問10.対峙
謹慎が明けたはずのリリーが倉庫にいるのを見て、身体が固まる。受付嬢として復帰した彼女が、ここに来る用事はないはずだ。
「へえ。ローズマリーさん、まだ処分が終わってないんですね~」
甘ったるい声が倉庫に響く。リリーはゆっくりと近づいてくると、私の顔を面白そうに覗き込んだ。彼女の香水の匂いが、埃っぽい空気と不快に混ざった。
「……どういう、意味ですか?」
声が震えた。
リリーとまともに話すのは、モスとの浮気が発覚したあの日以来だ。こうして対峙すると、モスの辛辣な言葉や、冒険者や職員に好奇の目に晒された記憶が蘇り、足がすくむ。
「あっ、もしかして気づいてなかったですか? だったら悪いこと言っちゃったかもぉ~」
わざとらしく口元を押さえ、目を細めて笑う。明らかに愉しんでいる。
冷静になろうとすればするほど手のひらが汗でじっとり湿る。リリーは私の反応を見て、にやりと口元を歪めた。
「素材鑑定士の補佐なんて、異動じゃなくて処分ですよ。魔物みたいな血まみれの汚いものが集まる仕事ですからね~」
「そ、そんな……! 私は本気で鑑定士の資格を取ろう——」
「強がらなくてもいいのに。ローズマリーさん、皆から好かれてないんですよ~。リリーみたいに可愛ければよかったのにね」
鑑定士はギルドに欠かせない大事な仕事だ。魔物の素材を正しく評価しなければ、命をかけて採取する冒険者たちの信頼も、素材を扱う商人たちの信用も揺らいでしまう。
(こんな偏見を持つなんて、ギルド職員として信じられない……!)
「リリーはもう謹慎が終わってるのに、ローズマリーさんはまだなんて……ふふっ、かわいそ~」
リリーは満足そうに笑うと、急に話題を変えるように首元に手をやった。
「あっ、そうだ! これ、見てくださいよ~」
リリーは首元で輝く金色のネックレスを指で摘み上げた。大小の花が連なり、中央に宝石とも鱗とも判別しにくい高価そうな素材が埋め込まれている。薄暗い倉庫の中で、そのネックレスだけが不自然なほど華やかだった。
「モスからのプレゼントなんです。リリーにぴったりだからって贈ってくれて~。似合ってます?」
(どうして私に聞くの……? わざと……だよね?)
「ごめんなさぁい。振られたローズマリーさんに話すことじゃなかったですね」
「……もう終わったことなので」
「それなら、ちょっと相談に乗ってくれません?」
リリーは急に声を潜め、眉を寄せて見せた。
「モスってほんとリリーのこと大好きで、尽くしてくれるんです~。けど、最近は依頼に失敗ばっかりで、すぐにはAランクになれそうになくってぇ……ちょっとガッカリって言うかぁ」
彼女は髪を指でクルクル巻きながら、チラリと私を見て続ける。
「だから、可愛いリリーにはもっと似合う人がいるなぁって思っちゃっても仕方なくないですか~?」
「……え?」
「だって、すっごくリリーに相応しい人が現れたんですよ! 誰か、聞きたいですか?」
嫌な予感がして耳を塞ぎたくなる。
「ギルド長ですよっ!」
リリーは両手を胸の前で合わせ、夢見る乙女のように目を輝かせた。
「侯爵家の次男でお金持ち、見た目もいいし、最年少Sランクでギルド長! 超優良物件じゃないですか。リリーとギルド長って美男美女でお似合いだと思いませんかぁ~?」
頭が真っ白になった。理解が追いつかない。
そのとき——
「そこで何をしている?」
低く落ち着いた声が倉庫に響いた。
ハッとして振り向くと、カイルが立っていた。その足元には、リーフが小さな体を膨らませて威嚇するように構えている。
「ギルド長~! リリー、探しものが見つからなくてぇ~」
リリーはカイルを見ると、声が一瞬で甘ったるく変わった。彼女はカイルにすり寄ろうとするが、彼は自然に一歩横へずれた。
「うにゃにゃ!」
「きゃっ、魔物! 魔物を入れるなんて、信じられない!」
リーフが威嚇するように鳴いた瞬間、カイルの腕にしがみつこうとしたリリーを、彼は避けるようにもう半歩下がった。
「職員として発言には気をつけろ。従魔は、魔物だが心を通わせていて危険はない。それに、受付の備品は倉庫じゃなくて、一階の在庫棚だ」
