表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
可児奇譚  作者: 賀茂丈晴
PR
10/43

東京から来た女達 三つの始まり

視点 : 星野 由紀子

【 七年前 東京 某所 】

星野由紀子が初めて人を傷つけたのは、三十三歳の秋だった。


傷つけた、という表現は正確ではないかもしれない。依頼があり、対象がいた。対象は生きていた。ただ、二度と同じことができない体になった。それだけだ。


星野はその夜、タクシーの中で窓の外を見ていた。東京の夜は明るすぎて、星が見えない。


??後悔しているか。


自分に問いかけた。答えは出なかった。


対象は、十四歳の少女を売った男だった。それだけ知っていた。依頼人が誰かは知らない。知る必要がない、と教えられていた。


星野がこの仕事に入ったのは、三十一歳のときだった。元々は民間の調査会社にいた。調査から、いつの間にか一歩踏み込んだ仕事を引き受けるようになり、気づいたときには戻れないところにいた。


仕事を紹介したのは、今は亡き上司だった。「お前には向いている」と言った。理由は聞かなかった。


??向いているとは、どういう意味だったのか。


七年経った今も、星野にはわからなかった。


視点 : 西野 千紗都

【 五年前 東京 下北沢 某アパート 】

西野千紗都は十八歳のとき、家を出た。


理由は単純だった。いられなくなったからだ。父親がいなくなり、母親が別の男を連れてきた。その男が千紗都を見る目が、最初から気に入らなかった。千紗都は荷物を一つにまとめて、夜中に出た。振り返らなかった。


