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事前に


僕達が本を読み始めて、しばらく経った頃。書庫の扉を、控えめに叩く音が響いた。


「リュカ。仕事が一段落してから来たのだが……中に入ってもいいか?」


その物言いと声の調子だけで、扉の向こうにいる相手が誰なのかは、すぐに分かった。それは、コンラットも同じだったらしく、彼は一瞬だけ目を見開き、僕へと確認するような視線を向けてくる。


別に隠すつもりはなかったのに、兄様が来るかもしれないと伝え忘れていたせいで、胸の奥に小さな居心地の悪さが広がる。だからこそ、視線を逸らしたまま、扉の外へと返事をした。


「……はい。大丈夫です」


いつまでも兄様を外に立たせておくわけにもいかず、背中にみんなの視線が集まっているのを感じながらも、僕は気付かないふりを続けた。やがて、扉が静かに開き、兄様が中へと入ってくる。その瞬間、部屋の視線が一斉に兄様へと向いた。兄様は室内にいる全員を一度だけ見渡し、軽く一礼してから、落ち着いた声で口を開いた。


「先日は予定があり、挨拶が遅れてしまい申し訳ない。私はリュカの兄のオルフェだ。皆のことは、弟のリュカから話を聞いている。これからも、弟とは仲良くしてくれるとありがたい」


母様とは違って、兄様の自己紹介はどこか形式的で、きちんと“線”が引かれているように感じられた。そのせいか、それを感じ取ったかのように、みんなも自然と背筋を伸ばし、少し硬い表情で挨拶を返す。


「俺はリュカと同じクラスの、バルド・グラディウスです!」


「……同じく、コンラット・スクトールです」


勢いだけはいつも通りの名乗りだったけれど、その声の端に、ほんの少しだけ緊張が滲んでおり、コンラットは背筋を伸ばしたまま、直立不動で名乗っていた。


「ネア……です…」


少し遅れて短く名乗ったネアだったけれど、いつもと違って不遜な態度ではなく、少し迷いを見せながらも敬語を使っていた。三人とも、それぞれの形で緊張しているようだけど、そんな空気の中でも、兄様は落ち着いたまま、聞き覚えのある名にだけ、わずかに反応を示した。


「……グラディウスというと。父君は、騎士団長か?」


「は、はい!」


不意に声を掛けられたバルドは、背筋を伸ばすようにして答えた。その様子に、兄様は一瞬だけ視線を和らげるも、報告するような調子で言葉を続ける。


「ならば、父君には会ったことがある。王城へ行った際など、何度かレオンと一緒に剣術の指南を受けた」


「俺も、親父から稽古をつけてもらってます!!そ、それで……俺……貴方の剣術にも憧れてて……」


「……私に?」


自分と同じ“剣を学んでいる”という共通点を見つけて、バルドは一気に距離を詰めた。けれど、その熱量に心当たりがないのか、兄様はわずかに首を傾げた。その戸惑いの混じった問いに、バルドは勢いのまま続けた。


「一度だけですけど、学院で開かれる剣術大会の試合を見たことがあって……」


「あぁ……あの時か」


兄様は、ようやく思い当たったように、短く息を吐くように呟いた。


「それで凄いなって思って……それで……一回でいいので、俺と手合わせしてもらえませんか!!」


バルドは右手を差し出しながら、深く頭を下げた。その姿は、お願いというよりも、ほとんど告白みたいな構図だ。そのせいで思わず、周囲の空気が一瞬だけ止まり、兄様も困ったように僅かに眉を下げた。


「……リュカの友人の願いを無下にも出来ないか」


しばらくの沈黙のあと、まるでため息を吐くかのように様子で呟いたけれど、バルドを真っ直ぐに見据えて言った。


「分かった。今度、時間を作ろう」


「あ、ありがとうございます!!」


右手は取ってもらえなかったけれど、顔を上げたバルドは、まるで夢が叶った少年のように、目を輝かせて兄様を見つめている。


(……あれ?いつもなら、ここで何か言いそうなのに)


