問12.涼風祭
今日は特別な日だと、いつもより早く目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋を柔らかく染め上げる。カイルと花火を見る約束をした、あの日からずっと待ち焦がれていた涼風祭の当日だ。
「リーフ、おはよう。今日はよろしくね」
「にゃん」
ベッドの上で丸くなっていたリーフが、勢いよく飛び起きて私の頰に頭をすり寄せてくる。その柔らかな感触に、思わず頰が緩んだ。リーフと簡単な朝食を済ませ、出かける準備を始める。実行委員なので、動きやすい格好にしたほうがいいけれど、今日は特別な日だ。
手に取ったのは、カイルと花火を見る約束をした日に買った、淡い紫色のワンピースだった。
「……今日は、いいよね」
夏らしく裾が軽やかに揺れ、肩にはさりげないフリル。ウエストの細い共布のリボンでキュッと絞ると、スカートがふんわり広がった。いつもより丁寧に髪を結び、耳には二色の糸で作った葉っぱのイヤリングをつけた。
「ふふっ、このイヤリングはリーフとお揃いなのよ」
「にゃ」
リーフの首輪につけた小さな緑の葉を指で優しく撫でる。
涼風祭は、風の大精霊のためのお祭りなので風を象った緑の装飾を身につける人は多い。風や緑をモチーフにした商品を売る店もあちこちに並んでいる。リーフの首輪にも私と同じ糸で作った小さな緑の飾りを付けていてお揃いだ。
リーフを抱き上げ、鏡の中の一人と一匹を見つめて満足した後、家を出た。
§
ギルドの出店がある噴水広場は、すでに祭りの熱気に包まれていた。
レンガ敷きの道の両側にはたくさんの露店が並び、頭上には葉を模した布が連なり、通り全体を覆うように張り巡らされている。見上げると、木漏れ日のような光が注ぐ。
(……森の中にいるみたい)
出店しているテントは左右に分かれている。
親子連れが楽しめるように、右側は子ども向けのコットンキャンディ、左側は風の雫を配る大人向けだ。私は今日は午前中がコットンキャンディ担当、午後から風の雫に回る予定。
コットンキャンディの甘い匂いがふわふわと漂う店の前で、私は声を張り上げる。
「いらっしゃいませ! ふわふわのコットンキャンディはいかがですか~?」
「にゃおん!」
涼風祭の噴水広場は、朝から多くの人達で賑わっていた。風の大精霊に捧げる緑の飾りが風に揺れ、子どもたちが緑の冠を被って走り回っている。笑い声が広場に満ちていた。
「この猫ちゃんのコットンキャンディかわいいー! 私これ!」
「にゃん」
リーフが看板猫として台の上にちょこんと座り、客引きを手伝ってくれるおかげで、コットンキャンディが飛ぶように売れていく。作っても作っても追いつかないという嬉しい悲鳴を上げた。
ようやく人が途切れたタイミングで、受付の先輩のエレナさんに声を掛けられた。エレナさんは、私に受付の仕事を教えてくれた教育係で、なにかと気にかけてくれている。
「ローズマリーちゃんの考えた猫のコットンキャンディ、すごい人気ね!」
「ありがとうございます! リーフが頑張ってくれてるおかげですね」
「最初、魔物だと聞いたときは不安だったんだけど……ギルド長が『あれは危害は加えない。俺が保証する』って明言してたおかげで安心したのよ。それに実際毎日見てたら——すごくかわいい……っ」
「にゃあん」
元気よく返事をしたリーフに、エレナさんと一緒にくすくす笑う。
午前中のコットンキャンディ販売が一段落して、ちょうど交代の時間になった。
「ローズマリーちゃん、お疲れさま。あとは私たちに任せて、休憩行ってきて」
振り返ると、午後のコットンキャンディ担当の先輩がにこにこ手を振ってくれている。隣にはもう一人の後輩も一緒に立っていて、二人でテントを受け継いでくれる予定だった。
「ありがとうございます。少しだけ祭りを見て回ってきますね」
