夏といえば
季節も変わり始めた初夏。蒸し暑さを含んだ風が、じっとりと肌にまとわりつく、そんな昼下がり、バルドがいつもの調子で言い出した。
「なぁ?夏らしい遊びしねぇ?」
「夏らしい遊び?何するの?」
「肝試し!」
その言葉を聞いた瞬間、理由も分からないまま、背筋にひやりとしたものが走った。
(……なんか、嫌な予感がする)
言葉の意味をきちんと理解しているわけじゃない。だけど、その響きだけで、何か“良くないもの”を連想させるには十分だった。
「肝試しって……何?」
恐る恐る問い返すと、バルドは待ってましたとばかりに身を乗り出してくる。
「リュカは知らないのか?夜に怖い話をしたり、幽霊が出そうな場所に行ったりするのが肝試しだ!」
「……幽霊」
苦手なものだけに、思わずその単語を小さく繰り返してしまう。
(どうして、わざわざ怖いことをするの……?)
まるで意味が分からず、どう断ろうかと考え始めたその時、コンラットが落ち着いた声で口を挟んだ。
「まぁ、話だけでしたら、さほど時間もかかりませんし、外出許可も下りると思いますが……」
「話だけなんてつまんないだろ!夜の学院に忍び込んで、学院に流れる怪奇現象を調査しに行こうぜ!」
「それは、ただ怒られるだけじゃないですか!!」
間髪入れず、コンラットの鋭いツッコミが飛ぶ。でも、それは完全に正論だった。口には出さなかったけれど、心の中では全力で頷いていた僕は、その流れに便乗するように控えめな妥協案を口にした。
「前みたいに、日中じゃ駄目なの?」
「肝試しは、夜にやるから怖いんだろ!」
「まぁ、それもそうだな」
「だよな!ネア!お前なら、分かってくれると思ってた!」
少しでも安全な方向に持っていければと思って出した提案だったけれど、あっさりと却下されてしまう。ネアは面白がっているように見えるけれど、どこまで本気なのか分からない顔で、静かに口元を緩めていた。でも、ネアの一言で、バルドはさらにやる気を見せていた。
(……やっぱり、無理か)
何となくそうなる気はしていた。それでも、ほんの少しだけ期待していた分、その落差が大きい。だけど、僕がしょんぼりしている間にも、意気投合した二人の話はどんどん進んでいく。けれど、そこでコンラットが待ったをかけた。
「そんなの、学院側が許可を出すわけがないでしょう」
「そうだよ。先生の許可もないのに、できるわけないよ」
僕とコンラットが揃って反対すると、バルドはまるで名案でも思いついたかのように、ぱっと顔を明るくした。
「なら、頼んでみようぜ!」
「……え?」
あまりにも迷いのない返答に、思わず間の抜けた声が漏れる。けれど、バルドはそんな僕達の反応など気にした様子もなく、そのまま勢いよく話を進めてしまった。
「授業終わったら、みんなで頼みに行こうぜ!」
そうして半ば強引に話はまとまり、授業が終わってからリオ先生に揃って聞きにいくことになった。
(さすがに……却下されるよね……)
かなり切実な期待を胸に抱えたまま、今日の授業を終えたリオ先生を追いかけて行くバルドの背を僕達も慌てて追う。そして、そのまま廊下で事情を話すと、案の定、先生は困ったように眉を下げた。
「許可してあげたいのですが、寮生も厳しい規則を守っています。ですから、貴方方だけを特別扱いするというのは……」
(……だよね)
思わずそう言いそうになって、ぎりぎりのところで飲み込む。けれど内心では、ほっと胸を撫で下ろしていた。
(でも、やっぱり駄目そうで良かった……)
普段から「困ったことがあれば相談しなさい」と言ってくれている先生だからこそ、もしかしたら僕がいることで許可を出してしまうんじゃないかと、少しだけ不安だった。でも、この様子なら大丈夫そうだと、そう安堵したのも束の間だった。
「ですが、友達と遅くまで遊びたいという気持ちが、分からないわけではありません」
「……え?」
その一言に、胸の奥がひやりと冷える。
(……嫌な予感がする)
そして、その予感は見事に的中した。
「ですので、寮生の門限である二十時までの間でしたら、許可しましょう」
「ありがとうございます!」
バルドの弾んだ声が、やけに遠く聞こえた。
(……今、許可って言った?)