そう思ってコンラットへ視線を向けると、彼はバルドに注意することも出来ず、状況の変化についていけないといった顔で、文字通り石のように固まっていた。


(それにしても……バルドも、兄様に憧れていたんだな……)


僕も小さい頃は、父様達に連れられて剣術の大会を見に連れて行ったことがあった気がするけれど、剣がぶつかり合う音が怖くて、ほとんど目を背けていた。その後の魔術大会では、僕は魔法ばかりを追いかけていて、兄様が出ていたかどうかも、正直よく覚えていない。


それどころか、フェリコ先生に、「僕も魔法、使いたい!」なんて我儘を言って、簡単な術を教えてもらっていた記憶ばかりが浮かぶ。思い返すと、兄様に対して、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。そんなことを考えている時、書庫の扉が、再びノックされた。


(……まさか、母様じゃないよね?)


朝食の席で、他に誰かが来るとは聞いていない。でも、嫌な予感が胸の奥をよぎり、みんなの視線も、示し合わせたように一斉に扉へと向いた。そして、その扉が静かに開く。


「少し失礼するよ」


「と、父様!?」


その声と共に現れたのは、この時間、屋敷にいるはずのない父様だった。


「し、仕事はどうしたの!?」


まだ夕方にもなっていない。それに、いつもなら王城にいる時間だったため、驚きを隠せずに問いかけると、父様はにこやかな笑みを浮かべて答えた。


「自分の仕事は終わらせて来たし、部下にもちゃんと断ってきたから大丈夫だよ。それに、“帰る”という旨を書いた手紙を、書類の間に挟んでレクスの部屋に届けさせた」


「……なんで、手紙を“書類の間”に挟んだの?」


どう考えても、普通の届け方じゃない。そのことに怪しさを感じて問いかけると、父様は笑みを崩すことなく、さらりと言った。


「直接、手紙だけを届けさせると、その相手がレクスに叱られる可能性があるからね。だから書類に紛れ込ませてしまえば、それも防げるし……ついでに、逃走時間も稼げる。今ごろ、手紙を見つけて慌てている頃じゃないかな?」


(部下には気を遣うのに、王様には使わないんだ……。でも……それだけ仲がいい、ってことなのかな……?)


僕がなんとも言えない気持ちになっていると、兄様の静かな注意が飛んだ。


「父上。リュカの友人が来ている時は、そういう言動は控えてください」


「仕方ないだろう。私だって、リュカの友人には会ってみたかったんだ。それに、私だけ挨拶しないのも失礼だしね」


冗談めかした口調だったけれど、どこか“一人だけ仲間外れにされるのは嫌だ”と言っているようにも聞こえた。そのやり取りの間、部屋の空気は異様なほど静まり返っていた。


後ろを振り返って見ると、さっきまで喜んでいたバルドでさえ、今はコンラットの横で大人しくしている。そして当のコンラットは、緊張しすぎたのか、明らかに顔色が悪い。


「コンラット……大丈夫?」


「は、はい!」


声を掛けると、即座に返事は返ってきた。けれど、その声も表情も、どう見ても“平気”とは言えない。


「ほ、本当に……大丈夫……?」


「はい!」


(……全然、大丈夫そうに見えないんだけど)


僕達のやり取りで、そんな様子に気付いた父様は、コンラットの緊張を和らげようと、声の調子を一段落とした。


「はじめまして。父親のアルノルド・レグリウスだ。君は、入学式で挨拶をしていた子だね?」


「はい!」


「そんなに緊張しなくてもいい。今日は、リュカの勉強を見てくれていると聞いている。リュカが何かと手を煩わせることもあるかもしれないが、これからもよろしく頼むよ」


「はい!!」


ついに“はい”しか言えなくなってしまったコンラットを見て、せめて兄様が来ることだけでも、事前に伝えておけばよかった。僕は本気で、そう後悔した。

お読み下さりありがとうございます

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