問7.採取
素材採取の朝を迎えた。
色々考えてしまったけれど、現地で実際に素材を見る貴重な機会だ。今日という日を無駄にしないようにしっかり勉強しようと心に誓った。
(……こんな高価なものを着けるなんて緊張する。絶対に落とさないようにしなくちゃ)
アメジストのイヤリングの入った箱を前に深呼吸をひとつ。気合いを入れて耳につければ、きらりと煌めく。カイルの瞳と同じ紫色が耳元で揺れ、『とても綺麗だ』と言われた記憶がよみがえる。優しく細めた目元、少し照れたような表情……
(あ、あれは……契約結婚したから気遣ってくれてただけだから!)
慌てて浮かんだ出来事を頭から追い出した。
「変なところはないかな……?」
ほんのり赤く染まった頬に気づかないふりをして、全身を鏡で確認する。黒のローブに紺色のワンピース。ローブの裾が揺れるたびに裏地のアメジスト色がのぞく。
(これで大丈夫。準備できた!)
荷物をパンパンに詰めたリュックを背負い、編み上げのロングブーツを履いて外に出た。朝の街はまだ静かで、霧が薄く立ち込めている。
(朝の空気って気持ちいい……! 約束の時間には余裕があるけど、待っていたらすぐ時間になるはず)
街の入り口でカイルと待ち合わせしている。彼が家まで迎えに来ると言ってくれたけれど、この小さな家を見られるのは恥ずかしくて断った。
街の入り口へと続く道は、石畳が朝露でしっとりと濡れている。時折、荷馬車が通り過ぎ、馬の蹄の音が静かな朝に響く。街の外れに近づくにつれ、鳥のさえずりが大きくなる。
「ローズマリー、おはよう」
「っ!」
待ち合わせ場所の見える角を曲がると爽やかな声が響いて、思わずひゅっと息を呑む。そこにはカイルがすでに立っていた。黒のローブに、腰には剣を携え、足元は動きやすそうなショートブーツ。冒険者らしい装いが朝の光に映える。
(えっ、早い……もしかして——)
「っ、すみません! 待ち合わせの時間を間違えてしまいましたか?」
否定するように彼が首を横に振る。
「いや、間違えてないよ。久しぶりの採取だから楽しみで、つい早く目が覚めてしまっただけだ」
まるで少年のように嬉しそうに笑うのを見て安堵する。約束したから連れていってくれるだけで、高ランク冒険者のカイルなら近場の素材採取なんて興味がないと思っていた。
(楽しみにしてくれていたなら、嬉しい)
「実は、私も早く起きてしまいました」
「そうか。なら、今日は張り切って素材について教えないとな。責任重大だ」
わざとらしく悩ましげに息を吐くので、思わず笑ってしまった。
「ふふ、今日はよろしくお願いします」
「任せておいて」
カイルの目元が優しく緩み、自身の耳をトントンと指差す。
「ローズマリー、似合ってるね。とても綺麗だ」
(どうしてこういうことを言うの? あっ——)
ハッと閃いた。
(これって貴族のマナーだったわ)
忘れていたけれど貴族男性は、会った女性を褒めるのがマナーとされている。今までカイルの言葉にどきどきしていたけれど、貴族の社交辞令だからいちいち真に受ける必要はないのだ。
「……ありがとうございます」
「それにお揃いのローブも夫婦らしくていいな」
カイルがローブの裾を軽くはらって無邪気に笑う。
(だ、だめだ……マナーだと思っていても、褒められると意識しちゃう~~)
「も、もう。からかわないでください!」
二人とも黒いローブを身につけ、裏地は互いの瞳の色——カイルは私の緑、私のは彼のアメジスト色だ。遠目にはお揃いにしか見えず、恥ずかしさがこみ上げる。
「俺は事実を言っただけだぞ」
カイルがくすっと笑い、悪戯っぽく目を細める。
(もう、知らない……!)
頬を膨らませ、赤くなった顔を隠すように視線を逸らす。
「早く素材採取に行きましょう!」
「はは、了解。行こう、ローズマリー」
カイルの軽やかな声に、どきどきした気持ちを強引に素材採取に切り替えた。
(現地で素材を見る機会はそうそうないんだから、どんなことも無駄にしないでひとつ残らず全部吸収しよう!)