一瞬、何を言われたのか理解が追いつかない。僕が呆然としている間にも、先生は念を押すように続ける。
「ただし、時間は必ず守ること。それから、森などの立ち入り禁止区域には近寄らないようにしてくださいね」
「はい!」
元気よく返事をするバルドの横で、僕はただ立ち尽くすことしかできなかった。そうして去っていく先生の背中を見送りながら、ようやく現実として頭に染み込んでくる。
「本当に……やるの……?」
恐る恐るそう尋ねると、バルドは満面の笑みで振り返った。
「当然!!え?リュカ……もしかして、怖いのか?」
「こ、怖くないし!全然、平気だよ!!」
言った瞬間、自分の言葉に後悔した。
(なんでこんな意地張ったの、僕……!)
みんなに怖がりだと思われたくなくて、咄嗟に口から出た言葉だった。でも、今になって思えば、素直に「怖い」と言っておけばよかった。だけど、その後悔に気付いた時には、もう遅かった。
「なら、リュカも参加だな!コンラットやネアも来るだろ?」
そう言って二人へ視線を向けるバルドに、コンラットは呆れたような顔をする。
「断っても、どうせ最初から参加メンバーに入っているのでしょう……?」
「当然!!」
「俺は暇だから、行ってもいい」
ネアまであっさり頷いてしまい、結局、学院からの許可が出た以上、誰一人として本気で止める気はないらしかった。
(なんでみんな、そんなに乗り気なの……?)
僕だけが取り残されているような気分になりながら、それでも何とか、せめてもの抵抗を試みる。
「ねぇ……? それ、何時にやるの……?」
せめて心の準備くらいは欲しい。そう思って尋ねたのに、その期待もあっさり裏切られた。
「今日の夜やるぞ!!」
「今日!?」
さすがに急すぎて、思わず素っ頓狂な声が出る。でも、そんな僕の様子を気にしたようすもなく、バルドが首を傾げながら言った。
「ほら、思い立ったら、何だっけ?」
「吉日ですか?」
「そうそれ!思い立ったら吉日だ!!」
コンラットの言葉に、バルドは今思い出したかのように言葉を返す。けれど、少し待ってほしかった僕は、慌てて口を挟んだ。
「で、でも、そんなに遅くなるなら、父様達に確認してからじゃないと行けないよ!」
苦し紛れのようにそう言うと、さすがのバルドも少しは納得したのか、勢いをわずかに緩めた。
「反対なんてされるのか?」
父様と会ったことがあり、その人となりを知っているバルドが、本気で不思議そうに聞いてくる。
「……ない……とは思う」
「そうか!」
(そもそも、僕がやりたいって言ったことに、父様が反対する方が珍しいし……)
自分で言っていて少し複雑な気持ちになりながらも、僕がそう答えると、バルドは納得したように頷き、そのままネアへと視線を向けた。
「コンラットは大丈夫として、ネアは平気か?」
勝手を知っているからか、コンラットについては確認するまでもないと思っているらしい。その雑な扱いに、コンラットはわずかに不満そうな顔をした。けれど、そんな空気など気にした様子もなく、ネアも素っ気なく答える。
「俺は問題ない」
「それなら、一回家に帰ってから、夜の十八時に学院の校門前に集合な!!それと、学院の怪談とか、怖い体験とかがなかったか兄貴達にも聞いてくるから、みんなも何か聞いてきてくれ!!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
慌てて引き止めようと声を上げたけれど、行動の早いバルドの背中は、もう遠くなっていた。まるで、その場に取り残されたような気持ちで、しばらくその背中を呆然と見送っていた。
正直、気は進まなかったけれど、それでも屋敷へ帰るしかなく、みんなと肝試しをすることになったと父様達に話した。
「行ってもいい?」
そう尋ねると、揃って笑みを浮かべながら答える。
「行ってもいいけど、怪我だけはしないように気を付けて行くんだよ」
「帰りも遅くなりすぎないようにしてね?」
思った通り、許可はあっさり下りた。
(……たまには止めてくれてもいいのに)
誰も止めてくれないことに、少しだけ恨めしい気持ちを抱えながら、そっと横へ視線を向ける。けれど、父様が許可している以上、兄様も反対するつもりはないのか、特に何か言うつもりはないようだ。
