問15.泊まり
月明かりの下を二人で歩き、高級住宅街にあるカイルの屋敷にたどり着いた。カイルが重厚な扉を開けて私を招き入れる。
扉の先には、広い玄関ホールが広がっていた。天井が高く、磨き上げられた大理石の床に灯りが反射している。
(えっ……こんなに豪邸だったの……?)
一夜を過ごした時に訪れたはずなのに、あの時は頭が真っ白になって慌てて逃げるように帰ってしまった。家の詳細といっても、寝室と廊下と玄関ホールの記憶がおぼろげに残っているくらいだ。
でも改めて見渡すと、記憶にあった玄関ホールが想像以上に豪華で、私のこぢんまりしたアパートとはまるで別世界のようだった。
「お、お邪魔します……」
「自分の家なんだから、遠慮しなくていいよ」
「そ、それは、畏れ多いです」
カイルがからかうように言いながら、足を止めてしまった私の手を軽く引いた。
契約上の妻とはいえ、「ここが私の家だ」と言われると、どうしても気後れしてしまう。でも、私が負担に思わないように気遣ってくれる彼の優しさが嬉しい。
「にゃあん」
「リーフは家に来るの初めてだったな。好きなだけ見ておいで」
リーフが私の肩から飛び降り、興味深そうに家の中を見渡した。カイルが笑って、リーフの頭を軽く撫でる。リラックスした様子のリーフを見ていると、少しだけ緊張がほぐれた。
「ローズマリー、こっちだよ」
「は、はい……」
案内されたのは、応接間だった。
高級な革のソファ、壁に掛けられた絵画、窓辺には濃紺のカーテンが優雅に掛けられ、大人っぽくまとめられている。部屋の中は静かで、ほのかにサンダルウッドの落ち着く香りが漂っていて、カイルの香水と同じ匂いがする。
(誰にも会わないけど、こんなに広い家に一人で住んでいるの……?)
「どうした?」
「いえ、あの、誰にも会ってないな、と思って」
「ああ。俺も冒険者をやっていたから、あまり面倒を見られるのも煩わしくてな。使用人も最低限の人数しかいないんだ」
「そうだったんですね」
自分のことは自分でするのに慣れてしまえば、意外と気楽なものだと納得してしまった。
「使用人は明日来たらちゃんと紹介するよ。……今日は、俺と二人きりだけど、一緒に暮らすときは不自由がないようにするから安心して」
「い、いや、大丈夫です……」
思いもよらない言葉に顔が熱くなって、慌てて視線を逸らす。私は会話の流れを変えるために室内を見回した。
「あれって……」
飾り棚が目に留まり、感嘆してしまう。
カーテンの隙間から外の月光が淡く差し込み、珍しい鉱石や魔水晶がガラスドームの中で淡く光っている。私の視線を追ったカイルがムーンクリスタルを手に取った。
「これはさ、深い洞窟の奥で見つけたんだ。魔力が満ちてて、夜になるとこんなふうに月みたいに優しく光るんだ」
「初めて見ました。すごく綺麗ですね」
(さすがカイル、貴重なものがたくさん飾ってある)
物珍しげに目を輝かせてしまうのも失礼かと思いながら、落ち着きなく視線を動かしてしまう。
テーブルの上には、カイルが見せてくれると言っていたドラゴンの爪が並べられていた。冒険者が討伐の証として持ち帰り、爪や牙、鱗を小さく加工して標本のようにコレクションする——そんな話を聞いたことはあったけど、実際にこうして並んでいるのを見ると、やっぱりすごい。
「あっ、もしかして、あれがドラゴンの爪ですか?」
「……ちょっと待ってローズマリー」
ドラゴンの爪のコレクションなんて滅多に見られるものではない。思わず急ぎ足でテーブルまで辿り着く。
(え……?)
テーブルの端に、積み重ねられた分厚い資料の山。
素材の特徴、採取方法、加工方法、鑑定時の注意点など素材鑑定士の専門書がこれでもかと置いてある。そして一番上に置いてあったノートの表紙には、綺麗な文字で『素材鑑定士の試験対策』と書かれていた。
「これって、もしかして……?」
思わずカイルを振り返ると、彼は困ったように片手で首の後ろを掻く。
「格好悪いところ見られたな。突然だったから、試験対策用の資料をしまうのを忘れてた」
(いつも教えてくれる内容が、わかりやすいと思っていたけど、こんな風に準備してくれていたなんて……どうしよう、嬉しい……!)