楽しげに笑うカイルと並び、街を出て浅い森へと向かった——
§
森に向かって三十分ほど歩く。草原が続き、遠くに森の輪郭が見えてきた。頬を撫でた風が草原の若草色を揺らし、さあ、と葉が擦れる音が広がっていく。
「ここは街にも近いし、見通しもいい。魔物出現の危険性は低いからそんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「そうなんですか?」
「ああ。でも、整備されていない道は迷いやすいから俺のそばから絶対に離れないように」
「わかりました」
大きく頷いた。
魔物が出る危険は低いとはいえ一般人は立ち入りを禁じられている。だからこそ、カイルに連れてきてもらえたのは貴重な機会だ。
「今日は浅い森の中間にある泉まで行こうと思ってるんだ。泉の近くは薬草が沢山生えてるからね」
カイルの声に、私は地図を広げた。
「泉まで片道二時間くらいの距離なんだ。休憩を挟みながら歩いても余裕を持って夕方までに戻ってくることができるよ」
「へえ、そうなんですね」
(やっぱり地図だけ見ていてもわからない。同伴してもらえて本当によかった)
「次はもう少し奥まで行こう」
(また連れてきてくれるの? 契約に回数なんて書いてなかったのに……)
契約は講師を引き受けると書いてあるだけだ。だから素材採取に連れて来なくてもいいし、一度きりでもいいはずなのに、次回もあるなんて驚きつつも感謝する。
「ぜひ、お願いします」
森に入ると、木々の合間から光の筋が差し込む。森の木漏れ日が地面にまだらな光の模様を描き、柔らかな土を歩けば湿った土の香りが漂う。
物珍しくてキョロキョロ見渡していると、カイルが木の上を指差した。
「ほら、あそこ」
「——!」
その方向に目をやると、小さなリスが木の幹を素早く駆け上がり、枝の間でちょこちょこ動き回る。その愛らしい姿に思わず笑みがこぼれた。
「リスは色々な植物の種を運ぶ役割も果たしてるんだよ」
視線をリスに向けたままカイルの言葉に耳を傾ける。
「木の実や種をくわえて移動するから、森の植生を広げるのに一役買ってる。素材鑑定士としては、そういう生態も知っておくと役立つよ。どの植物がどこに生えるか、動物の行動から推測できるからね」
「なるほど。勉強になります」
「まずは見て、感じて覚えるのが大事だ。知識は後で整理すればいい」
森の空気はひんやりとしていて、土と葉の香りが鼻をくすぐる。歩きながらカイルは木の陰に生えている小さな花を指差した。
「ここ、見てみて」
(気付かなかった……!)
「なんの薬草か分かる?」
「えっと、花の色が白と黄色……?」
「二色あるのに気づいたのはいいね。花と葉の形も見てみて」
カイルに促されて花に目をやる。
(星型の花、それに光沢のある丸い葉——)
星のような形の花と白と黄色、それから表面がつるりとした丸い葉に記憶がよみがえった。
「……ホシキンカ草ですか?」
「正解だ。どんな特徴か覚えてる?」
「えっと、花の形が星のように見えます。咲き始めは白く、次第に黄色に変化するのが特徴で葉を乾燥させると解熱や解毒の素材になります」
「正解。よく勉強してるね」
私はしゃがんでホシキンカ草を観察した。本当に花が星の形をしていて、白と黄色に咲いている。素材として持ち込まれる葉は見ることがあっても、花は図鑑でしか見たことがない。
「これ、摘んでもいいですか?」
「もちろん。でも根っこから引っこ抜かないようにね。葉だけ丁寧に採るんだ。根を残しておけば、また生えてくるから」
(初めての素材採取。どうしようすごく嬉しい……!)
彼の言葉にしっかりうなずく。
私は素材採取用に買った採取ハサミを取り出し、慎重にホシキンカ草の葉を摘む。
(帰ったら記念に押し花にしようかな)
あまりに嬉しくてこの愛らしい白と黄色の花も手元に置いておきたくなり、花もいくつか採取して布の袋にそっとしまった。
「——どうして花も採取したの?」
「……えっと、あの、とても可愛い花だったので、初めて採取した記念にしようと思って……」
改めて言葉にすると子供っぽくて恥ずかしい。カイルをおずおずと窺う。
「そうか。俺も喜んでもらえて嬉しいよ」
ふわり笑った彼は、赤い顔の私に優しい視線を向ける。
(そんな風に微笑まれると、どうしたらいいのかわからない……)
あわあわしていると、カイルがリュックから折りたたみシートを取り出した。
「よし、そろそろ休憩しようか」
「はい」
木の根元に広げてくれたシートに腰を下ろす。リュックから水筒を取り出し、ひと口飲むと思わずため息が、はあ、とこぼれた。
(思っていたより疲れていたみたい……)
夢中になっていたから気付かなかったけど、座ったら疲れがどっと出た。
「ローズマリー、手を出して」
言われるがまま差し出した手のひらにナッツとドライフルーツ、小さなクラッカーが乗せられる。
「あの、ありがとうございます」
「俺の好みで組み合わせてるんだ。ローズマリーの口にも合えばいいけど」
「えっ、自分で作ってるんですか?」
「作るといっても好きな食材をボトルに入れて混ぜてるだけだよ。冒険中は少しでも好きな物を食べたいからね」
クラッカーをつまんで口に入れると、疲れた身体に塩気が美味しく感じた。
「美味しいです……っ」
「よかった。もっと食べる?」
次々と口に運んでいると、カイルは水筒から飲み物を飲んでいる。
(私もこの流れで勧めればいいんだ……!)
