問11.自覚
リリーと倉庫で顔を合わせたあの日から、もう一ヶ月が経っていた。
ギルドはブリーズウール——『そよ風ヒツジ』と呼ばれる素材の持ち込みが最盛期を迎え、鑑定作業台の周りには白く柔らかな毛がふわふわと舞っていた。
「ローズマリー、鑑定の終わったブリーズウールの素材を受付に運んでくれるか」
「はい、行ってきます」
ノヴァの指示を受け、台車に毛を詰めた袋を山盛りに積み上げた。例年より大人しい個体が多く、冒険者たちは存分に毛を刈り取れたらしい。今年の持ち込み量は過去最高を更新していた。
「素材の買取内訳書も持ってるか?」
「持ちました。慣れた冒険者のものは本当に状態がいいですね」
「ああ、今季一番の状態の良さだったな」
ノヴァが頷く。
ブリーズウールの毛は部位ごとに用途が違う。首周りは貴族の高級衣類に、背中は夏の肌着、脚は靴の中敷きになり、部位ごとの毛に分けると買取価格が上がる。今年は特に首周りの毛が上質で、服飾ギルドからも「今年は出来が良い」と喜ばれていた。
魔物ゆえに暴れまわるブリーズウールを押さえながら刈るのは至難の業だ。ほとんどの冒険者は、まだらに毛を刈り取ったあと、最後にまとめて袋に乱雑に詰め込んで持ち込む。上位冒険者や手慣れたグループのみ、一頭分の毛皮を一枚のシート状にした『フリース』を持ち込むことができる。
受付では、乱雑な素材の毛は重さで買い取るが、フリースは素材鑑定士が一枚ずつ品質を確認する。そのため、フリースを持ち込む者はギルドで一目置かれる存在だ。
「にゃう」
台車への積み込みを終えたとき、足元にリーフがすり寄ってきた。
「リーフも一緒に行くの?」
「にゃあん」
返事をすると同時に、さっと跳躍して袋の上に飛び乗る。
「落ちないように気をつけてね」
「にゃーお」
リーフが座るのを見届けてから、私はゆっくりと台車を押し始めた。
ブリーズウールを届け、戻ろうとしたとき、受付カウンターの方から甘い声が聞こえてきた。
「ギルド長~! 今日のお昼、一緒にどうですかあ? リリー、すっごく素敵なお店見つけちゃったんですよぉ~」
思わず足を止めて視線を向けると、リリーが甘えるようにカイルの腕に手を伸ばしたところだった。カイルは懐中時計を確認するふりをして、さりげなく身をかわす。
「悪いな、リリー嬢。昼はギルドで取る。店の話は他の奴にでもしてくれ」
「え~、そんなぁ……」
拗ねたように唇を尖らせる様子が愛らしい。でも、カイルは表情を変えずにリリーを見ていた。
(リリーは顔合わせに参加しないのね……よかった)
今日の昼休みは、街を挙げて行われる『涼風祭』の初顔合わせだ。風の大精霊に感謝を込めて花火を打ち上げる、夏の納涼祭。ギルドでは毎年出店していて、今年は私も実行委員に選ばれた。
古くから伝わる言い伝えでは、魔物が押し寄せた際に風の大精霊が突風で街を助けてくれたという。その大精霊のために花火を打ち上げるのが習わしで、地域交流を兼ねた賑やかな祭りだ。今日から祭り当日まで、何回か集まって打ち合わせする予定だ。
「それならぁ~明日からリリーが手作りのお弁当持ってきてもいいですか? 愛情たっぷり込めて作りますよ」
リリーが上目遣いで微笑む。計算されたような可愛らしい仕草だった。普通の男性なら、きっと心を奪われるのだろう。だけど、カイルは一瞬だけ視線を上げ、静かに告げた。
「手作りのものは、家族か——大切な人からしか受け取らないよ」
(……え?)
その言葉が、胸の奥に深く刺さった。
一緒に素材採取に行ったとき、私が作ったエナジーバーを彼は迷いなく食べた。それにイニシャル入りの刺繍ハンカチとプロミスリングも嬉しそうに受け取ってくれた。あの時の笑顔が頭に浮かぶ。
(それって……?)
「昼休憩、行ってきます!」
リリーが苛立った様子で踵を返し、走り去った。
残されたカイルが、ふっとこちらに視線を向ける。彼があまりに優しく微笑むので、胸がきゅっと締めつけられた。
見つめられるのが恥ずかしくて、慌てて台車を押し出す。リーフが「にゃう?」と首を傾げたが、何も答えられず、私は逃げるように作業台へと向かった。廊下を歩きながら、先ほどのやり取りが頭の中で繰り返される。
(あんな風に言われたら……)
ずっと契約結婚だと言い聞かせてきたのに、気持ちが動き出してしまっている。また傷つくかもしれないと気づかないふりをしていたのに。
(……私、カイルのことが好き)
一度自覚してしまった気持ちは、もう誤魔化せなかった。だって、いつの間にか、こんなにもカイルのことで心がいっぱいになっている。
でも、これは契約結婚——
終わりの決まっている約束。
恋に落ちるなんて愚かなことだと分かっていても、落ちてしまったものはどうしようもない。
せめて、契約が終わるその日まで……この気持ちを、胸の奥にしまっておくことだけはいいだろうか——?
