学期末
「バルド。盛り上がっているところ悪いですが、その手紙の真偽を問う前に、学期末に赤点を一つでも取れば補習になるということ、分かっていますか?」
コンラットが淡々と口を開くと、バルドの表情が固まった。
「そんなの……あったっけ……?」
「ありますよ」
途切れ途切れの問いに、即答だった。そうして、容赦のない言葉が続く。
「言っておきますが、補習になれば、当然のように長期休みは遊べませんよ」
その言葉に、バルドはぽかんと口を開けたまま固まる。
(まったくやっていないんだろうな……)
記憶力に自信があるわけじゃないけれど、それだけはしっかり覚えていた。だからこそ、僕も兄様に見てもらいながら、少しずつ勉強はしていた。けれど、それを知らないバルドは、縋るような目でこちらを見る。
「な、なぁ……リュカは……?」
その視線に、少しだけ申し訳なさを感じながらも、僕は正直に答えた。
「僕は、ちゃんと覚えてたよ……」
一瞬の沈黙の後、声にならない悲鳴が、静かに教室に広がった。すると、その気配に気付いた周りの生徒達が、何事かとこちらを振り向く。けれど、そんな視線すら気にならないくらい、バルドは青ざめていた。
そんなやり取りが学院であったため、屋敷に帰った僕は、夕食を終えたあと、母様と一緒に部屋へ戻ろうとしていた父様を意を決して呼び止めた。
「父様?ちょっと聞いてもいい?」
僕の様子に何かを感じ取ったのか、父様は視線だけで母様に先に戻るよう合図を送る。すると、それに気付いた母様が、何も言わずに部屋へと戻っていく。そして、それを見届けた父様が、改めて僕に向き直った。
「また、学院で何かあったかな?」
バルドに届いた手紙の件はあるけれど、その実物が手元にない。それだけに、僕は首を振りながら答える。
「前に、友達が不正をしたって置き手紙があって、騒ぎになったことがあったでしょ……?」
「あぁ、あったね」
僕が少し言いづらそうに切り出すと、父様はまるで天気の話でもするみたいに、あっさりと頷いた。だけど、僕の友達の話なのに、まるでどうでもいいとでもいうような態度を取られてしまい、少しだけ不満を感じたけれど、僕はそのまま続きを口にする。
「あれの犯人って、誰だか分かったの……」
そんなに簡単に犯人が分かるわけじゃないとは分かっている。でも、昼間にあんな話が出たせいで、どうしても気になってしまった。それに、わざわざ手紙を預かった父様なら、何か知っているかもしれない。そう思って真剣に尋ねたけれど、僕と違って、父様は普段と変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
「リュカは、そんなことが聞きたかったのか?」
今さらそんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、父様は少しだけ意外そうにそう言うと、何でもないことのように続ける。
「その犯人なら、とっくに分かっているよ」
あまりにもさらりとした答えに、思わず声が大きくなる。それに、そんな大事なことを、そんな軽い調子で言うなんて思ってもいなかっただけに、僕は慌てて身を乗り出した。
「だ、誰が犯人だったの!?」
僕がそう尋ねると、父様は少しだけ苦笑した。
「んー……それは、ちょっと教えられないかな」
「なんで!?」
ここまで話しておいて、一番肝心なところだけ教えてくれない。そのことに思わず不満の声が漏れる。
(分かってるなら、教えてくれてもいいのに!!)