私もリュックからエナジーバーを取り出す。
「あ、あの。私もエナジーバーを持ってきたので……よかったらどうぞ」
「ありがとう、いただくよ」
カイルは嬉しそうにひとつ取る。
(……口に合うといいけれど)
ハラハラしながら見守る。エナジーバーの包みをほどき、一口食べたカイルの目がパッと輝いた。
「——美味い!」
ほっと胸をなでおろす。捨てなくて正解だった。
「本当ですか?」
「うん、すごく美味しい。ローズマリーの手作り?」
「そうです」
「手作りなんて、ローズマリーはすごいな。美味しいよ」
カイルが感心したように笑う。
何度も「美味しい」と口にしながら食べ終えたので、もう一本勧めると笑顔で受け取った。ところが半分ほど食べたところで、突然動きがピタリと止まった。
「あ、あの……どうかしましたか?」
エナジーバーをまじまじと見つめているのに気づき、恐る恐る声をかける。
「これ、回復の効果があるよね?」
カイルが不思議そうに手を握ったり開いたり、腕を軽く回す。身体の変化を確かめるような仕草を何度か繰り返したあと、首を傾げた。
「微量ですが、あると思います」
(少し食べただけで、そんなことまでわかるの……? 高ランク冒険者ってすごい)
「すごいな!」
カイルの反応に驚きつつも、どこか誇らしい気持ちが湧いてくる。
「でも、これには薬草は入ってないよね?」
「えっと、疲労回復の効果がある薬草を漬けた蜂蜜を使っています」
「わざわざそんな手間を?」
「あの、回復薬は美味しくないからできるだけ飲みたくないって言われ……あっ」
(こんなこと言われても、困るのに……)
思わずモスのことを話してしまい、ハッとして口をつぐんだ。
「へえ。元彼のモスに冒険の度にこれを渡してたのか」
「な、なんで名前!?」
「なんでってローズマリーがあの夜に名前も話してたからだけど」
(私、本当になんでも話しているわね……お酒って怖い……)
カイルがにやっと笑う。
「わずかな体力の差で生死を分けることがあるのが冒険者なんだ。そいつが今まで当たり前にこの回復効果を享受していたなら、今後は大変になるよ」
「そ、そんな大袈裟な——」
「回復薬を使わず体力を回復できるのは、すごいことだ。それに、回復効果のある食べ物は総じて高価なんだよ。ローズマリー、君はもっと自分の作るものを誇っていい」
こんな風にエナジーバーを褒められたことはなかったので、胸の奥がむずむずする。モスには「ないよりマシだ」と言われ続けていたので、カイルの言葉は疲れた心に素直にじんわり染みていく。
「……ありがとうございます」
照れ隠しに小さく笑ってごまかした。
休憩を終え、再び歩き始めた。
それからもカイルはコルクになる木や料理に使える香草、着火剤になるシシカバの樹皮を次々説明してくれる。シシカバの樹皮は木の幹から剥がすだけで使え、湿った環境でも燃えるので冒険者なら使ったことがあるのだと教えてもらう。私もいくつか採取した。
(参考書を読んでいるだけじゃ、分からなかったことばかり……)
どの素材自体も、浅い森のものだから珍しいものではない。でも、生命力あふれる薬草や花の鮮やかな香りを嗅ぐことで、今までギルドに持ち込まれていた素材の鮮度や状態がわかる。多くの素材を見て、鑑定の精度を上げたいと思う——
「もうすぐ泉だな」
カイルの声に耳を澄ませば、遠くで水の流れる音が聞こえる。足を速めると、木々の隙間からキラキラと光る水面が見えた。泉のほとりまで来ると、透明な水が静かに満ちている。
(なんて綺麗……!)
思わず感嘆の声を漏らす。周囲には様々な薬草や野いちごが群生していた。美しい光景に目を奪われていると、泉の水面が静かに揺れ始め、遠くで木々が不自然に揺れて、鳥たちが一斉に飛び立つ。
(……え? な、なに!?)
「——ローズマリー、危ない! 下がって!」
カイルが剣に手をかけながら叫んだ——












