問13.待ち合わせ
休憩も終わり、午後からはコットンキャンディの担当から風の雫の担当に交代した。
(待ち合わせまで、あと数時間。午後も頑張ろう)
テントの左側には、大きな木の樽が三つ並び、樽の横には風の雫を入れる木のカップが山積みにされている。カップには焼きごてで葉の模様と年号が刻まれ、飲んだ後は記念に持ち帰れる。今年はコットンキャンディと合わせて猫と星も押されているので、あとでカップだけ買って帰るつもりだ。
(もう、お酒は外では飲まない——!)
あの日のお酒の失敗があったからこそカイルと出会えたけれど、二度とお酒で失敗はしたくない。カイルがいい人だったから助かったけれど、そうじゃなかったら……と想像するとゾッとしてしまう。
過去を振り返っていると、注文の声がかかった。
「風の雫、ひとつね」
「はい、かしこまりました」
樽の蛇口をひねり、琥珀色の風の雫がさらさらと流れ出てくるのを記念カップにたっぷり注ぐ。なみなみと注いだカップを渡した。
「どうぞ。大精霊の加護がありますように」
「ありがとよ」
風の雫を配っていると、顔見知りの冒険者が次々と声をかけてくれる。
モスとリリーの騒動の後、しばらくは視線を逸らされたり、話題を避けられたりして、腫れ物に触るような空気が漂っていた。でも、今はもう普通に笑顔で接してくれて、誰も騒動の件を蒸し返さない。それだけで胸がじんわり温かくなる。
お会計を終えた直後、すぐ横のコットンキャンディ側からエレナさんが近づいてきて、私のワンピースの裾を小さく引いた。
「……ねえ、ローズマリーちゃん。ちょっとこっち来て」
樽の陰に連れていかれ、エレナさんは声を潜めた。
「さっき、噴水の反対側でモスを見かけたって。かなり酔ってるみたい。……気をつけてね」
モス、という名に肩がびくりと跳ねた。
「…………もう、私とモスには何の関係もありませんから」
それでもエレナさんは心配そうに私の顔を覗き込む。
「……でもね、ローズマリーちゃんと別れてから、モスは依頼に失敗続きなの。最近はギルドでも素行が悪いって話で……」
「……少し、耳にしています」
エレナさんは少し迷いながら、小さく息を吐いた。
「酒場でモスがローズマリーちゃんのことを未練がましく話してるのを、何人も聞いてるみたいで……」
「私のことを……? どうして……」
あんなひどいことをしておいて、未練なんてあるはずない。思わず「信じられない」と声が漏れた。
「リリーはもう、異国のキャラバンの人に夢中みたいよ。モスとはとっくに上手くいってないって」
びっくりして目を瞬かせる。
「それでね、この前『ゴブリン集落偵察』の依頼が出ていたの」
少し離れた別の街のそばにゴブリンの集落ができたので、まずは偵察だけして規模を確認する依頼だったらしい。
「モスが単独で受けたんだけど……偵察だけのはずなのに勝手に討伐しようとして、逆に興奮したゴブリンに追い払われて。そのせいで近くを通った馬車がゴブリンに襲われる騒ぎになっちゃったの」
「えっ?」
驚きに目を見開く。
冒険者に出される魔物の討伐依頼は、街の人たちを守るためだ。それなのに、街の人を危険に晒すなんて処罰対象の行為に当たる。
「馬車の人たちは、大丈夫でしたか?」
「幸い軽傷で済んだみたい。でもね……」
エレナさんは声をさらに落とした。
「ギルドの依頼を、自分の手柄のために無茶して、逆に危険を招いたことをギルドでは重く見ているわ。最近も依頼失敗が続いていて、苛立って酒場で暴れたり、受付に八つ当たりしたり……素行不良の報告が重なってるみたい。だから降格どころか、冒険者資格の停止も検討されてるみたい」
エレナさんは眉を寄せ、迷うように目を伏せた。
「……実はね、ローズマリーちゃんが休みの日や倉庫作業でいないときに、モスがギルドに何度か押しかけてたの」
「え……?」
「『ローズマリーに会わせろ』って受付で騒いで、副ギルド長に追い返されたりして」
思わず息を呑む。
(そんなことがあったなんて、全然知らなかった)
「追いつめられた人って、何をするかわからないから……。今日も酔ってるみたいだし、絶対に一人にならないようにね」
「はい……ありがとうございます」
背筋に冷たいものが滑り落ちるのを感じた。気づかないうちにスカートの裾をぎゅっと握りしめていた。
「——とにかく今日は本当に気をつけてね」
エレナさんが私の肩をそっと叩いて、持ち場に戻った。
その後も客足は途切れず次々と訪れる。何十杯も風の雫を注いでいるうちに、日が傾き、空が茜色に染まっていく。ぽつぽつと街灯の明かりがともり、風が少しずつ涼しくなってきた。
(モス……このまま来ないといいけど)
エレナさんに気をつけるように言われたけれど、未練があるなんて話を聞いても信じがたい気持ちが大きい。
(仕事が終わる前に、補充しておこう)
酒樽を覗いて残量を確認していると、背後から副ギルド長の声が掛かった。
「ローズマリー、風の雫はどれくらい残ってる?」
「風の雫は一樽を切ったところです。カップが足りなくなりそうです」
「そうか。コットンキャンディの補充分も確認してもらえるか? それが終わったらエレナと上がっていいぞ」
「はい、わかりました」
コットンキャンディも補充が必要なものをチェックして副ギルド長に伝えた。リーフを抱き上げると、エレナさんが私の肩にそっと手を置いて、微笑む。
「ローズマリーちゃん、上がろうか?」
「はい。お疲れさまでした」
「今日は、モスが来なくて本当によかったわ」
私はこくりと頷いた。
未練があってもなくても会いたくない。できれば二度と会わないでいたい。
「ねえ、ローズマリーちゃん。今日は私が家まで送るわ」
「そんなの悪いです! 一人で帰れますし、本当に大丈夫です。それにリーフもいるし……」
「遠慮しなくてもいいのよ?」
「えっと、いえ、そういうわけではなくて……」
思わず手を振って遠慮すると、エレナさんは意味ありげに目を細めた。
「あら? もしかして……誰かと待ち合わせしてる?」
「っ!」
顔が一瞬で火照るのが自分でもわかった。
「ふふっ、待ち合わせしてるのね」
「えっと……その…………はい」
小声で頷くと、エレナさんは「やっぱりね」とくすくす笑いながら、いたずらっぽく目を細める。
「その相手って、もしかしてギルド長だったりする?」
「なっ、なんでですかっ!?」
声が裏返った。エレナさんはもう完全に楽しそうに笑っている。
「見てたら分かるわよ~。ローズマリーちゃんもギルド長もお互いのこと見てるときの目がね?」
「そ、そんなこと……」
「大丈夫、他の人にはまだバレてないと思うわよ。たぶん」
(たぶん、って何ですか~~!?)
