すれ違う価値観
カルロは、家族以外の人間がいる場では、余程のことがない限り姿を現さない。それだけに疑問が過るけれど、手紙を届けてくれる時もある。そのため、僕はその足元へ視線を向けたけれど、やはり何も結ばれてはいなかった。
(……どうしたんだろう?)
兄様もまた、無言のままカルロの普段とは違う行動を見つめていた。そんな中、事情を知らない王女が、どこか羨ましそうな声を上げた。
「お身内ということもあるのでしょうが、聖獣様と仲がよろしいのですね」
「いや、そんなことはない」
「そうなのですね」
兄様はきっぱりと否定する。けれど、それを謙遜と受け取ったのか、王女は柔らかな笑みを浮かべながら言った。そんな様子に、兄様は小さく息を吐くように言った。
「本当に違う。カルロは父上以外には決して懐かない。それは、身内である私達にも同様だ」
「そうなのですか?」
王女は信じられないといった顔をしていたが、兄様が真顔のまま頷く。すると、その姿に小さく頷きはしたけれど、それでも疑問は残るらしく、少し躊躇いながらも、王女は口を開く。
「ですが、此処にいる間も本来のお姿ではないのですね?てっきり、我が国に知られないよう擬態されているのかと思ったのですが……」
既に正体が知られているのなら、隠す必要はないのではないか。そう暗にそう尋ねているのだろう。けれど、その問いに、兄様は僅かに視線を逸らした。
「……おそらくですが、父上は知られるのが嫌なのだと思います」
「陛下や騎士団長は、隠しているご様子がありませんが?」
近くに同じような存在がいるだけに、一人だけ隠す意味があるのか。そう問いかけられ、兄様は少しだけ考えるような間を置いてから静かに答えた。
「無駄に厄介事を抱える必要もありません。それに……皆の注目を浴びることが、良いこととは限りませんので」
兄様自身、召喚獣の件では周囲の注目を浴び続けてきた。だからなのか、その言葉にはどこか実感が滲んでいた。
「……そうですわね」
簡潔な返答だったけれど、王女もまた思うところがあったのか、静かに頷いていた。
何となく重い空気が流れる中、僕達はカルロも連れて、無言で離れへ向かった。だけど、いざ精霊王達に貸している屋敷へ入ると、そこにいたのはキールとグレイだけで、肝心の精霊王の姿はなかった。
「アイツはどうした?」
あまり広くない建物なだけに、扉を開ければすぐ広間へ出る。だからこそ、そこに姿が見えないことに対して、兄様が疑問を投げかけると、二人は僕達へ横目を向けた。けれど、僕達だけでなく、王女の姿が視界に入ると、揃って面倒くさそうな顔になる。
「また、何か頼み事でもしに来たのか?」
「質問をする前に、こちらの質問に答えろ。あの厄介者はどこへ行った」
僕との件や、ルークスでの出来事もあってか、兄様の中では、あの精霊王は“問題しか起こさない存在”になっているらしい。だからこそ、こちらの問いにまともに答えようとしない態度に、兄様の声がわずかに低くなった。
(……でも、兄様が怒るのも仕方ないかも)
本人が不在なのもそうだけれど、それ以上に、その従者達が何事もないように客間でくつろぎ、本を読んでいる。もともと毛嫌いしている相手でもあるだけに、兄様が不快感を滲ませるのも無理はない。だが、当の本人達は、そんな空気などまるで気にしていないようだった。
「おそらく、街にでも行っているんじゃないか。前にいた所とは雰囲気も違うからな」
「何が楽しいのかは分かりませんが、あの方は昔から、よく一人で人の街へと出掛けていますからね」
再び問われ、二人は仕方なさそうに答えた。だが、正確な居場所までは把握していないらしい。けれど、その返答では納得できないとばかりに、兄様はさらに口を開く。
「仮にも従者ならば、主人の居場所くらい把握しておけ」
「そうは言いますが、見た目通りの子供ではありませんから」
兄様の鋭い口調にも腹を立てる様子はなく、グレイは淡々と返す。その声音には、あの方が人の尺度では測れないほど長い時を生きている、という当然の認識が滲んでいた。そして、それに続くように、キールも肩を竦めながら口を開く。
「それに、あの方が上だというのは理解しているが、別に従者というわけでもない。あまりに帰りが遅い時は、さすがに様子を見に行ったりもするがな」
「そういえば、ルークスで語られている話でも、最初はお一人でしたわね?」
自国に伝わる神話を思い出したのか、王女が小さく呟く。けれど、兄様は到底納得できないとばかりに、渋い声を漏らした。
「この王都で騒ぎを起こす可能性があること自体が問題なんだ」
「あの方が自ら精霊王だと名乗ったところで、信じる者などいない。仮にいたとしても、大した騒ぎにはならないだろう」
ルークスのように精霊信仰が厚い国ならば話は別だが、この国ではそうはならない。そう思っているからこそ、キールはどこまでも楽観的に言い放つ。けれど、兄様はそれを咎めるように言葉を返した。
「ただでさえ、この屋敷にはいらない注目が集まっているんだ。あれのせいで、リュカが再び危険な目に遭ったら、どう責任を取るつもりだ」
