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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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7/22

旦那様の、執務室

 その晩、夕食の席で、旦那様が、仰った。


「食後に、執務室へ」


 給仕に立っていたドーラさんの肩が、ぴくりとした。

 嫁いで半月。二人きりでお話しするのは、廊下でのあのとき以来、二度目になる。

 お小言か、お咎めか、それとも契約の見直しか。

 どれであっても、呼ばれて行くのが、契約の妻というものだ。


 わたくしは、お茶を一式、盆に載せて、執務室へ向かった。

 呼ばれた部屋に手ぶらで入らないのは、お祖母様の躾だ。

 手が塞がっていれば、余計なことに、手が出ない。それも、躾の続きにある。



 執務室は、紙の匂いがした。


 古い紙と、新しいインクと、消した蝋燭の匂い。

 壁の棚に、綴りが並ぶ。机の上に、書類が三つの山。

 山は高いのに、崩れていない。崩れる前に、必ず手が入っている。整えながら戦っている机だった。

 机の蝋燭は、根元まで、短くなっていた。


「失礼いたします。お茶を、お持ちしました」


「……頼んでいない」


「ええ。わたくしが、飲みとうございましたの」


 旦那様は、何か言いかけて、やめて、椅子を勧めてくださった。

 勧め方が、少しぎこちなかった。この部屋に人を座らせることが、長いこと、なかった椅子の勧め方だった。


 わたくしは、二人分のお茶を淹れて、片方を、机の端に置いた。

 書類に、かからない場所に。

 湯気が、紙の山の谷間を、細く昇っていった。


「単刀直入に聞く」


 旦那様は、お茶には目もくれず、仰った。


「朝の裏門で、何をしている」


「お散歩ですわ」


「……火の日と金の日にだけ、する散歩か」


 お気づきだった。それも、曜日まで。

 窓辺の人影は、一度きりでは、なかったらしい。

 毎朝、あの窓辺にいらして、毎朝、裏門を見ていらしたということだ。お咎めにならないまま、半月。


 わたくしは、湯気の向こうで、少し考えた。

 嘘は、つかないと決めている。嘘は、帳簿を狂わせるから。

 ただし、まだ全部を申し上げる段階でも、ない。鼠の巣が、見つかっていない。

 巣のわからない鼠の話は、噂と同じ重さしか、持たない。


「荷を、数えておりました」


「数えて、どうする」


「家政は、妻の領分と伺いました。領分のものは、数を知っておきませんと。……いけませんでしたかしら。契約に障りますようでしたら、おやめいたします」


「————」


 旦那様は、しばらく、黙っていらした。

 卓の上で、組んだ指が、一度、組み替えられた。

 それから、ぽつりと、仰った。


「障らない。……好きにしろ」


「ありがとう存じます」


「ただし」


 旦那様の目が、初めて、まっすぐにわたくしを見た。

 疲れた目の、奥の方に、何かを測る光があった。


「この家の数字は、きれいなものではない。深入りして、気持ちのよいものでもない。——あなたは三年で出ていく人だ。汚れるだけ、損だと思うが」


 ……まあ。

 それは、ご忠告の形をした、ご心配というものでは、なくて?

 ご自分の家の数字を「きれいではない」と仰るその言い方には、覚えがある。帳簿の汚れを、自分の汚れのように背負っている人の、言い方だ。


「お言葉ですが、旦那様」


「なんだ」


「わたくし、汚れた帳簿を綺麗にするのが、生まれていちばん、得意でございますの。三年もあれば、たいていの帳簿は、洗えますわ」


 旦那様は、虚を突かれたお顔をなさった。

 笑うのを、こらえたようにも、見えた。気のせいかもしれない。


「……変わった人だ」


「よく言われます」


「もういい。下がってくれ。……仕事がある」


「はい。お茶は、置いてまいりますね」


 わたくしは、お辞儀をして、扉へ向かった。

 把手に手をかけたとき、後ろで、小さな声がした。


「……茶が」


「はい?」


「…………いや。冷めないうちに飲む。それだけだ」


 振り向くと、旦那様は、もう書類に目を落としていらした。

 ただ、右手だけが、机の端の器に、伸びていた。

 手は、口より、先に動くものらしい。



 部屋に戻って、家政帳に、書く。


『十五日目。執務室。散歩の許可、更新。お茶、一杯』


 お茶のことまで帳簿に付けるのは、われながら、どうかと思う。

 けれど、帳簿は、正直に付けるものなのだ。

 数えられるものは、数えておく。あとで、何かの足しになるかもしれないから。

 何の足しになるのかは、考えないことにした。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 頼んでいないお茶は、冷めないうちに飲む主義の旦那様でした。


 次話「一枚目の、書面」——数え終えた奥様が、最初の一手を打ちます。


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