加減を知らない
今夜の食卓は、昼間とは違って穏やかな空気が流れていた。
「庭を見させていただきましたが、エレナ様のお話を聞いて、本当に大事にされているのが伝わりましたわ」
「そう言っていただけて嬉しいわ」
同じ女性同士で、好きなものも近いからだろう。母様と王女は楽しげに会話を続けている。けれど、父様と兄様は対照的だった。二人ともほとんど口を開かず、食器の触れ合う音だけが静かに響いている。
兄様は昼間の件を引きずっているのだろうから分かるけれど、父様の様子は少し違った。何かを考え込むように黙り込み、時折こちらへ視線を向けてくる。
(……本当にどうしたんだろう)
そんなことを思っていると、王女が少し困ったように笑った。
「私自身も、自らの手で育てたいと思いますけれど、周囲の者達に止められてしまって、思うようにはいかないんですの」
「確かに、そうかもしれませんわね……」
護衛の二人が別室で待機している今だからこそ、口にできる本音なのだろう。王族という立場ゆえの窮屈さを滲ませる王女に、母様もまた事情を察したように、少し躊躇いがちに同意した。
「王妃であるルーナ様とも、時折お茶をご一緒することがありますけれど、似たようなお話をされることがありますわ。本来なら私も、庭師に任せて一歩引いていた方がいいのでしょうけれど……アルが、気にしなくていいと言ってくれましたの。ねぇ?」
母様が父様へ話を振ると、父様は意識を引き戻されたように、ゆっくりと頷いた。
「あぁ、他の者には私が何も言わせない。だから、周囲の目など気にせず、エレナは好きなことをすればいい」
「ふふっ、ありがとう」
母様が嬉しそうに笑うと、王女が羨ましげに吐息をこぼした。
「理解のある方が傍にいて羨ましいですわ。私も心配していただけるのはありがたいのですが、あまりにも過剰ですと、時折窮屈に感じてしまって……」
その言葉に、兄様の眉がぴくりと寄る。王女もすぐにそれに気付いたのか、失言でもしたように口をつぐんだ。さらに父様まで、再び考え込むような顔へ戻ってしまう。
(……また昼間みたいな空気になってきた)
部屋に静寂が降りかけるけれど、重くなりそうなその空気を、母様は明るい声であっさりと吹き飛ばした。
「それなら、ここでは自分の好きなことをしてみたらいいんじゃないかしら?」
「ここで、ですか……?」
「えぇ。ここなら何か言う方も、それを噂にする方もいないわ。それに、お互いの交流として、私に付き合ったことにすればいいもの」
「良いのですか!?」
「もちろんよ。私も、一緒に花の手入れができる方が増えて嬉しいわ。早速、明日の朝は大丈夫?」
「はい!予定より早く着きましたので、時間には余裕がありますわ!」
「それなら良かったわ」
そうして二人が笑い合うだけで、部屋の空気はすっかり明るくなった。
(……あの空気を変えられるなんて、母様は凄いな)
父様達とは違う種類の凄さに、僕は素直に感心していた。そして夕食が終わり、部屋へ戻ろうとした時だった。
「リュカ。少し良いか?」
父様に呼び止められて振り返ると、少し硬い表情をした父様が立っていた。
「なに?」
「少し込み入った話があってね。この後、何か予定はあるか?」
「ううん、ないよ」
後は寝るだけだったので首を振ると、父様はわずかに安堵したように息を吐いた。
「では、私の部屋で少し話そうか」
そう言って歩き出す父様の後ろをついていく。けれど、部屋に着いてからも父様はすぐには口を開かなかった。何度か言葉を選ぶように視線を落とし、やがて意を決したようにこちらを見る。
「リュカは……私の行いで、窮屈さを感じているか?」
「……え?」
あまりにも真剣な顔で、今さらそんなことを聞かれた僕は、思わず首を傾げた。すると父様は、わずかに視線を逸らす。
「オルフェからも、子離れして欲しいと言われたからな……」
「えっ?なんで知ってるの?」
その場にいなかったはずなのに、そう思って問い返すと、父様はわずかに言葉を濁した。
「……少しだけ聞いたんだ」
「父様って、色んなこと知ってるよね。なんで?」
以前から、こちらが話していないことまで知っていることがあった。だから、前から思っていたことをそのまま口にすると、父様は一瞬だけ詰まり、それから諦めたように笑った。
「我が家に仕える影の護衛を、お前達には付けているんだよ。それに、私の耳となる者も、あちこちにいる」
(……そんな人いたっけ?)