当人達を前にしても、兄様は苛立ちを隠そうとしない。原因の一端を担っているルークスの面々は、その言葉に気まずそうに身を固くする。けれど、言われた当の二人は、どこまでも平然としていた。
「お前は、何をそこまで気にしているんだ?」
「えぇ、まったく理解できませんね」
「兄である私が、弟であるリュカのことを気にするのは当然だろう」
兄様は一切迷うことなく言い切る。だが、二人はそれでも理解できないという顔を崩さなかった。
「だが、ずっと側で生きていくわけではないだろう」
「人間に限らず、生き物は種を存続させるために、いずれ住みかを離れるものですからね」
「他者に興味すら抱けない貴様らと一緒にするな。たとえ離れることになったとしても、縁が切れるわけではない」
他者への関心どころか、興味すら持てぬ者が口を出すな。そう言わんばかりの冷ややかな声だった。すると、二人からも同じように温度のない声が返ってくる。
「我々精霊から見れば、身内だろうと簡単に嘘をつき、騙し合う人族の関係の方が、よほど他者への関心が希薄に見えるがな」
「むしろ、甘やかすのではなく、人間界で自立できるよう、少しは厳しくした方が良いのでは?」
「……貴様らに言われずとも、そんなことは分かっている」
グレイの言葉に、兄様は何とも苦々し様子で答えた。
(……結果が結果だったからな)
そう思ったからこそ、兄様も一度は僕の行動を黙認してくれた。けれど、今では前よりも過保護になる結果で終わっている。だからこそ、返す言葉がなかったのかもしれない。兄様が黙り込むと、視線を僅かにずらしながら、淡々と続けた。
「お前も、無駄に干渉し過ぎなんじゃないか?」
「過度な干渉は、嫌われる原因にもなりますよ」
そう言って、二人はカルロへ視線を向ける。けれど、それはカルロそのものを見ているというより、その先にある何かを見透かしているようにも感じられた。
(……何を見ているんだろう?)
僕も無言のままカルロへ視線を向ける。でも、その先には何もなく、カルロを肩に乗せた兄様が、難しい顔をしているのが見えるだけだった。
だけど、部屋が静まり返り、それ以上誰も口を開かなくなると、二人は兄様への興味を失ったように、今度は王女へと視線を向けた。
「それで、結局お前は何しに来たんだ」
「また頼み事でもしに来たんですか?」
前回のことがあるからか、二人の視線には、僕達へ向けるものとは違う、明確な警戒があった。けれど、王女はそれを否定するように軽く首を振る。
「いえ。先ほど到着しましたので、皆様がどのような場所で過ごされているのかの見学と、その挨拶に参っただけですわ」
「そうか。それなら良い」
それだけ言うと、二人は途端にこちらへの興味を失ったように、本へ視線を戻した。
長い時を生きているからか、他人や物事への関心が薄いのだろう。自分達に関わらないのなら、それ以上はどうでもいい。そんな態度だった。
(……なんか、ネアに似てる)
自分に関わってこない相手には傍観者で、妙に悟ったようなことを言うネア。そんなところが、少し似ている気がした。
険悪な空気が残る中、どこか現実逃避のようなことを考えながら、その場に立ち尽くしていると、僕達へ素っ気ない声が飛ぶ。
「それで、いつまでここにいるんだ?」
「……言われずとも、もう帰るところだ」
案内どころの空気ではなくなっていたし、肝心の相手も不在。それだけに、兄様もここに用はないとばかりに背を向ける。だけど、二人の方も、そんな僕達には興味がないとばかりに、本へ視線を落としたままだった。そして、そのまま兄様は何も言わず、そのまま離れの外へ出ていく。
僕達も慌ててその後を追うけれど、王女達も僕と同じように居心地が悪そうだった。
(……どうしよう)
そんなことを思いながら庭を抜け、屋敷の近くまで戻った。その時だった。
「あら?オルフェも戻っていたのね」
聞き慣れた声に顔を上げると、城から戻ってきたのだろう母様が、ちょうど馬車から降りたところだった。
「母様!」
(良かった……!母様なら、この空気を何とかしてくれるかもしれない!)
救いを見るような気持ちで視線を向けていると、僕が駆け寄るよりも先に、兄様が静かに口を開いた。
「母上が戻られましたので、私はこれで失礼します」
「もう行くの?」
王女へ一声掛けると、兄様はそのまま早々に場を去ろうとした。そんな兄様へ、こちらへ歩み寄ってきていた母様が、驚いたように声を掛ける。すると兄様は、わずかに目線を伏せて答えた。
「えぇ。私がいない方が、話も弾むと思いますので……」
「そんなことないと思うけれど……」
「……いえ、失礼します」
引き留める母様の言葉を振り切るようにそう告げると、兄様はそのまま屋敷の中へ去っていった。そして、兄様の傍にいたはずのカルロも、いつの間にか姿を消していた。
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