問5.買い物
素材採取の約束をした数日後。仕事も終わり、出入り口の水晶にギルドカードをかざす。
「お疲れ。今日はもう終わったの?」
後ろからカイルに明るい声で話しかけられた。
「ギルド長、お疲れさまです。はい、ノヴァさんに定時に上がるように言われてしまって……」
「はは、ノヴァから仕事熱心だと聞いてるよ。残業続きだったんだろ?」
素材鑑定の仕事に夢中になりすぎて毎日残業していたらノヴァさんに怒られてしまった。カイルもギルド長として忙しいはずなのに、今日は珍しく定時だという。
「これから予定はあるか?」
「特にありませんが……」
「それなら素材採取の装備を見に行かないか? 素材採取に行く日にちも決めたいしな」
「ぜひお願いします。自分でも調べてみたのですが、わからないことが多くて……」
「じゃあ決まりだな」
カイルが水晶にギルドカードをかざすと、淡く光った。
外に出ると、街はまだ明るい。花の匂いを含んだ風が頬を撫でる。
「ローズマリーの希望を聞いてもいいか?」
「予算が安いことです!」
きっぱり答えると、カイルがくすっと笑った。
「予算は大事だよな。ちなみに予算はいくらだ?」
「あっ、はい。銀貨十五枚の予定なんですけど……足りますか?」
銀貨十五枚は私の給料の半月分。初心者の装備なら銀貨十五枚で一式揃うと調べたけど、実際のところが分からず、カイルの顔を窺う。
「うん、大丈夫。任せておいて」
(よかった……)
話しているうちに、ギルドから少し離れた道具店に辿り着いた。レンガ造りの外壁にローブをかたどった看板の店に入ると、日帰り用の軽装品や長期間の冒険に必要な本格的な道具が所狭しと並ぶ。入り口近くには革製のブーツや鞄、奥には魔法効果を施された高級装備が陳列され、金属と革の匂いが混じる独特の雰囲気に圧倒された。
(こんなに本格的な店だったなんて、一緒に来てもらえてよかった。一人だったら気後れしていたはず……)
「ローズマリー、こっち」
カイルは慣れた様子で店の奥へどんどん進む。雰囲気に慣れない私は、戸惑いながら彼の背中を追う。
「ギルド、」
「今はカイルだろ」
「カ、カイル様は、この店によく来るんですか?」
(名前で呼ぶのはまだ慣れない……)
「この店に限らないけど、冒険者がよく使う店は、赴任してから全部回ったよ」
「え、全部ですか?」
「品揃えを把握しておきたくてな。この防具店なら品質もいいし、安心だよ」
さらっと言うけど、ギルド長の仕事も忙しいのに本当に熱心だ。
「この棚から選ぶといいよ」
大量の服が並ぶ棚でカイルが足を止める。
「俺と一緒だから、基本的に防御力は考えなくて問題ないよ。ただ、虫刺されや植物でかぶれないように肌を覆ってある服がいいと思う」
「なるほど……」
私は頷き、棚を眺める。
「俺はあっちで他の装備を選んでくるから、ゆっくり選ぶといい」
「ありがとうございます」
カイルはそう言うと、ローブの掛けられている棚へ歩いていく。気を使わないで選べるようにという配慮だとわかっていても、一緒に選んでくれないのは少し寂しい。
(私ったら、なにを考えているの……?)
