然違いますね」と麻尋が言った。
「いい意味で?」と千紗都が聞いた。
「……いい意味で」
星野は窓の外を見たまま、何も言わなかった。
??しばらくが、長くなるかもしれない。
加藤の言葉が、また浮かんだ。
視点 : 古田 麻尋
【 翌朝 貸家の外 路地 】
朝、ゴミ出しに出ると、隣の建物から男が出てきた。
二十五歳くらい。くたびれたジャケット。首に手製のIDカード。
??見覚えがある。
鬼が島の現場で見た顔だった。あのとき千紗都が「探偵か記者か」と言っていた男だ。
男が麻尋に気づいた。一瞬、目が止まった。麻尋も止まった。
男が言った。
「おはようございます。隣の江戸川です。探偵をやっています」
麻尋は少し間を置いてから言った。
「古田麻尋です。昨日から隣に引っ越してきました」
「あ、そうなんですね。三人で住んでいる方たちですか」
「はい」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ふたりはゴミを出して、それぞれの家に戻った。
麻尋は家に入ってから、千紗都に言った。
「隣が江戸川さんでした」
「え、本当に?」と千紗都が目を丸くした。「偶然?」
「偶然か、必然か??」麻尋は少し考えた。「この街では、区別がつかない気がします」
星野が二階から降りてきた。
「何の話ですか」
「隣が江戸川探偵事務所です」と麻尋が言った。
星野は少し目を細めた。
「……根古さんが知ったら、何か言いそうですね」
「体調のいい日に、と言いそうです」と千紗都が笑った。
麻尋も、少し笑った。
視点 : 星野 由紀子
【 同日 午後 貸家 縁側 】
引っ越しから三日が経った。
ダンボールはほぼ片付いた。千紗都が縁側に小さな植木鉢を置いた。麻尋が台所の棚を整理した。星野は何もしなかったわけではないが、気づいたら家がそれなりに「住んでいる家」になっていた。
縁側で茶を飲んでいると、隣の方から声が聞こえた。江戸川の電話の声らしかった。
??この男は、朱音の依頼を受けて動いていた。今はこの街で根を張っている。
縁側の向こうに、柿の木があった。残っていた実が、いつの間にか一つになっていた。鳥が食べたのかもしれない。
千紗都が縁側に来て、隣に座った。
「由紀子さん。江戸川さんと、ちゃんと話したほうがいいですかね」
「そのうち」と星野は言った。
「そのうち、というのはいつですか」
「隣に住んでいれば、自然に話す機会が来ます」
「由紀子さんって、そういうとこ根古さんに似てきてますよ」
星野は茶を一口飲んだ。
似ていますか」
「「体調のいい日に」的な返しをする感じが」
星野はしばらく考えた。
「……それは、褒め言葉ですか」
「褒め言葉です」と千紗都は笑った。
麻尋が台所から顔を出した。
「お茶、もう一杯淹れますか」
「お願いします」とふたりは同時に言った。
麻尋が引っ込んだ。
縁側に、十一月の日差しが当たっていた。
柿の木が風に揺れた。最後の一つの実が、午後の光の中でオレンジ色に光っていた。
??可児に、家ができた。
星野はそれを、東京を出てから初めて、素直に思った。




