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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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第68話:二十年ぶりの、門

 お客様の馬車が着いたのは、昼を少し回った刻限だった。


 わたくしと旦那様は、玄関の段でお迎えした。けれど最初の出迎えは、わたくしどもではなかった。


 門である。


 馬車が門をくぐるとき、ヴィムさんが帽子を取った。五十年その門に立ってきた方が、深く腰を折った。馬車が停まり、先にヒルシュ様が御者の手を借りて降りられた。旅の埃の中でも、上等だが古い外套は隙なく整っている。それから、もう一人。


 瘦せた、背の高い御老人だった。旅装は質素で、荷は革の鞄がひとつ。降り立って、まず屋敷を見上げるのでもなく、門の方を振り返られた。


「……ヴィム殿」


「フックス様」


 ヴィムさんの声が震えていた。


「御入りで、ございます。……二十年ぶりの、御入りで」


「控えに、書いてくだされ」


 フックス様は静かにおっしゃった。


「手前の出た夜も、貴殿は書いてくださった。夜のことで、灯りも乏しかったろうに。……あの一行に、手前は二十年、恥じずに済みました。出た日付の残っている者は、逃げた者ではございませんでな」


 ヴィムさんは何も言わずに控えを開いて、その場で書いた。節くれ立った指が、いつもよりゆっくり動いた。書き終えて、老人が二人、しばらく黙って向かい合っていた。間に挟まった二十年を、どちらも急いで埋めようとなさらなかった。



 東の客間で旅の埃を落としていただき、夕刻、火を入れた客間に卓を囲んだ。


 ヒルシュ様は蝋燭を目で数えてから、茶を一口含まれた。


「良い温度でございますのう。……して、奥様。老人二人を荷馬車のように王都から運ばせた御用の方を、伺いましょうかな」


「開かずの間を、開けます」


 わたくしは申し上げた。


「その立ち会いを、お二方にお願いいたします。……ですがその前に、フックス様。二十年前のことを伺わねばなりません。伺わずにお立ち会いいただくのは、順序が違いますので」


 フックス様は膝の上に手を揃えられた。インクの染みの抜けない指だった。爪のかたちまで、書く仕事のかたちをしている指である。


「どこから、なりと」


「お店を……いえ。お役を退かれた夜のことを」



 その方の話は、写字の字のように行の揃った話だった。


 二十年前の、年明け。王都の御用から戻ったフックス様は、帳面を締めにかかった。凶作の年である。屋敷の食は半分、修繕は止め、馬まで売って、それでも足りずに王都から大口の借りを入れた年である。その借りの出た先を帳面に立てようとして——先代様に、止められた。


「書くな、と仰せられました」


 フックス様の声は平らだった。


「手前は申し上げました。書かぬ金は、守れませぬ、と。出た形のない金は、いずれ誰かの都合のよい形にされまする、と。……先代様はお聞きになりませなんだ。書けば、施しになる。施しは、受けた者の背に一生乗る。わしは村々に、そんなものを背負わせるつもりはない、と」


「それで、言い争いに」


「へえ。……手前も、若うございました。守れぬ帳面の判は押せませぬと、申し上げました。売り言葉でございます。先代様は、なら判は要らん、と。買い言葉でございます。……いま思えば、あの方も手前も、同じものを守ろうとして、別の帳面を見ておりました」


 その夜のうちに、フックス様は家を出た。荷もろくにまとめず、抱えて出たのは、着替えでも給金でもなく、帳面が一冊。


「手前の、手控えでございます。管財の役が自分のために付ける、写しの写しのようなもので。……先代様は、手前の控えごと燃やして忘れよと、仰せられた。燃やせませなんだ。あの中には、あの年より前の、正しかった頃のこの家の数字が入っておりましたので」


 鞄からその方は、古い帳面を一冊出された。革は擦り切れ、角は丸くなっていた。二十年、写字屋の棚で待っていた一冊である。卓の上に置かれるとき、音がしなかった。置き方まで、書面を扱う人の置き方だった。


「門を出るとき、叫びましたそうで。帳簿だけは、燃やすな、と。……お恥ずかしいことに、よく覚えておりませぬ。ただ、あれは先代様への捨て台詞ではございません。お願いで、ございました。書かれたものさえ残っておれば、いつの日か、誰かが正せまする。……奥様。手前は二十年、その誰かをお待ち申しておりました」


 卓の上の蝋燭が鳴った。


 誰も、しばらく口を開かなかった。旦那様は、フックス様の手控えを見ておられた。父君と言い争って家を出た方が、父君の家の正しかった頃の数字を、二十年、燃やさずに持っていてくださった。その重さを量るのに、言葉はまだ早かった。


 わたくしは頭を下げた。下げながら思った。この家の帳尻は、二十年前のあの夜、二つに割れたのだ。書かないと決めた方と、書き残すと決めた方に。そして、その二つが今夜、同じ卓に戻ってきた。

 「出た日付の残っている者は、逃げた者ではございません」。門の控えというのは、そういう風に人を守ることもございます。書くという仕事の、いちばん静かな効き方でございます。


 燃やすな、は捨て台詞ではなく、お願いだったそうでございます。二十年越しの宛先に、届きました。


 次回、第69話「名の立たない、出口」。お金の出て行った道の、作り主の話でございます。


 二十年待った方の証言、続きます。ブックマークでお見届けください。

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