エレナさんに突っ込みたいのに、顔が熱すぎて言葉にならない。
「じゃあ、待ち合わせ場所まで一緒に行きましょう。私がちゃんと見届けてあげる」
「ええっ? それは……申し訳ないですから」
慌てて手を振って遠慮すると、エレナさんは少し心配そうにあごに手を当てた。
「……うん、でも、ギルド長が来るなら大丈夫かな?困ったら大声出すのよ。気をつけてね」
「はい、ありがとうございます」
(エレナさんに心配かけちゃったな……でも、待ち合わせを見られちゃうのは恥ずかしいし……)
噴水前でエレナさんと別れ、一人で噴水広場を抜け、風の大精霊を祀る祠の裏手に向かう道を歩き始めた。葉形の飾りの布が風に揺れて、夕暮れの街灯に淡い影を落とす。待ち合わせ時間まであとわずか。
人通りが少し減った路地に入ったところで、急に後ろから腕を強く掴まれて——
「……っ!?」
抵抗する間もなく、近くの細い路地に強い力で引きずり込まれた。リーフが驚いて「にゃあっ!」と鳴き、肩から飛び降りて逃げてしまう。
(リーフ!? えっ、なに……?)
振り向いた瞬間、息が詰まるような酒臭い息が顔にかかった。
「……ローズマリー」
(モス……!)
目は濁り、頬は赤い。モスは私の背中を壁に押しつけ、にやりと笑う。かつて爽やかで素敵だと思っていたモスの面影は、どこにも残っていなかった。冷たい石壁のごつごつした感触が妙に生々しい。
「もしかして、この前のこと怒ってる?」
「え?」
「いや、あれは冗談だって……お前だって本気で怒ってるわけじゃないだろ?」
(……冗談?)
頭が真っ白になる。
路地は人目がほとんどなく、祭りの喧騒が遠く聞こえるだけ。
「あれが冗談なんて……! 私はもう——」
「わかってるって。今日も可愛くしてきたじゃん。俺に会いたかったんだろ? 相変わらず真面目だな。それなら、また前みたいに部屋の片付けや依頼準備を手伝ってくれよ」
(……ああ、そうか)
その瞬間、僅かに残っていたモスとの楽しかった思い出が音を立てて消えた。私は、モスにとってただの便利屋だったのだ。
依頼の準備、装備の手入れ、部屋の掃除、食事の支度——私はモスが喜ぶのが嬉しくて、好きでやっていたのに。モスにとっては、ただ楽をするための道具でしかなかったのだと、はっきりと悟った。
(どうして夢中になっていたんだろう……?)
恋愛経験のなかった私は、モスに笑顔で頼まれることが嬉しくて、なにかを手伝うたび、胸がどきどきした。あの頃は一緒に笑って、モスの冒険の話を聞くだけで幸せだったのに——でも今思うと、あの楽しかった時間さえ、モスにとっては都合のいい関係でしかなかったのだろう。それとも、モスが変わってしまったのか……。
どちらにしても、もうあの頃、私が好きだったモスはいない。
(なんでこんな人のこと、あんなに好きだったんだろう?)
今となっては、信じられない。
モスを見上げ、はっきりと告げた。
「——私はもう貴方とは関係ないので、これ以上関わらないでください」
声は震えていたけど、言葉は届いたはずだ。それなのにモスは、まるで聞こえていないように笑った。
「はあ? 何だよそれ。機嫌直せよ、リリーとちょっと遊んでただけだろ? ちゃんと話せばわかるって! お前の家に行くぞ。久しぶりにお前の手料理が食べたい気分だからな」
モスの指が私の頬をなぞった途端、ぞわりと鳥肌が立つ。
「い、嫌! 離して……!」
「こっちが下手に出てればつけ上がりやがって! いい加減にしろ! ちょっと話をするだけだろうが——」
なんとかモスから逃れようとするけど、冒険者の力に敵うわけもない。
その時だった——
「うわ、痛てえ……!」
私とモスの間に人影が割り込み、モスの腕がねじり上げられていた。












