忘れずに
「どうして先に教えてくれなかったんですか!?」
父様たちが書庫を出て行った途端、張り詰めていたものが一気に切れたように、コンラットが詰め寄ってきた。
「ご、ごめん……。忘れてた……」
正直にそう答えた瞬間、何かが“ぷつん”と切れる音が、確かに聞こえた気がした。
「そういう大事なことは、忘れないでください!!勉強の話をする前に、記憶力をどうにかした方がいいんじゃないですか!?」
(それが出来るなら、苦労しないよ……)
身体を震わせながら遠慮なく怒るコンラットの前で、“記憶力の向上”なんてどうすればいいんだろう、と、情けない気持ちでうつむく。すると、その様子を見かねたのか、バルドが間に割って入った。
「まあまあ。リュカも悪気があったわけじゃないんだからさ。そんなに怒るなって」
「……あなたも、なにをちゃっかり手合わせの約束を取り付けてるんですか!?」
怒りの矛先が一瞬で切り替わり、コンラットの鋭い視線が、今度はバルドへと突き刺さる。けれど、当の本人はケロッとした様子で答えた。
「もし会えたら、駄目元で頼んでみようって、来る前から思ってただけだよ」
そう言われて、コンラットははっとしたように、今度は肩を落とした。
「ああ……。挨拶らしい挨拶も、何も出来なかった……。礼儀知らずだと思われていませんよね……」
怒りが引いたかと思えば、今度は別の意味で沈みこみ始める。ここで下手に声を掛けると、また火が付いてしまいそうだと思い、少しでも空気を変えようと、僕はネアへ話を振った。
「ネアも緊張してるのかと思ったけど、そんなことなかったね」
最初は兄様に敬語で挨拶していたのに、父様と話している時は、いつも通りの口調だったのを思い出しながら言うと、ネアはあっさりと首を横に振った。
「そんなことはない。俺も、余計なことを言わないよう、言葉には気を付けていた」
「……え? あれで?」
父様とのやり取りを思い出してみても、教室で僕たちと話している時と、ほとんど変わらなかった気がする。
「主席合格だって?」
「そうだが?」
父様からの問いかけにも、ネアは敬語を使わず、いつも通りの口調で返した。けれど、その態度を咎めることもなく、父様は淡々と視線を向ける。
「爵位を持たない者が主席を取るのは、学院でも初めてのことだったそうだ」
「……悪いのか?」
世間話でするような父様の言葉に、喧嘩でも売りそうな物言いで返していて、聞いているこっちの心臓がひやりとする。けれど、父様の方は、子猫に引っかかれた程度にしか思っていないようで、ネアの刺々しさをそのまま受け流した。
「非難しているわけではない。……ただ、周りにいるのは子供ばかりだからこそ、理性ではなく偏見で物事を考える者も多い。だから、学院で生活するのは何かと大変だろう。だが、“リュカの友人”であるなら、私は力を貸すことを惜しまない」
僕の友達という言葉が、少しだけ強調されたように聞こえたけど、ネアはその意味を受け取ったのか、ほんの一瞬だけ視線を伏せてから静かに頷く。
「……覚えておく」
父様は優しいから、ネアの言い方に腹を立てることはないと分かっていても、正直なところ、僕達でも使わない言葉でのやり取りは、聞いていてハラハラしていた。だから、部屋を出て行く二人の背中を見送った時は、母様の時とはまた違った意味で、大きく息を吐いていた。
「バルドは、どう思った?」
さっきのやり取りを思い出しながら尋ねると、バルドは僕と同じような顔をして、首を横に振った。
「俺でも、あの態度はさすがに無理だぞ……」
「……だよね」
やっぱり僕だけじゃなかったと思いながら、再びネアへと視線を向ける。
「それで、ネアは父様達に会いたがってたけど……実際どうだったの?」
「そうだな。……迂闊なことは出来ない、とは思った」
(……もう、だいぶやらかしてる気もするけど)
心の中でこっそりつっこみを入れるけれど、その一方で、コンラットはまだ落ち込んだまま、こちらの会話も耳に入っていない様子だった。
(ネアの態度でも怒られてないんだから……コンラットも、そこまで気にしなくていいと思うんだけどな……)