慌てて目線の高さの服に手を伸ばす。着心地がよく、汚れが目立たなそうな色やデザインを探す。ポケットがあって足捌きのよさそうな紺色のワンピースを見つけた。
(これ、いいかも……)
手に取り、鏡に当ててみる。値札を見たら思ったよりもずっと安い。これなら他のものを買っても予算内で収まりそうだと心が弾む。ちらりとカイルを見ると、他の棚で品物を手に取っている。ワンピースを持って近づく。
「ギ……」
言いかけて口を閉じた。
(これは、契約の約束を守って名前で呼ぶだけだから)
「……カイル様」
カイルに呼びかける。口から出た声は、思ったより小さく掠れていた。振り向いた彼は、驚いたように目を丸くしている。
(驚いた顔、初めて見たかも)
珍しい顔を眺めていたら、とても嬉しそうに笑うので心臓が跳ねる。長い足でさっと私に近づいてきた。
「ローズマリー、決まった?」
「は、はい。これです」
ワンピースを見せるとにこりと微笑む。
「紺色のワンピースか、いいな。俺の髪の色みたいだね」
(……うそ。本当にそっくりだ)
選ぶのに夢中でカイルの色かどうか考えていなかった。この国では、想い合う夫婦や恋人がお互いの色を身につける習慣がある。契約結婚の私には無縁だと思っていたのに、まるで本物の夫婦みたいで動揺してしまう。
「そ、そんなつもりじゃなくて……汚れにくそうだっただけで……」
「どんな理由でも俺の色を選んでくれて嬉しいよ」
「——っ、試着してきます」
真っ赤な顔を見られたくなくて、試着室に飛び込んだ。
勢いで入ったものの、折角なので試着を始めた。きっと普通の貴族令嬢なら自力で着替えるのは苦労するかもしれないけど、私は慣れている。
手早く着替え、鏡で全身をささっと整えて試着室から出た。
「とても似合ってる。動きやすそうだし、なにより色がすごくいいな」
「……ありがとうございます。あの、カイル様はローブを買うんですか?」
カイルの格好が変わっている。黒地にエメラルドグリーンの裏地が映えるローブを身につけていた。
(これって私の瞳の色……? ううん、それは自意識過剰すぎるよね)
「俺はこれを買おうと思ってるんだ」
無邪気な笑顔を見せると、片手でひらりとローブを払う。
「ローズマリーはこのローブがいいと思う。温度調節の魔法付きだし、お勧めだ」
手渡された黒のローブを広げると裏地がアメジスト色で一瞬固まる。
(見た目は同じで、裏地はお互いの瞳の色……)
「これ、お揃いみたいですよね」
「夫婦らしいだろ」
「えっ……あの」
「早く試着してみて」
カイルの笑顔の圧に負けて、ローブを身にまとった。
「……素敵、ですね」
思ったより着心地がいい。紫の裏地が派手に見えないか心配だったけど、上質な光沢が品よく映える。カイルの瞳の色に似ていることを除けば、私の好みに合っていた。
(でも、お揃いなのはちょっと……)
「いいな。すごく似合っている。あとは——」
断ろうとしたのに、にこやかなカイルが次々とお勧めの品物を渡してくる。編み上げのロングブーツ、使いやすそうなリュック、採取用のハサミと容器、他にもあったら便利な小物類。どれも素敵だけど——
(絶対予算オーバーしてる!)
今さら見栄を張っても仕方ないので正直に話す。
「カイル様、どれも素敵なのですが予算を超えていると思います……」
角を立てずにお揃いのローブを断ろうと思ったら、カイルが自分の胸を叩いた。
「任せて。俺、交渉は得意だから」
「えっ?」
「沢山購入するんだから、値引き交渉しないとな」
(さっきの「大丈夫」は、そういう意味だったの?)
