第63話:叔父様の、返し状
鍵は、思ったより早く帰ってきた。
王都からの便で、小さな木箱がひとつ。中に、布にくるまれた鍵が一本と、折り畳んだ書面が一枚入っていた。
鍵の頭は丸く、真ん中に穴が通っていた。ミーナが手に取ってうなずいた。握るところだけ色の明るい、使い込まれた鍵である。この屋敷の鍛冶屋の作に、間違いない。二十年ぶりに、西棟の鍵が家に帰った。
書面の方は、大きな、伸びやかな字だった。
『奥方どのへ。
目録の写し、拝見した。理の通ったお手紙だ。私は理の通った話が嫌いではないので、こうしてお返しする。
弁解を一つだけ。盗ったのではない。兄上の形見に、借りていた。葬式の家というのはばたばたしていてな。挨拶もそこそこに、気がつけば鞄に入っていた。二十年も経つと、返す口実の方が見つからんものだ。
ただ、老婆心まで、一言。
開けても、兄上の恥が、出るだけだがね。
オスカー・フォン・ヴェッセル』
わたくしは、その最後の一行を二度読んだ。
脅しの文ではなかった。むしろ、身内の気遣いの声で書いてある。だからこそ引っかかった。この方は、開けたことのない部屋の中身を、恥だと御存じである。誰に伺ったのだろう。
あの部屋に最後に入ったのは、亡くなられた先代様である。鍵を借りていただけの方が、中身を知っている道理はない。知っている顔をなさる道理も、ない。あるとすれば、誰かがあの方の耳に、恥という言葉を、先に入れている。
それから、もう一つ。葬式のばたばたで鞄に入る鍵は、ない。鍵は歩かない。誰かの手が、鞄まで運んでいる。けれどその誰かの名は、この返し状のどこにも書かれていなかった。書かれていないことは、責められない。わたくしは、書面の嘘より、書面の白いところの方がこわい。
旦那様は、返し状を一度だけ読まれた。
「言ったとおりだろう」
「はい。身内のお顔で、お返しくださいました」
「……恥、か」
その方は、その一語だけを、しばらく見ておられた。何もおっしゃらなかった。おっしゃらないまま、書面をわたくしに戻された。この方が黙って戻す書面は、預けるという意味である。それも、この家に来てから覚えたことだった。
「お預かりいたしましょう」
事務室で、クラムさんがそうおっしゃった。両の手を揃えて。
「鍵の控えは、管財の役の預かりと、定めがございますれば」
「いいえ」
わたくしは申し上げた。
「この鍵は、控えではございません。ただ一本の、本物でございます。箱の中の一本は、似せ物とわかりましたので」
「……では、いかように」
「当主のお手元に。家政帳には、こう記します」
わたくしは帳面を開いて、その場で書いた。
『西棟書斎の鍵、一本。当主と奥様の、連名にてお預かり。出し入れは、双方の立ち会いをもって行う』
書き終えてから、旦那様に帳面をお回しした。旦那様は読まれた。それからペンを取って、日付の脇に署名なさった。
「これでいい」
短くおっしゃった。
「この鍵は、私一人でも、あなた一人でも動かせない。……その方が、強い」
わたくしは帳面を受け取った。連名、という言葉が、頁の上で妙にあたたかい形をしていた。契約の三条は、互いに干渉せず、である。けれど鍵一本の扱いは、契約の外の話である。契約の外の話が、この家には少しずつ増えている。
その日のうちに、わたくしは西棟の扉に封をした。
紙を一枚、扉と枠に渡して貼り、糊の上から日付を書く。旦那様の署名と、わたくしの署名を並べる。開ければ破れる。破れれば、開けたことが残る。錠は鍵で黙って開くけれど、紙は黙って開かない。
「これで、この扉は、錠と、紙と、二重でございます」
立ち会ったクラムさんに、わたくしはそう申し上げた。ご説明の形を取った。実のところは、宣言である。
クラムさんは、封の紙を見ておられた。日付を。それから二つの署名を。読み終えるのに、紙一枚には長すぎる間があった。
それから、いつもの完璧なお辞儀をなさった。
「行き届いたことと、存じまする」
顔を上げられたとき、まばたきが二つ、続けてなかった。
わたくしはそれを見なかったことにして、帳面を閉じた。帳面には今日、鍵が一本帰ってきたことと、扉に紙が一枚増えたことしか書いていない。見なかったことは、書かない。書かないことは、忘れないことと、両立する。
「借りていた」は便利な言葉でございます。盗ったと返したの間の、どこにでも置けますので。けれど帳面の側から見れば、二十年の借りには、二十年分の置き場所の説明が要ります。
鍵は帰り、扉には紙が貼られました。錠前は鍵に開かれるためにありますが、封は、破られるためにあります。破った者を、覚えるために。
次回、第64話「凶作の年の、献立」。厨房の古い帳面が、二十年前の冬を覚えております。
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