むしろ、微笑ましいものを見るような笑みを浮かべていたと思う。少しだけ言葉に詰まりながらも、僕はそんなコンラットへと声を掛けた。
「そんなに気にしなくていいと思うよ。父様は笑ってたし、無表情だったけど、兄様も優しいから、怒ってなかったよ」
「……本当ですか?」
そう言うと、コンラットは恐る恐るといった様子で顔を僅かに上げた。
「それに、そんなに気になるなら……夕食の時にでも、僕の方から言っておこうか?」
「絶対ですよ!!」
「う、うん……」
食いつくように返ってきたその勢いに、思わずたじろいでしまう。すると、そんな僕の様子を見て、コンラットが釘を刺すよう、さらにもう一度、念を押してきた。
「今度は、忘れないでくださいね!!」
(たぶん……忘れないから、大丈夫……)
心の中でそう呟きながら頷いていると、その内心を見透かしたかのように、帰る直前まで、コンラットは何度も念を押してきた。そんなこともあり、その日の夕食の席では、自然と今日の出来事が話題に上った。
「約束した手合わせの件だが……軽くでいいのか?」
「……たぶん?」
兄様に尋ねられ、記憶を辿ってみるものの、具体的な話をした覚えがなくて、首を傾げながら答える。
「明日、学院で会った時に、バルドに聞いてみるね」
そう言うと、兄様は小さく頷いてから続けた。
「相手の予定も合わせて確認しておいてほしい。私も仕事を調整するつもりではあるが、急な変更は難しい。明日は一応空いているが、その時間はリュカとの訓練として確保したい」
「明日もやるの?」
部屋を出る際、先に予定を空けておいてほしいとは言われていた。だから、てっきり魔法の練習だと思って、少し楽しげな声を上げれば、その期待は見事に裏切られた。
「ルーン文字も覚える必要があるからな」
「……覚えられるかな」
簡単なことのように言われるほど逆に不安になり、思わず気乗りしない声が出た。すると、僕の“苦手”をよく知っている兄様が、少しだけ声の調子を和らげ、励ますように言った。
「絵を眺めるように、文字を見ているだけでも、記憶には残るものだ」
「うーん……」
(眺めるだけなら……なんとかなる、かな?)
コンラットに記憶力を指摘されたばかりで、正直、自信はあまりない。そんな時、ふと思い出して、慌てて口を開く。
「あっ……!僕が兄様たちが来ることを伝え忘れていたから、みんな驚いて緊張したみたいなんだ。それで、ちゃんと挨拶できなかったせいで、怒らせたんじゃないかって、すごく気にしてて……。でも、怒ってないよね?」
確認するように尋ねると、父様は笑みを浮かべながら頷き、答える。
「そんなことで怒ったりはしないよ。それに、子供は自分の名前を言えるだけでも、十分褒められるべきだと、部下達も言っていた」
基準が甘い気もするけれど、父様がそう言うと、兄様も淡々とした調子で続けた。
「私も怒っていない。それより父上……仕事を抜け出してきて、本当に良かったのですか?来月には、陛下の生誕祭があったはずですが」
“怒られるべきなのは父様だ”とでも言いたげな視線を兄様が向ける。でも、父様は余裕のある笑みを浮かべて、肩を竦めた。
「毎年のことだし、皆、準備には慣れている。それに、今の時期はレクスに媚びを売るために大人しくしている貴族ばかりだ。だから、何か動きがあったとしても、既に同業の者達で片付けるよう指示も出しているから、私の方はそれほど大変でもないよ」
「……それなら、良いのですが」
僕も少し心配していたけど、父様が問題ないというなら、ひとまず安心だ。兄様は、父様の言葉にどこか引っかかるものがあるような顔をしていたけれど、僕はただ、コンラットから頼まれたことを忘れなかった事に、ほっとしていた。
(……少し忘れかけてたことは、内緒にしておこう)
胸の奥でそう呟きながら、これでコンラットにも、安心する報告が出来そうだと、そっと胸をなで下ろした。
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