カイルは店長と楽しげに話し始めた。値引きをお願いする声や、品物の品質を褒めつつまとめ買いを強調する様子が聞こえてくる。数分後、ニカっと笑って振り向いた。
「ローズマリーの分、銀貨十三枚でいいって。どうだ?」
「……本当に値切ったんですね」
全部で銀貨二十枚くらいだったのに、カイルの交渉術に目を丸くした。
「——もっと値切ろうか?」
「い、いえ、充分すぎます。これでお願いします」
慌てて財布を取り出して銀貨十三枚をトレーに入れる。採取に必要な道具をすべて購入することができた。
会計を終えて店を出た。荷物は自分で持つと言ったけど、カイルが「いいから」と笑って軽々と持ってくれていた。必要なものが揃ったから、あとは帰るだけだと思っていると、カイルに声をかけられる。
「時間が大丈夫なら、もう一店舗、付き合ってくれないか?」
「もちろん大丈夫です」
断る理由もなく頷いた。茜色やピンク、オレンジがとけ合う美しい夕焼け空の下、カイルについて行く。
「装備も揃ったし、来週の休みに素材採取に行くのはどうだ?」
「はい、ぜひお願いします」
素材採取の日程を決めながら、防具店からほど近い路地を抜けると、蔦模様のドアが印象的な魔道具店が見えてきた。
カイルがドアを開けてくれたので、先に店内に入る。
「すごい……」
外観は小さな一軒家だったのに、中に入ると天井がとても高く、ふわふわ浮かぶランタンが幻想的な明かりを灯す。多種多様な魔道具が並び、わくわくする。
「マルフ爺、先日預けた品の魔法付与はどうなった?」
「魔法付与済みですじゃ。こちらを」
空色のローブを着たマルフ爺と呼ばれた店主が小さな箱を持ってきた。ふたに幻想的な花が描かれている。カイルがふたを開けると、雫型のアメジストのイヤリングが輝いていた。
(……なんて綺麗なの)
煌めくアメジストに目を奪われる。貧乏な子爵令嬢であっても、素敵な宝石には心がときめく。さらに魔法付与されているなんて興味が湧いてしまう。
「とても質のよいアメジストだったので、頼まれていた魔法付与はすべて収まりましたじゃ」
(アメジストに魔法付与……? なんて贅沢な使い方をしているんだろう)
「流石、マルフ爺だな。ありがとな」
カイルが小箱を受け取ると、店主は店の奥に下がった。彼が私に小箱を差し出したのを見て、目を丸くする。
「このイヤリングには、魔物から身を守る結界魔法と毒や呪いを防ぐ浄化魔法と疲れを軽減する回復魔法を付与してもらった。素材採取は危険も伴うから、絶対に身につけてほしい」
「そ、そんな高価なもの、受け取れません!」
給料数ヶ月分にも匹敵する魔法付与のイヤリングに、素っ頓狂な声を上げる。
「駄目だ。連れていくからには安全を万全にしたい。それに——」
カイルは小さく笑った。
「ローズマリーに似合うと思ったから、特別に作らせた」
「……でも、絶対に不相応です」
「そんなことはない。このイヤリングでなにか思い出さない?」
「どういうことですか……?」
首を傾げると、彼がいたずらっぽく目を細めた。
「やっぱり覚えてないか。ローズマリーが酔っ払ったときに話してたこと」
「えっ」
「『結婚するなら、俺の瞳の色のものを贈ってほしい』と熱く話してた」
(そんなこと言ったなんて、全く覚えてない!)
カイルがニヤリと笑い、いたずらっぽく続ける。
「俺はおねだりされたこと、ちゃんと覚えてたからな」
「そ、そんなこと、言うわけ……」
(あれ、待って——)
頭の片隅で、酒場の灯りとカイルの笑顔が浮かぶ。甘えるように彼の肩にもたれかかり、確かにそんな話をしたような——
さあ、と血の気が引く。
「もしかして、思い出した?」
「……」
カイルが一歩近づき、そのまま耳元に顔を寄せ、囁くように言う。
「その時のローズマリーが可愛くて、絶対叶えようと思ってたんだよ」
「……ずるいです」
心臓がドキドキして、頬が熱を帯びる。思わず、彼から目を逸らす。
「そうだ、俺がずるい。だから諦めて受け取ってほしい」
長い指が私の髪を耳にかける。耳たぶにイヤリングの冷たい金属が当たる感触がした。時間にすれば数十秒なのに永遠のような時間に思えた。
「とても綺麗だ。ローズマリーは、紫色がよく似合うな」
カイルの目元が優しく緩む。一瞬、いつも自信たっぷりな彼が少し照れたような表情を見せた。
「……ありがとうございます。大切にします」
ドキドキが止まらず、胸をぎゅっと押さえながらカウンターの鏡に映る自分を見る。
(契約結婚の妻だから、こうやって気遣ってくれるだけなんだから……)
勘違いしないよう自分に言い聞かせる。耳元で揺れるイヤリングが、ランタンの幻想的な明かりをきらきらと反射させていた——