「そんな……こんなにたくさん、私のためにまとめてくださっていたなんて……すごく嬉しいです」
「素材鑑定士は試験範囲が膨大だから、効率よく覚えないとな。ここ最近の試験傾向も分析してたんだ」
「そんなことまで? 本当にありがとうございます」
嬉しさで胸が震える。カイルの顔を見上げて感謝を伝えた。だけど、彼は「あー……」と小さく呟いて、顔を少し逸らした。
「そんなに喜んでもらえると、こっちが照れるな」
その声がとても優しくて、胸の奥がじんわり温かくなる。ふと沢山の本を見て、涼風祭の時に買っていたブックマークを思い出した。
(色々なことがあって忘れていたけど、今、渡してもいいかな)
「あっ、あの……!」
「どうした、ローズマリー?」
カイルがはっと顔を上げて、私をまっすぐ見つめる。なぜか声が少しだけ上ずっていた。
私は慌ててバッグから、涼風祭の時に輸入雑貨店で買った包みを取り出した。紺地の包装紙に銀色のリボンがかけてある。
「涼風祭をまわっていた時に素敵だな、と思って買ったんです……あの、よかったら……」
「俺に?」
「は、はい。趣味に合うといいのですが……」
「選んでくれたの? 開けていい?」
「もちろんです」
私は大きく頷いた。カイルがゆっくり丁寧に包装をほどいていく。静かな部屋に、リボンを解く微かな音が響いた。
(どうしよう。私の心臓の音が聞こえてしまいそう)
私の瞳と同じ緑色のブックマークを、どう思うだろうと緊張でドキドキする。中から出てきたブックマークを、カイルがじっと見つめた。
「ありがとう、すごく嬉しいよ!」
「よかった……! 実は、お揃いで私も買ったんです」
「お揃い?」
喜んでくれるカイルの笑顔にホッとして、自分の紫色のブックマークも鞄から出して見せる。
「え……その色は俺の——もしかして、こっちの緑はローズマリーの瞳の色……?」
目を見開いて二つのブックマークを凝視するカイルに、はっと気がついた。
(ああ……つい自分から見せちゃうなんて——)
「ローズマリーの瞳の色を俺にくれて、俺の瞳の色をローズマリーが持ってくれたんだな」
「えっ……えっと、はい」
熱くなった頬を隠すように、こくんと頷く。数秒の沈黙の後、カイルが片手で顔を覆った。
「…………あー、可愛すぎる。我慢が……辛いな」
「え?」
「いや、なんでもない」
カイルは小さく息を吐くと、片手で自分の後ろ髪を掻き上げた。その仕草が妙に色っぽくて慌てて視線を逸らした。私は話題を変えるように、テーブルの上のコレクションに目を向けた。
「あの、先ほど話していたドラゴンの爪ってこれですよね? 見てもいいですか?」
「いや、今日は遅いし……もう休もう」
「……そんな、ちょっとだけでも、ダメですか?」
懇願するように両手を組んでカイルを見上げる。
「だから……無意識にそういうことされると、俺が困るんだよ」
カイルは苦笑いしながら言った。
(困る? どういうこと?)
私は少し首を傾げてしまった。
「明日ゆっくり説明するから。ドラゴンの素材は説明も長くなるし、今日はもう遅い」
「……はい」
夜が遅いと言われ、渋々頷いた。
ドラゴンの爪が気になって仕方なくて思わず小さなため息がこぼれる。カイルがそんな私を見て小さく笑い、軽く背中を押して廊下へと導いた。
「ローズマリー、俺の寝室と客間、どっちに案内したらいい?」
「えっ!?」
「俺としては、妻は同じ寝室かなと思っているんだけど——」
(な、何を言い出したの?)
「……客間でお願いします」
「わかった、俺とは別の客間に案内するよ。妻の希望は聞かないとね」
顔を真っ赤にして答えると、カイルがにっこり微笑む。
(なんでそんなに楽しそうにしているの?)
広い客間に案内される。
お酒に酔っていた日、同じベッドに寝ていたということはカイルの寝室に泊まっていたのだろうか——と考えて、羞恥で頬が赤くなる。
「必要なものはクローゼットに入れてあるから」
カイルがクローゼットを開けて見せてくれた。そこにはすでに着替えやタオル、必要なものがひと通り揃っている。
「……どうして、こんなに揃ってるんですか?」
「ローズマリーがいつ来てもいいように用意したんだ。好みに合うか自信はないけど……」
少し声の小さくなったカイルを見上げると、耳朶がほんのり赤く染まっていて、こちらも照れてしまう。
「あ、ありがとうございます……えっと、どれも素敵です……」
「それならよかった。明日から休みだろう?」
「はい。三日間お休みをいただいてます」
「俺と同じだな。それなら、ゆっくり寝たらいいよ——おやすみ、ローズマリー」
「お、おやすみなさい……」
どきまぎしながら、そっと扉を閉める。私はベッドに腰を下ろして、ふうっと息を吐いた。うるさい心臓の音がずっとおさまらない。
いつの間に来ていたのか、リーフがベッドに飛び乗ってきて、私の隣で丸くなる。
「にゃあん」
「うん、おやすみ、リーフ」
寝る準備を終えると灯りを消して、目を閉じる。眠れないと思っていたのに、色々なことがあって疲れていた身体はあっという間に眠りに落ちた。