見たことがないだけに、実感が湧かない。僕が内心で首を傾げていると、父様は困ったように目尻を下げた。
「やり過ぎだとは周囲からも言われる。だが……どうにも加減が分からなくてね」
「父様の時は、どうだったの?」
「私の時……か。両親とは、これといった関わりがなかった。参考になるようなものは何もないな」
僕が尋ねると、父様は考え込む素振りも見せず、どこか乾いた苦笑を浮かべながら答えた。
「でも、兄様とは仕事の話とかしてるでしょ?父様も、そういうことはなかったの?」
「杜撰だったが、過去の資料は残っていた。それを見れば、教わらずとも仕事をこなすのに支障はなかった」
「それでも、話すことはあったでしょう?」
父様は、あまり祖父母の話をしたがらない。
以前会った祖母も、正直あまり良い人には見えなかったし、一度も会ったことのない祖父については、父様が露骨に嫌っているのを感じていた。だから深く聞いたことはなかった。けれど、僕が真っすぐ父様を見つめていると、その意思を察したように、やがて父様は重い口を開いた。
「聞いて楽しい話とも思えないが……面白半分に語る者から耳に入るよりは良いか」
その声音は、普段の柔らかさとは違い、ひどく冷えていた。
「以前にも少し話したが、褒められた人間ではなかった。放任主義と言えば聞こえはいい。だが、あれは自身の子供ですら、利用価値があるかどうかでしか見られない人間だった」
淡々とした口調なのに、言葉の端々に嫌悪が滲む。
「能力もないくせに他者を見下し、何かにつけて人を貶める。貴族としての見栄だけで生きていたような人間だ」
父様が珍しく、心底軽蔑した顔をした。
「だからこそ、私の能力の高さは自分に似たのだと周囲へ吹聴していた。……だが私は、その滑稽な姿を見て、幼いながら内心で笑っていたよ」
あまりにも冷たく、淡々とした語り口に、僕は何も言えなかった。
「召喚の儀が終われば、私の召喚獣は王族を凌ぐものになる。などと、何の根拠もなく言っていた」
「でも、聖獣だったんでしょう?」
「だからこそ、隠したんだ」
「どうして?」
「知れば確実に騒ぐ。あれらの顕示欲を満たすための見世物になるつもりなどない」
僕が問えば、きっぱりと言い切る父様に、僕は思わず感心する。
「よく隠せたね」
そう言うと、父様は当時を思い出すように肩を竦めた。
「召喚獣は卵から孵る。生まれる瞬間さえ隠してしまえば、両親に知られることはない。それに、そういった魔道具が書斎の隠し金庫にあることも気付いていたからね」
「それ、どうやって開けたの?」
「リュカ。隠し金庫を開けるのは、意外と簡単なんだよ」
それは、爽やかな笑顔で言われた言葉だった。だけど、僕は素直に笑えない。
(……絶対に無理だと思う)
普通の大人でも難しい。まして当時の父様は子供だったはずだ。僕が別の意味で黙っていると、父様は誤魔化すように続けた。
「他にも、敵対者の目を暗ませることが出来る利点などもあったからね。まぁ、平凡だという理由で叱責はされたが、それを覆す実績を出せば何も言わなくなった」
そこで一度言葉を切り、父様は淡々と続ける。
「……だが、存在そのものが害悪だったからな。学院卒業を機に家督を譲らせ、早々に王都から追い出した」
さらりと告げられた内容に、僕は固まった。
(……仲が悪いどころじゃなかった)
お姉さんの所へ行く前にも少し聞いていたから、多少は思うところがあった。けれど、今こうして語られる父様の子供時代は、想像していた以上に殺伐としていて、かける言葉が見つからない。
以前、僕が無神経なことを言ってしまったのではないかと、今さらながら胸が痛んだ。すると、そんな僕の様子を見て、父様が苦笑する。
「そこまで深刻になることではないよ。私の両親は、ある意味有名だったからな。当時を知る者は街にも多いし、今でもレグリウス家を嫌っている者もいる。あれらがいなくなった時、喜んだ者も多かった」
「でも、よく王都から出ていったね?」
父様が毛嫌いしている理由は分かった。けれど、そんな人達が素直に従うとは思えない。すると父様は、少しだけ愉快そうに口元を緩めた。
「ちょうど大きな失態を犯していて、王都には居づらくなっていたんだ。だから、ほとぼりが冷めるまでと言いくるめて隠居してもらったんだよ。まぁ……帰って来られては困るから、色々と手は打ったがね」
父様は満面の笑みでそう言った。その言葉で、以前聞いた“南の島でバカンス中”という話を思い出す。
(……帰りたくなくなったのかな?)
夏休みがいつまでも終わってほしくないと思うように、それだけ楽しいことがあるなら、帰ってきたくない気持ちも少し分かる。
「じゃあ、元気なんだ」
「あぁ、今も元気みたいだよ。それに、贅沢な貴族暮らしから、何もない無人島生活になっても生き抜く程度には、しぶといよ」
「そ、そうなんだ……」
おそらく重い空気をなくしたかったのだろう。けれど、あまりにも現実離れした言葉に、僕は笑えばいいのか分からなかった。やがて父様は、少し真面目な顔になった。
「この話は、エレナには内緒にして欲しい」
「なんで?」
「もし悲しそうな顔などされたら……どう声を掛けていいか分からなくなるからね」
「兄様にはいいの?」
「オルフェは、知らない振りをしているだけで、こちらの内情には気付いている」
そして父様は、少し考えるようにしてから続けた。
「オルフェ自身はある程度自衛できそうだったから手は出さなかったが、リュカはどうにも心配でね。だが⋯⋯オルフェの件もある。リュカに付けている影の護衛は減らすことにするよ」
その言葉を聞きながら、僕は思った。
(……完全になくすとは言わないあたり、やっぱり父様だよね)
少しだけ呆れながらも、どこか笑みを浮かべている自分がいた。
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