表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/22

一枚目の、書面

 食料品の納入は、ベンケ商店。

 町で二代続く、手堅いお店だそうだ。手堅いお店が、紙の上の馬車を、走らせている。

 手堅い店が自分から悪事を始めることは、めったにない。手堅い店は、断れなくて、巻き込まれる。

 だとすれば、責めるのは、筋が違う。


 わたくしは、机に向かって、便箋を一枚、出した。

 上等すぎない、家の用向きの便箋。封筒は、屋敷の紋入り。

 紙の格は、文面の声の大きさだ。今日は、小さな声でいい。


 書き出しは、季節のご挨拶。

 お屋敷への長年のご奉公への、お礼。

 それから、本題を、三行。


『このたび家政を預かるにあたり、納入のお品を婚姻契約添付の財産目録と突き合わせましたところ、当月の納品記録と、当家裏門の荷受けの記録との間に、わずかな相違がございました。つきましては、貴店お控えの納品書の写しを頂戴し、当家の記録の過誤を正したく存じます。当家の帳簿の不始末でお手を煩わせますこと、なにとぞご容赦くださいませ』


 ——当家の、過誤。

 あなたを疑ってはいない、という形。

 うちの帳簿が間違っているといけないから、お宅の正しい控えを見せてください、という形。


 正しい控えなど、出せるはずがないのだ。

 控えを出せば、水増しが写る。

 出さなければ、二代続いた店が、帳簿の照合を断ったことになる。

 町の店にとって、お屋敷との取引は、看板の半分だ。看板に「照合を断った店」と書かれて、商いは続かない。


 お祖母様の家政帳、五十二頁目。

『責める手紙は、書いてはなりません。お詫びの手紙で、詰むのでございます』


 書き終えて、読み返して、一箇所だけ、直した。

 「相違がございました」の前に、「わずかな」を、足した。

 わずか、と書かれた相違ほど、受け取った側の頭の中で、大きく育つものはない。


 封をして、ミーナさんに頼んだ。


「お返事は、お急ぎでなくて結構です、と添えてくださいな」


 お急ぎでなくて結構、と言われた手紙ほど、人を急がせるものはない。



 ベンケ商店のご主人は、翌日の昼に、いらした。


 応接の間に通すと、ご主人は、丸い体を縮めて、汗を拭き拭き、何度も頭を下げた。

 悪人の汗ではなかった。困っている人の汗だった。


「このたびは、その、手前どもの不行き届きで……いえ、お屋敷のお帳簿のことで、ご面倒を……」


「まあ。わざわざ、ご足労いただかなくとも、よろしかったのに」


「いえ! いえ、その、手紙では何かと……それで、あの、奥様。相違と仰いますのは、その、どのあたりで」


 わたくしは、書き付けを、卓の上に置いた。


 火の日。金の日。荷馬車の数。樽と木箱の数。刻限。

 四週間ぶん。

 数字だけの紙だ。咎める言葉は、一つも書いていない。

 咎める言葉のない数字ほど、こわいものはない、ということを、わたくしは帳簿付けの十年で、よく知っている。


 ご主人の汗が、拭いても拭いても、追いつかなくなった。


「手前どもは、その……注文書のとおりに、納めておるだけでして……」


「ええ、ええ。そうでしょうとも。ですから、当家の過誤ですの。注文の数が、台所の入用より、多く書かれていたようで」


 注文書のとおり。

 その注文書を、誰が書いていたのか。

 ご主人は、言わない。わたくしも、聞かない。

 ここで名前を出させれば、ご主人は帰り道で青くなり、出された名前の方は、今夜のうちに手を打つ。

 まだ、その段ではない。


 わたくしは、にこやかに、続けた。


「来週から、注文書を、わたくしの署名のあるものに改めます。数は、台所と相談して、入用のとおりに。——それから、これまでの分は」


「は、はい……っ」


「過去のことは、過誤として、互いに正すだけですわ。つきましては、この一筆に、お署名をいただけます?」


 差し出したのは、短い書面だった。


『当店の納品数と屋敷の受領数に相違のあった期間につき、今後は受領数をもって請求の基とすることに同意いたします』


 誰も、罪人にしない文面。

 ただし、署名すれば、紙の上の馬車は、今日で停まる。

 そして「相違のあった期間」が存在したことが、商店側の署名で、残る。

 いつか、誰かの前に並べる日のための、一枚目。


 ご主人は、書面を三度読み、観念したように、署名なさった。

 ペンを置いてから、ご主人は、初めて、まっすぐにわたくしを見た。


「……奥様は、その。お若いのに、恐ろしい字をお書きになる」


「あら。褒め言葉として、いただいておきますわ」


 帰り際のご主人の足取りは、来たときより、軽かった。

 長く担いでいた荷を、半分、降ろした人の足取りだった。

 巻き込まれた側は、いつでも、降りる口実を探しているものなのだ。



 夕刻、署名済みの書面の写しを、管財人の事務室へ届けた。

 帳簿のことは、すべてお耳に入れておくのが、筋というものだから。

 筋を通しておけば、あちらは「知らなかった」と言えなくなる。筋とは、そういう使い方をするものでもある。


「来週から、食料品の注文書は、わたくしの署名で出します。お手数が一つ減りますわね、クラムさん」


「…………それは、それは」


 ベルトルトさんは、書面を、受け取った。

 文面を、目で追っていく。


 その指が、「相違のあった期間」のところで、一瞬だけ、止まった。


 止まった指は、すぐに、何事もなく動き出した。

 お辞儀の角度は、今日も、完璧だった。


「奥様の、行き届いたお仕事ぶり。……先代様にも、お見せしとうございました」


「まあ。嬉しいこと」


 扉が閉まる。

 廊下を歩きながら、わたくしは、胸の内で、そろばんを一つ、弾いた。


 一枚目、終わり。

 残りの嘘は、あと、何枚かしら。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 お詫びの手紙で詰む、がお祖母様の教えでございます。


 次話「お祖母様の、しおり」——その家政帳から、思いがけないものが出てまいります。


 ブックマーク・評価をいただけますと、大変励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