下北沢に部屋を借りた。家賃が払えなくなったら、払えるようになる仕事をした。詳細は言わない。生きていた。それだけだ。


十九歳のとき、星野由紀子に会った。


場所は、下北沢の小さなバーだった。千紗都がバイトをしていた店だ。星野は一人で来て、一人でウイスキーを飲んで、一人で帰ろうとした。


帰り際に千紗都を見た。ただ、見た。それだけだったが??千紗都はその目に、怯まなかった。


星野が立ち止まった。


「名前は」


「千紗都です」


「仕事、変えませんか」


「どんな仕事ですか」


「危ない仕事です」


千紗都は少し考えた。三秒だった。


「今の仕事より危ないですか」


星野は千紗都を見た。それから、初めて笑った。


「同じくらいかもしれない」


千紗都はエプロンを外した。


視点 : 古田 麻尋

【 四年前 東京 新宿 某ビル屋上 】

古田麻尋が星野に会ったのは、屋上だった。


麻尋は仕事の途中だった。依頼主に雇われた別の人間が、麻尋の対象に先に接触しようとしていた。それを阻止するために屋上に来た。


その「別の人間」が、星野由紀子だった。


屋上で向き合った。夜だった。風が強かった。


星野は麻尋を見た。麻尋は星野を見た。


どちらも動かなかった。三十秒ほど。


それから星野が言った。


「あなた、依頼主は誰ですか」


「言えません」


「私と同じ依頼主です」


麻尋は少し考えた。


「……証拠は」


「依頼書の最後の番号、0714ですか」


麻尋は答えなかった。それが答えだった。


星野は手を下ろした。麻尋も下ろした。


「同じ依頼を、二人に出した。テストでしょう」と星野は言った。「どちらが先に動くか見ていた」


「……腹が立ちます」と麻尋は言った。初めて感情を出した。


「私も」と星野は言った。「一緒に怒りに行きますか、依頼主のところへ」


麻尋は星野を見た。


??この人は、怒るとき笑わない。それが信用できる気がした。


「行きます」


それが、麻尋と星野の始まりだった。


視点 : 星野 由紀子

【 四年前 東京 三人になった夜 】

千紗都と麻尋が初めて会ったのは、その依頼主への「抗議」の翌日だった。


星野が引き合わせた。カフェで、三人が向き合った。


千紗都が麻尋を見た。麻尋が千紗都を見た。


しばらく、ふたりとも何も言わなかった。


「同い年ですか」と千紗都が最初に言った。


「十九です」と麻尋が答えた。


「同じです」


また沈黙。


「誕生日は」と千紗都が聞いた。


「三月」と麻尋が答えた。


「私は十一月。私の方が先輩ですね」


「……何の先輩ですか」


「この仕事の」


麻尋はそれを聞いて、無表情のまま少しだけ目が丸くなった。千紗都はそれを見て、笑った。


星野はコーヒーを飲みながら、ふたりを見ていた。


??これで、三人になった。


それが正しいかどうかは、わからなかった。ただ、ふたりの十九歳を一人にしておくよりは、自分の目の届くところにいる方がいいと思った。


??それが、母性というものなのかもしれない。


星野は自分でその言葉を思い浮かべて、少し戸惑った。自分にそういう感情があるとは、思っていなかった。


視点 : 西野 千紗都

【 三年前 東京 共同生活 始まり 】

三人で住み始めたのは、千紗都が二十歳になった頃だった。


東京の西側、古いマンションの一室。三LDKで、星野が一部屋、千紗都と麻尋がそれぞれ一部屋を使った。


最初の一ヶ月は、奇妙な静けさがあった。


三人ともあまり喋らなかった。仕事の話は仕事のときだけ。食事は一緒にとることもあれば、一人で食べることもあった。


変わったのは、二ヶ月目だった。


深夜、台所で千紗都がラーメンを作っていると、麻尋が来た。


「一人分ですか」


「今から作るなら二人分にします」


麻尋は椅子に座った。


ラーメンを食べながら、麻尋が言った。


「千紗都さんは、なぜこの仕事をしているんですか」


「他に向いてる仕事がなかったから。麻尋さんは?」


「……気づいたら、ここにいました」


「それ、答えになってないですよ」


「答えが見つかっていないんです」


千紗都はラーメンを食べながら考えた。


「じゃあ一緒に探しましょう。答え」


麻尋は千紗都を見た。


「……どうやって」


「生きていれば、いつか出てくるんじゃないですか。たぶん」


麻尋はしばらく考えてから、ラーメンを一口食べた。


「……たぶん、ですか」


「私も確信はないです」


それから二人は、しばらく黙ってラーメンを食べた。


その日から、麻尋が深夜に台所に来ることが増えた。千紗都はいつも二人分作った。


星野はそれを知っていたが、何も言わなかった。


視点 : 古田 麻尋

【 二年前 東京 ある夜 】

麻尋が初めて泣いたのは、二十一歳の夜だった。


仕事の帰りだった。対象は生きていた。依頼は果たした。だが対象の部屋に、写真があった。家族の写真だった。子どもが二人、笑っていた。


??その子どもたちは、今夜から父親を失う。


部屋に帰って、シャワーを浴びた。それから、気づいたら泣いていた。


声は出なかった。ただ、涙が止まらなかった。


ドアがノックされた。


「麻尋」と千紗都の声がした。「ラーメン、作ったよ」


麻尋は答えなかった。


少し間があって、ドアが開いた。千紗都が入ってきた。麻尋の顔を見て、何も言わなかった。ただ隣に座った。


しばらくして、廊下から別の足音がした。


星野が入ってきた。千紗都の反対側に座った。


三人で、しばらく黙っていた。


星野が言った。


「泣いていい」


それだけだった。


麻尋はまた泣いた。今度は少し、声が出た。


千紗都が麻尋の背中に手を置いた。星野は動かなかった。ただ、そこにいた。


??この人たちがいる。


麻尋は初めて、そう思った。


それが何を意味するのか、言葉にはできなかった。ただ、確かなことだった。


ラーメンは、三人で食べた。伸びていたが、誰も気にしなかった。


視点 : 星野 由紀子

【 一年前 東京 朱音との別れ 】

藤原朱音が「足を洗う」と言ったのは、春の夜だった。


三人とラクカで、いつものように仕事の後始末を話していた。朱音は一年前から加わっていた。優秀だった。判断が速く、感情をコントロールできた。


だがその夜、朱音の顔が違った。


「由紀子さん。私、辞めます」


千紗都が手を止めた。麻尋が朱音を見た。


「理由を聞かせてください」と星野は言った。


「理由は言えません。でも、決めました」


星野はしばらく朱音を見ていた。


??引き止めるべきか。


引き止める理由は、仕事上にはあった。朱音は優秀だった。代わりは簡単には見つからない。


だが??朱音の目が、決まっていた。


「わかりました」と星野は言った。「止めません」


千紗都が星野を見た。麻尋も見た。


「由紀子さん」と千紗都が言いかけた。


「彼女が決めたことです」と星野は言った。「私たちが決めることじゃない」


朱音は頭を下げた。


「ありがとうございました」


その夜、朱音は帰った。


部屋に三人が残った。


千紗都が言った。


「本当に良かったんですか」


「良かった、とは言えません」と星野は答えた。「でも止めるのは間違いだった」


「……由紀子さんは、朱音さんのことが心配なんですね」と麻尋が言った。


星野は答えなかった。


それが答えだった。


視点 : 西野 千紗都 / 古田 麻尋

【 可児行きの前夜 東京 三人の部屋 】

可児行きを決めた夜、三人は早めに荷物をまとめた。


千紗都はリュックにカメラを入れながら、麻尋に言った。


「麻尋。朱音さん、生きてると思う?」


麻尋は少し考えてから言った。


「生きていると思います。根拠はないですが」


「私もそう思う。なんでかな」


「……由紀子さんが、生きていると思っているから、かもしれません」


千紗都は麻尋を見た。


「麻尋って、時々すごくいいこと言うね」


「そうですか」


「そうだよ」


星野がリビングから声をかけた。


「五分後に出ます」


「はい」とふたりは同時に答えた。


千紗都はリュックを背負った。麻尋も荷物を持った。


リビングに出ると、星野が立っていた。コートを着て、小さなバッグだけ持っていた。


三人で玄関に立った。


「行きましょう」と星野は言った。


ドアを開けた。


東京の夜が、外にあった。


??可児へ。朱音のところへ。


三人は、同じ方向を向いて歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