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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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第65話:目録の、お稽古

「書記を、お願いしたいのです」


 わたくしがそう申し上げると、コルネリア様は刺繍の針を止められた。


「……私が?」


「はい。西棟を開けます日の、目録の書き取りでございます」


「クラムにさせればいいじゃない。ああいうのは、管財の仕事でしょう」


「管財の役には、お願いできません」


 わたくしは理由を申し上げなかった。コルネリア様はわたくしの顔を、しばらく御覧になっていた。この方はこの半年余りで、聞いてよい理由と、聞かない方がよい理由の見分けを覚えられた。


「ふん。……いいわ。どうせ、屋敷の数なら書き慣れてるもの」


 お引き受けの言葉が、この方はいつも、ふん、から始まる。ふん、は、この家の帳面には載らない。載らないけれど、わたくしは胸の中の帳面に、毎度つけている。もう、頁が要るほどである。



 お稽古は、その日の午後から始めた。


 目録の書き取りには、型がある。祖母の家政帳の、三十五頁目である。


 一つ。読み上げる係と、書き取る係を分ける。同じ人が見て書くと、見たつもりのものを書いてしまう。


 二つ。品目、員数、在り姿の三つを書く。在り姿というのは、その物の今の様子である。「文箱、一。蓋に埃、錠なし」。きれいとか、古いとか、そういう心持ちの言葉は書かない。埃の厚みなら、書いてよい。


 三つ。書き取った行は、その場で読み上げて返す。読み上げる係がうなずいてから、次へ進む。


「面倒くさいのね」


「面倒の分だけ、あとで強うございます。あとから『そんなはずでは』と言う方は、この三つのどれかを省いた方でございます」


 わたくしは居間の棚を稽古台にした。わたくしが読み上げ、コルネリア様が書く。燭台、一対。硝子の器、三。奥の一つに、欠け。きれいな細工の……いえ、いまのは取り消します。心持ちの言葉でございました。


「義姉様でも、言うのね」


「言いますとも。ですから、係を二人にするのでございます」


「ふん。……書かないでおいてあげる」


 コルネリア様の筆は速かった。冬のあいだ、誰にも頼まれずに屋敷の数を書き留めてきた手である。読み上げの息に筆が遅れない。三巡りする頃には、わたくしの言い間違いを先に直されるようになった。四巡り目には、読み上げの句切りまで、こちらの息に合ってきた。係が揃う、というのは、こういうことである。



 西棟の支度も、並べて進めた。


 廊下の掃除はドーラさんの差配で、扉の手前まで。扉そのものと封の紙には、誰も触れない。卓を一つ廊下に出し、蝋燭を新しくした。目録を書くための場である。書見台と、水差しと、砂箱も添えた。長丁場の書き物の支度は、厨房の仕込みと同じで、始まる前に九割が決まる。


 ミーナには、錠の油を頼んだ。


「開けちゃ、だめなんですよね?」


「開けてはいけません。鍵穴に油を差すだけです。二十年、回っていない錠でございますから。……お日取りの日に鍵が折れては、目も当てられません」


「錠だけ磨いて開けないのって、なんか、変な感じです」


 ミーナはそう言いながら、丁寧に差していた。差し終えてから、鍵穴を布で拭い、扉に向かって小さく頭を下げた。何に対しての礼かは、本人も説明できないだろう。けれどわたくしも、この扉の前では、つい同じことをする。


 招きの文の返事は、まだ来ない。王都までの日数を指折り数えれば、まだ来ないのが道理の日数である。道理はわかっていても、門の方の音には耳が伸びた。


 クラムさんは、この支度の一切に、口を挟まれなかった。廊下の卓の前を通られるとき、一度だけ足を緩めて、書見台と砂箱を目で数えられた。数え終えて、何もおっしゃらずに行かれた。数える、というのは、あの方の癖でもある。わたくしと同じ癖を持つ方と、わたくしは半年余り、同じ帳面を挟んで立っている。



 夕刻、旦那様が廊下の卓を御覧になった。


「……支度が、いいな」


「あとは、お日取りと、立会人でございます」


「日取りは、客次第か」


「はい。お着きになった翌々日、と考えております。長旅の直後ではお体に障ります。ヒルシュ様は御高齢でございますから」


 旦那様は、閉じた扉を見ておられた。封の紙は貼った日の白さのままである。


「二十年で、この廊下が、いちばん人の手が入った」


 それだけおっしゃって、戻って行かれた。


 わたくしは卓の上の新しい蝋燭をまっすぐに直した。開ける日の支度は、これで九分どおりである。残る一分は、人の到着と——それから、当日まで何ごともないこと。


 何ごとも、ないこと。支度の目録に、その一行だけは書けなかった。

 目録の型は三つ。係を分ける、在り姿を書く、その場で読み返す。——どれも、あとから「そんなはずでは」を言わせないための段取りでございます。


 書記に立ったのは、冬のあいだ、頼まれもせずに薪と石鹸を数えていた方でございます。数える手は一朝一夕には育ちませんので。


 次回、第66話「削られた、斜面」。雪解けの道が固まりましたら、森でございます。


 お稽古の成果は後の話で。ブックマークにて、お立ち会いください。

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