あからさまに不満そうな顔をしていたのだろう。そんな僕を見て、父様は少しだけ声を和らげながら言った。
「でも、昨日のうちに忠告はしておいたから、もう同じようなことは起きない。だから、何も心配しなくていい」
「忠告?」
「うん」
僕の問いかけに、父様は穏やかに頷く。
「あれで理解できないようなら、今度は二度と同じことができないよう、“お話”をするからね」
にこやかな笑顔でそう言ったはずなのに、何故だろう。最後の“お話”だけが、少しだけ怖く聞こえた。
(……犯人、ちょっと可哀想かも)
結局、最後まで父様は犯人の名前を教えてくれなかったけれど、相手が誰なのか分かっていて、しかも父様がもう対処しているのなら、きっと大丈夫なのだろう。それに、あまり深入りしない方が良さそうだったのもあって、そう思うことにした。
次の日、教室へ行くと、昨日とはまた違う意味でバルドの様子がおかしかった。
「えっと……今日のバルドは、どうしたの?」
普段なら絶対に見かけない光景に戸惑いながら、近くにいたコンラットへと問いかける。すると、コンラットはどこか曖昧な笑みを浮かべながら、小さな声で答えた。
「せめて補習だけは回避したいそうで、今からでも必死に勉強するらしいので……そっとしておいてあげてください……」
その言葉に、改めてバルドの方を見るけれど、眉間に深い皺を寄せながら教科書を開いているその姿は、勉強しているというより、教科書と睨み合っているみたいだった。そのせいか、どう見ても、知識を頭に入れているようには見えなかった。
それでも、あのバルドが珍しく真面目に机に向かっているのだ。だから、それを邪魔をするのも悪い気がして、僕が少し離れたところから様子を見ていると、そんな僕に気付いたコンラットが問いかけてきた。
「何か、バルドに用でもあったんですか?」
「うん。昨日、例の手紙の犯人は分かっているのかって、父様に聞いてみたんだけど……その結果を話そうかと思って⋯⋯」
「そ、それで、アルノルド様は何と仰っていたんですか?」
僕が用件を口にしようとすると、コンラットも気になっていたのか、少し身を乗り出すようにして聞き返してきた。だから、それに答えるように僕も口を開く。
「なんでも、もう手紙の犯人は分かってるんだって」
「誰だったんですか!?」
思わず声を上げたコンラットだったけれど、すぐに何かに気付いたように言葉を止め、慌ててバルドの方を振り返る。けれど、本人は教科書と格闘するのに必死で、こちらの会話にはまったく気付いていないようだった。それを確認してから、コンラットは今度こそ声を潜めて問いかける。
「アルノルド様は、何と仰っていたんですか?」
「それは教えてもらえなかったけど、ちゃんと忠告はしたし、もしもの時はその人と“お話”をするって言ってたよ」
「……そうですか」
その言葉を聞いた瞬間、コンラットは目に見えて肩の力を抜いた。
「それなら、安心ですね」
ほっとしたように息を吐いたその顔には、ようやく気が抜けたような安堵が浮かんでいた。けれど、その表情はすぐに感心したようなものへと変わる。
「それにしても、さすがはアルノルド様ですね。あの紙一枚で犯人を見つけてしまうのですから」
「……そうだね」
コンラットから向けられる父様への信頼が、あまりにも高すぎて、どう反応したらいいのか分からない。それもあり、僕は誤魔化すようにネアへと視線を向けた。
「でも、ネアもこれで安心でしょ?」
「……そうだな」
そう思って声をかけたのに、返ってきた声はどこか歯切れが悪かった。それに、表情はいつも通りだけれど、何となく、あまり嬉しそうには見えない。
(……どうしたんだろう?)