「リーフちゃんも連れてゆっくりしてきて」
頭を撫でられたリーフは喉を鳴らす。私はぺこりとお辞儀してテントを後にする。休憩に入るというエレナさんと別れ、リーフと祭りの会場へ向かった。
リーフを胸に抱き、噴水広場の通りを歩きはじめた。頭上にある緑の天蓋が揺れ、光がキラキラと差し込んでくる。見上げてゆらめく煌めきを目で追っていると、自然とため息がこぼれた。
「一緒に見たかったなあ……」
カイルは朝から街の有力者に挨拶回りをしているので、まだ顔を見ていない。仕事なのは分かっている。
それでも、もし叶うなら一緒に歩きたいと思ってしまう。恋心を自覚してしまってからというもの、カイルの存在はどんどん大きくなっていった。
「にゃん」
抱き上げていたリーフが小さく鳴いて、私の頬にふわふわの頭をすり寄せる。その温かさに、頬が自然と緩む。
私はリーフを肩に乗せ直し、耳の後ろをくすぐるように撫でる。リーフが気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らすと、なんだか私まで元気が出てきた。
「折角だから、しっかりお祭りを楽しもうね」
気を取り直し、歩き出す。
露店の間を縫うように足を進めていると、ギルドに通う道でいつも気になっていた輸入雑貨店が目に入った。
(今日はお祭りだし、初めてでも入りやすいかも)
石畳の小路に面した小さな輸入雑貨店は、ずっとガラス越しに眺めるだけだった、憧れのお店だ。
今日は涼風祭で軒先まで商品が溢れていて、初めてでも足を踏み入れやすい雰囲気になっている。そっと近づいてテーブルを覗き込むと、すぐに目が離せなくなった。
(どれも素敵……!)
涼風祭をイメージした小さな真鍮の葉型クリップ、木製の緑のカードスタンド、革のペンケースに葉の箔押しなど、心ときめく雑貨が並べられていた。
その中で、葉模様の箔押しが施された革のブックマークが、目に留まる。八色展開で、どれも上品だけど、私には少し背伸びのする値段だった。
(一つ銀貨三枚は、ちょっと高いけど……)
いつもなら絶対に自分と同じ緑を選ぶのに、今日はどうしてもカイルの瞳と同じ紫から目が離せない。紫色に手を伸ばしかけた時、店員さんに声を掛けられた。
「お一つですと銀貨三枚ですが、お二つで銀貨五枚でございますよ」
「えっ……!」
店員さんが銀縁の眼鏡の奥で優しく微笑む。
「恋人同士やご友人同士で色違いにされる方も多くて。ちょっとした贈り物やシェアなさるにはちょうどいい値段かと存じます」
(恋人……っ!)
顔が一瞬で熱くなった。
でも、店員さんの「ちょっとした贈り物」という言葉に背中を押される。
(どうしよう。二つ買ってお揃いにしてもいいかな……?)
ブックマークならかさばらないし、実用的だ。カイルは本を読むし、契約結婚とはいえ夫婦なのだから、お互いの色を持っていても変ではないと思う。
(……お揃いにしてもいい理由ばっかり探してる)
言い訳を必死に並べている自分に気づいて、ますます頬が熱くなる。
(でも、きっと喜んでくれる……)
今までのカイルとのやり取りを思い出して、私は小さく息を吸った。震える指で二枚のブックマークをそっと掴んだ。
「緑と紫の二つ、お願いします」
「かしこまりました。大精霊の加護がありますように」
店員さんが微笑みながら丁寧に包んでくれた紙袋を大切に鞄にしまった。
(これを渡すとき、どんな顔をするかな? 喜んでくれるかな? 私の色だって、気づいてくれるかな……?)
想像しただけで胸がどきどきと忙しない。でも、不思議となんだか踊りたくなるような気持ちになっていて。そんな私をリーフが見つめて「にゃあ?」と首を傾げる。
「まだ内緒だよ、リーフ」
「にゃん!」
祭りの喧騒の中で、リーフにこっそりささやいて、歩き出した。