カイルの淡々とした注意に、リリーの頰が一瞬引きつった。しかし、すぐにいつもの愛らしい笑顔に戻る。
「リリーったらうっかりでした! 気をつけまーす」
彼女は両手を頰に当てて、わざとらしく頭を傾げ、舌を出す。
「早く戻れ」
カイルが軽くため息をつくと、リリーは「はーい!」と明るく返事をして足音を響かせながら去っていった。
ようやく倉庫に静けさが戻る。
「にゃん……?」
リーフが私の足元に駆け寄り、前足でスカートの裾をちょんと触れてきた。金色の瞳で心配そうに見上げてくれる。私はリーフを抱き上げ、もふもふの毛並みに顔を埋めた。
花のような甘い香りがして、深呼吸をしているうちに、少しずつ落ち着きを取り戻していく。それでも、頭の中ではリリーの言葉がぐるぐると回っていた。
カイルの名前が彼女の口から出るなんて。しかも、モスとの関係はそのまま彼を狙うなんて、リリーは何を考えているんだろう。
「大丈夫だったか?」
近づいてきたカイルが、心配そうに尋ねてきた。リーフを抱いたまま立ち上がると、彼の紫の瞳が優しく細められる。
「……はい。ギルド長は、どうしてここへ?」
「ノヴァのところへ行ったら、まだローズマリーが戻っていないと聞いたから様子を見に来たんだ。リーフも連れてきて正解だったな」
カイルがリーフの耳を軽く掻いた。リーフは喉をゴロゴロ鳴らして目を細め、カイルの手に甘えるように頭を押しつける。
(心配して来てくれたんだ……)
「……ありがとうございます」
「困ったことがあったら、いつでも俺を頼ってくれ。ローズマリーは一人で抱え込もうとするから、心配なんだよ」
「気をつけます……」
私は小さく息を吐いた。そして少し勇気を出して、そっと聞いた。
「あの……どこから話が聞こえてましたか?」
「リリー嬢が『もっと似合う人がいる』と話し始めたあたりからかな」
(ええ……? そんなとこから?)
リリーのカイルとお似合いだという言葉が頭の中で繰り返される。カイルはリリーをどう思ったのだろう。可愛いリリーに好意を寄せられたら、悪い気はしないんじゃないか——?
そこまで考えて、ハッとした。
(……私は、カイルにリリーのことを否定してほしいと思っている?)
私たちは契約結婚した関係なのだから、そんなことを望むなんておかしいのに。
そっとカイルを窺うと、彼の表情は変わらず穏やかで、目が合うと優しく微笑みかけられた。
「このブリーズウールの袋は、何箱持っていくの?」
現実的な話題を振られて、私はようやく倉庫に来た目的を思い出した。
「とりあえず一箱持っていこうかと」
「それなら二箱あれば余裕で足りるな。残りはあとで誰かに取りに来させるよ」
「あっ、私も一箱持ちます」
「リーフを下ろしたら怒ると思うぞ」
「にゃん!」
「もう、リーフったら。……ありがとうございます」
同意するようにリーフが鳴いたので二人で顔を見合わせた。カイルは二箱を軽々と持ち、階段へ向かって歩き出す。
(……ずるい。さり気なく気遣って、こんなに優しくされたら——)
「もうすぐブリーズウールの季節か。去年の買い取り数量を見たけど、ギルド中が袋まみれになりそうだな」
「ふふ、そうなんですよ」
苦笑いを浮かべたカイルに思わず笑みがこぼれる。ふと視線を上げると、彼の紫の瞳がまっすぐ私を見つめていた。
「どうしましたか?」
カイルは優しい表情のまま、静かに言った。
「俺が好きなのは、何事にも一生懸命に取り組んでて、華美な飾りがなくても品がにじみだすような子なんだ——今、目の前にいるような子だよ」
心臓が大きく跳ね上がった。
「俺が浮気男とは違うってことを証明するから、高みの見物しててよ、奥さん」
「っ!」
最後の言葉に、顔が一気に燃えるように熱くなった。いきなり『奥さん』と言うなんて、不意打ちすぎてどうすればいいのかわからない。カイルはそんな私を見て、涼しい笑みを浮かべたまま続けた。
「さあ、戻って働こうか。ノヴァが待ってるぞ」
カイルは軽やかな足取りで階段を上り始めた。私はその広い背中を、熱い頰を押さえながら追いかけた。