「それで、怖い話も聞いてきてって言われたんだけど……学院の怖い話って知ってる?」
本当は聞きたくなんてない。でも、バルドに頼まれた以上、何も持たずに行くわけにもいかなくて、そう口にすると、父様は少し眉を寄せた。
「怖い話?そんなもの、あの学院にあったか?」
「あったのかもしれないけど、私は苦手だから、そういう話は聞かないようにしていたのよね……」
父様が確認するように母様へ視線を向けると、母様も少し顔を曇らせながらそう言った。
(僕としては、その方が助かるんだけどね……)
申し訳なさそうに話す二人を見ながら、内心では少しだけ安堵していた。けれど、そこで父様が兄様へと話を振った。
「オルフェは、何か耳にしたことがあるか?」
「いえ、ないです」
最近まで学院に通っていたのなら、何か知っているかもしれない。そう思って父様が尋ねたのだろうけれど、兄様はあっさりと首を横に振った。
(……だよね)
そういう話に興味を持つようには見えないだけに、僕も特に不思議には思わなかった。だからこそ、次の問いかけに対する反応は、余計に意外だった。
「じゃあ、怖い体験とかもないよね?」
「……怖い体験?」
何気なく口にしたその一言で、兄様の纏う空気が、ぴたりと変わった。
「えっ、う、うん……。夏の夜の、怖い体験とかってある……?」
てっきり「ない」と返ってくるものだと思っていた。だからこそ、様子のおかしい兄様にそう問い返した瞬間、その表情がさらに強張った。
「夏の……夜の……怖い体験……」
単語をひとつずつ確かめるように繰り返す声が、ほんの少しだけ低くなる。
「えっ……。兄様……何かあるの……?」
おそるおそる尋ねると、兄様は弾かれたように顔を上げた。
「ない!何もないが、森には絶対に近付くな!」
強い口調で言い切られて、思わず肩が跳ねる。明らかに何かあったようにしか見えなかったけれど、それでも僕は静かに言葉を返した。
「森は立ち入り禁止だから、僕達も行かないよ……」
「……それならいい」
僕の返事を聞くと、兄様は少し間を置いてから、ようやく落ち着きを取り戻したように答えた。けれど、それ以上のことは何も言わなかった。
(……言わない方が、逆に怖いんだけど……)
兄様の様子に、父様と母様はどこか苦笑まじりの視線を交わしていた。だけど、僕だけは余計に不安を抱えたまま、屋敷を出ることになった。
約束の時間に校門の前へ行くと、すでにみんな集まっていた。
「やっと来たな!」
バルドがいつもの調子で大きな声を上げる。けれど、夏でまだわずかに明るさが残っているとはいえ、薄暗くなり始めた学院は、昼間とはまるで別の場所のように静まり返っていた。それに人の気配はなく、話し声も聞こえないから風が木々を揺らす音だけが、やけに大きく耳に入ってくる。
(……やっぱり、来るんじゃなかったかも)
そんなことを思っている間にも、バルドは気にした様子もなく話を進めていく。
「リュカも来たことだし、早速行こうぜ!それで、俺は怖い話を聞いてきたけど、みんなは?」
「私も、一応は聞いてきました」
「俺は特になかったな」
「僕の方も、特にはなかったけど……」
バルドの問いに二人が答え終わったあとだけに、今度はみんなの視線が僕へと集まっていた。その視線に少しだけ躊躇いながら、僕は口を開いた。
「……兄様が、森には近付くなって」
その言葉に、ほんの一瞬だけ空気が止まった気がした。
「森ですか……。まぁ、近付くことはないと思いますが……何かあるんですかね?」
「……分かんない」
みんな兄様の実力を知っているからこそ、わざわざ忠告してきたことに、何かあるんじゃないか。そんな不安が周囲に漂う。けれど、その空気を断ち切るように、淡々とした声が響いた。
「時間も限られているんだ。始めるなら早い方がいい」
「そ、そうだな!行くか!!」
ネアの一言に背中を押されるように、バルドがわざとらしく明るい声を張り上げる。そして、バルドを先頭に、僕達は夜の学院へと足を踏み入れた。
お読み下さりありがとうございます