そう自分に言い聞かせて、深呼吸をした。
少し早めのランチを済ませ、リーフを抱いて会議室へ急いだ。全員が集まると副ギルド長が話し始めた。
「今年もギルドは、『風の雫』とコットンキャンディーを出す予定だ」
風の雫は、風の大精霊に供えた特別なお酒だ。
命を賭けて討伐や採取をする冒険者たちが無事に帰還したことに感謝と労いを込め、ギルドでは風の雫をふるまい酒として提供する。精霊の加護が宿ったその酒を飲めば、幸運が訪れると言われている。
コットンキャンディーは、ふわふわ浮かぶ雲みたいな虹色の飴。華やかなものを好む大精霊に喜んでもらえるよう、毎年形を変えている。去年は花の形だった。
「よーし、今からどの形にするか試作するぞ。あとでギルド長に決めてもらおうと思ってるからな」
機械が運び込まれる。トッピングに使うカラフルな材料もずらりと並び、早速みんなで作り始めた。
まわりの人を見ながら、自分の形を考える。
ふと視線を送ると、窓際に丸くなって昼寝をはじめたリーフの姿を見つけた。
(リーフ可愛い……あっ、そうだ)
コットンキャンディー機の回転する中心に色付きの砂糖を投入する。熱で溶けた糸が噴き出し、スティックをゆっくり回しながら巻き取っていく。風の精霊も喜ぶ美しい虹色のコットンキャンディーがふわふわと大きくなる。丸くなったコットンキャンディーの上に三角形の耳を付けるように腕を動かした。
「……できた!」
「ローズマリー、これはなんの形だ?」
「猫です」
「風の精霊の使い魔も猫だったな」
副ギルド長の言葉に、みんなの視線が一斉に私のコットンキャンディーに集まった。かわいい、という声に頬が熱くなる。
「にゃう?」
窓際で寝ていたリーフが、いつの間にか目を覚まして鼻をひくひくさせながら近づいてきた。
「リーフちゃんに看板猫になってもらったらいいんじゃない?」
「にゃお!」
リーフの返事にみんなが笑う。そんなやり取りをしていると、会議室のドアが開いた。
「どうだ、進んでるか?」
カイルが現れた瞬間、心臓が跳ねた。
(なんだかいつもよりキラキラして見える……? だ、だめ。仕事中なのに……)
頬が熱くなる。
視線を逸らそうとしても、つい追ってしまう。彼が試作品の前を通ると、私の猫型をじっと見ていることに気づいて、さらにドキドキした。
「ギルド長、試作ができました。今年のコットンキャンディーはどれにしますか?」
「どれも上手いから悩むな。……俺はこの猫型と星型がいいと思う」
カイルの後押しもあり、今年は猫型と星型のコットンキャンディーに決まった。打ち合わせが終わり、片付けが始まる中、カイルが近づいてきた。
「ローズマリー、少し聞きたいことがある。片付けが終わったら残ってくれ」
「はい、わかりました」
(えっ……二人きり?)
片付けが終わり、皆が出ていきドアが閉まる音がした瞬間、心臓が飛び出そうになるほど緊張した。
(平常心、平常心……仕事の話だよね、きっと)
必死に自分に言い聞かせる。リーフが足元でゴロゴロ鳴っている。
「今年のブリーズウール、首周りの毛が上質だって話、本当か?」
「そうですね、服飾ギルドから喜ばれています」
(やっぱり、仕事の話だよね……)
内心でがっかりしていると、カイルがくすっと笑った。私は思わず彼を見上げる。
「え……?」
「ああ、悪い。実は——二人きりになりたくてな。ブリーズウールは口実だ」
顔が一瞬で熱くなった。耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「涼風祭の花火なんだが」
「は、はい……」
毎年、風の大精霊への祈りを込めて打ち上げられる虹色の花火。街中が歓声に包まれる。
「昼はギルド長として挨拶回りがあるが、夜は二人で花火が見たい」
鼓動が跳ね上がる。
「え……?」
「——花火をローズマリーと過ごしたいんだが、駄目か?」
(涼風祭にはギルド職員も冒険者も大勢いるのに……誰かに見られたら……)
迷ったのは一瞬だけだった。
「私も……一緒に見たいです」
「約束だぞ」
まっすぐな瞳で見つめられ、私は頷いた。耳の奥まで熱くなる。カイルが嬉しそうに微笑むのを見て、胸の奥が甘くざわめく。
涼風祭が、今から胸が高鳴るほど待ち遠しくなった。