そのことが少しだけ気になったけれど、今はそれ以上に、こんな話をしていることにも気付かないほど必死になっているバルドの方が気になった。けれど、そのわりに、勉強が進んでいるようにはまったく見えない。
(本当に、大丈夫なんだろうか……)
そんな不安が頭をよぎる。けれど、試験日が近付くにつれて、僕もだんだんとそんな余裕はなくなっていった。
「うぅ……分かんない……」
赤点だけは絶対に取りたくない。そう思えば思うほど、自然と勉強にも力が入る。けれど、父様達がどれだけ分かりやすく教えてくれても、すんなり頭に入ってくれるわけじゃない。そんな日々を過ごしていれば、気付いた時には試験当日を迎えていた。
(……終わった)
最後の答案を書き終えた瞬間、全身の力が一気に抜けた。それは、やり切った、という達成感よりも、ようやく終わったという安堵の方が大きかった。
(赤点だけは避けるように頑張ったから、たぶん、大丈夫なはずだ⋯⋯)
どこか不満に思いながら、そう試験を振り返っていた。そして、斜め前に座っていたバルドへと、ふと視線を向ける。すると、向こうは僕よりも、もっと酷かった。まるで魂まで答案用紙に吸い取られたみたいに、完全に燃え尽きた顔をしている。
(……うん。頑張ったのは、分かる)
自分と似たようなものを感じながらも、疲れ切っていた僕は、結局何も言えなかった。そして、いよいよ長期休みが近付き、試験の結果が返ってきた。だけど、その結果の紙を見たバルドは、そのまま固まっていた。
「……」
何も言わないけれど、その沈黙だけで、だいたい察してしまう。すると、コンラットがそっとその紙を抜き取り、静かに目を通す。そして、少しだけ間を置いてから、何とも言えない表情で言った。
「……バルドにしては、頑張ったと思います」
その言葉で、僕も横から覗き込む。すると、そこに書かれていたのは、苦手科目の点数が、ほんのわずかに足りていない結果だった。
(あぁ……)
これが大きく足りていないのなら、まだ諦めもつくだろう。だけど、ほんの少しだけ届いていない。だからこそ、余計に諦めきれないのだろう。
「リュカは!?」
バルドが我に返ったように、縋るような目で僕の方を振り向いた。たぶん、仲間が欲しいのだろう。でも、その期待に応えられそうにはない。だからこそ、少しだけ申し訳ない気持ちになりながら答える。
「僕は……大丈夫だったよ……」
「じゃあ、ネアやコンラットは!?」
僕の言葉を聞いた瞬間、バルドの顔が目に見えて曇る。それでも諦めきれないのか、今度は二人へと縋るように視線を向けた。けれど、望んでいるような答えが返ってくるはずもない。
「私が赤点なんて取るわけがないでしょう……」
「俺も、あるわけがない」
「俺だけかよ!!」
教室に響いた悲痛な叫びに、周囲の何人かがまたこちらを振り向いた。けれど、入学試験で首席や次席を取るような二人が、赤点を取るはずがない。結局、補習が決まったのは、バルド一人だけだった。
(なんか、可哀想……)
自分だって、そこまで余裕があったわけじゃない。だからこそ、絶望しているバルドを見ていると、少しだけ自分のことのように感じてしまう。そんな同情めいた気持ちを抱えたまま、その日は屋敷へと帰った。すると、夕食の席で、父様が僕に声をかけてきた。
「長期休みに、行きたい所とかはないかな?」
「行きたい場所はあるけど……」
父様の言葉に曖昧に答えると、不思議そうな顔で問い返された。
「あるけど、どうかしたのかい?」
「友達が補習することになったのに、遊びに行っていいのかな……って……」
行きたい場所はある。でも、バルドのことを思うと、自分だけ楽しむのは少し悪い気がした。すると、父様は本当に不思議そうに首を傾げる。
「リュカが赤点を取ったわけでもないのに、気にする必要があるのかな?」
「それは……そうなんだけど……」
父様に心底不思議そうな顔で聞き返される。けれど、自分でもうまく言葉にできなくて、僕が口ごもっていると、母様がやわらかく声をかけてくれた。
「リュカ。逆に考えればいいんじゃないかしら?」
「逆に?」
僕が聞き返すと、母様は優しく頷く。
「行けない分、代わりにお土産を買ってくるって考えればいいのよ。そうすれば、少しは気持ちも軽くなるんじゃない?」
「……!」
(その手があった!)
はっとして顔を上げると、母様はにこりと微笑んでいた。その笑みに背中を押されるように、僕は元気よく頷く。
「はい!そうします!!」
遊びにも行けるし、バルドにも何か渡せる。それなら、確かに気が楽だ。そう思って、母様と笑い合う僕達の横で、父様だけは未だに意味が分からなそうな顔をしていた。
その話を次の日、バルドに伝えると、開口一番、悔しさが滲んだ声が返ってきた。
「ずるい!!……でも、お土産はよろしく!」
「うん。分かった」
恨み言を言いながらも、その直後には、いつもの調子で、ちゃっかりと頼み事をしてくるバルドの姿に、思わず苦笑が漏れる。
補習は可哀想だし、みんなと一緒には過ごせないけれど、長期休みが終わったら、またみんなで遊べばいい。そう思うと、夏休みが来るのが、少しだけ楽しみになった。
お読み下さりありがとうございます




