↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
60/72

第60話:西棟の、扉

 春の森へは、まだ入れなかった。雪解けの斜面は、雪の季節より危ない。土が、緩んでいる。橇も、荷馬車も、上がれない。あの削られた斜面をこの目で見るのは、もう一月ほど、先になる。


 けれど、森へ行かずとも、できることが、あった。わたくしは帳面の側から、止めることにした。



「クラムさん」


 わたくしは月初めの打ち合わせで、そう申し上げた。


「北の森の森方の手当てにつきまして」


「はい」


「以後、当主の御承認をいただくことといたします」


 クラムさんは、顔を上げられた。


「……畏れながら。森方の差配は、二十年前の取極めにより、管財の役の者が執り行うものと、定められておりまする」


「さようでございます」


 わたくしはうなずいた。


「その取極めの立会人の署名に疑義がございます」


 わたくしは卓の上に写しを二枚、並べた。


「疑義が晴れるまで当家は、あの取極めを根拠として用いることが、できません。根拠のない委任は、委任ではございません。……よって、森方の差配はいったん、当主のもとへ戻ります」


「奥様。それでは、森の仕事が、止まりまする」


「炭焼きは、止まりません」


 わたくしは申し上げた。


「ヨスト様の窯の分は、これまでどおり、お出しいたします。炭は、村の暮らしでございます。止めては、なりません」


「では何が止まりまするか」


「窯に来ない方々の手当てでございます」


 クラムさんは、しばらく何も、おっしゃらなかった。この方は、争わない。四月、それを見てきた。この方が、こちらの手に敵わないと見たとき、必ずこうなさる。まばたきを二つ。それから、深くお辞儀をなさる。


「……かしこまりました」


 完璧なお辞儀だった。



 翌月の月次である。わたくしは行を一つずつ、確かめた。


 食費、安定。

 給金、据え置き。

 納入、両商会とも、入用どおり。

 返済、再設計後の額にて、まっすぐ。

 森方、材木と炭。手当ては、窯の三口の分のみ。


 そして、冬の人足の手間賃の行が、なかった。


 消したのでは、ない。わたくしはその行を消していない。当主の御承認をいただく形にした、それだけである。承認を求める書面が、上がってこなかった。それだけのことでその行は月次から、落ちた。


 二冬、この家の食費より多かった支出が、書面一枚の順番を変えただけで、立たなくなった。立てられなかったのである。当主の承認の欄にこの二十人が何をしているかを、書けなかったから。



 その週、わたくしは門へ下りた。


「ヴィムさん」


「はい、奥様」


「北の道は、いかがでございましょう」


 ヴィムさんは、控えを開かれた。ゆっくりと日付を辿られた。それから、顔を上げられた。


「出ませぬ」


 火鉢の炭が小さく鳴った。


「この半月、北の道へ荷は一つも」


 わたくしはその、白い頁を見ていた。四十六回。二十九回。そして、この半月は零。数字が一つ、合った。


 わたくしはこの四月、いくつかの数字を合わせてきた。卵も、蝋燭も、名簿の人数も、葡萄酒の樽も、返済の戻り先も。そのたびにこの家が少しずつ軽くなるのを見てきた。


 今日の一つは少し、違った。これは、この家に何も、戻ってこない数字である。森から出ていたものは、二十年、この家の帳面に一行も、立っていなかった。だから、止めても、収入は一銭も増えない。


 それでも、わたくしはこの零を長く、見ていた。盗まれ続けることをやめた家の数字が、こういう形をしていることを、初めて、知った。



 玄関の燭台は、十八座のままである。あと六座。わたくしは今月も、増やさなかった。


 湖の水は、まだ抜けていない。ドルンの口は、王都で開いたままだ。七日の木箱は、道を変えて、動いている。三冊目の帳簿は、見つかっていない。二十年前の署名を書いた手は、まだ名前を持たない。そして、この家の森の下から出たものが、いまどこの誰の蔵に積まれているのかをわたくしは知らない。


 合っていない数字が、まだこれだけ、ある。燭台は、それが全部、合った日に二十四座にする。



『百九十日目。森方の手当て、当主承認制へ。翌月次より冬の人足の手間賃、計上なし。北の道への荷、この半月、零。契約の残り、二年と五月』


 わたくしは家政帳を閉じた。閉じてから、もう一度、開いて、一行、足した。


『お祖母様。この家の森は、いま誰のものでも、ございません。誰のものでもないというところまでは、参りました』



 その日の夕刻。わたくしは西棟の廊下にいた。旦那様が、先に立っておられた。扉の前である。


 埃の匂いがした。この廊下は、四月前、初めて通った日から、何も、変わっていない。掃除だけは、入れてある。扉の前の床だけ、木目が少し、明るい。誰かが、繰り返し、そこに立ったからではない。ただ、日が差すからである。


「叔父上が、持っている」


 旦那様が、そうおっしゃった。


「はい」


「三年前だな」


「……ヴィムさんの控えでは、御葬式の後、六日、御逗留でございました」


「六日」


 旦那様は、扉を見ておられた。


「私は、その六日を覚えていない。父が死んだ週だ。何を見たかも、誰と話したかも、覚えていない」


 わたくしは何も、申し上げなかった。覚えていない六日の間に、家から出ていったものが、一つ、あった。それがいま王都の四頭立ての馬車に乗って帰った。


「開けますか」


 わたくしは伺った。旦那様は扉の把手に手を伸ばしかけて、下ろされた。


「いや」


 その方は、そうおっしゃった。


「立会人と、目録と、お日取りだ。……あなたが、そう言った」


 わたくしは少し、驚いた。それは、二月前にわたくしが、この方に申し上げたことだった。開かずの間を開けるときは、作法を整えてから。そうでないと中から出てきたものが、証にならない。この方は、それを覚えておられた。


「錠前屋を呼べば、明日にでも、開く」


 旦那様は扉から、目を離さずにおっしゃった。


「開けたら、中のものは、ただの紙になる。誰かが後から入れた紙だと、言われて、しまいだ。……二十年、誰も開けなかった部屋だ。あと少し、待てる」


「はい」


「叔父上の鍵を取り返す。目録を作る。立会人を立てる」


 旦那様はそこで初めて、こちらを御覧になった。


「あの部屋を開けるときは」


 いつもの抑揚のない声だった。


「あなたに立ち会ってもらう」


 わたくしは頭を下げた。下げた顔をしばらく上げられなかった。



 廊下の窓から、日が、差していた。北の国の春の、細い日だった。


 扉は、閉じたままである。その向こうに二十年前の最初の一枚がある。父の遺した最後のものが、ある。この家の借りが、どこから始まったのかも。


 わたくしはその扉を見上げた。契約の残りは二年と五月。


 開ける日は、まだ決まっていない。けれど、開ける日に誰が立ち会うかは、今日、決まった。

 これにて第五章「北の森と、分家の椅子」、締めでございます。


 人好きのする叔父様が来て、完璧な書面を置いていかれました。冬の森では、二十人が、窯に来ないまま働いておりました。二十年前の取極めの立会人は、その席に、おりませんでした。


 この章でアデーレが使ったのは、断罪でも告発でもなく、承認の欄を一つ増やすことだけでございます。それだけで、二冬つづいた支出が月次から落ちました。書けないものは、書面にならない。書面にならないものは、立たない。——この家の戦い方でございます。


 燭台は、十八座のままです。合っていない数字が、まだ、これだけございますので。そして、開かずの間の鍵は、二本ございました。


 次章、第六章「先代の、使途不明金」。西棟の扉が、開きます。まずは、鍵の帳尻から。


 ブックマークと評価をいただけますと、大変励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。