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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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第57話:二度目の、季節

 ヒルシュ様のお手紙には、二枚目が、あった。


 わたくしはそれに、三日、気づかなかった。署名の撥ねに、気を取られていた。折り返した紙の裏にもう一枚、薄いのが、貼りつくように挟まっていた。追伸、と、書いてあった。


『追って一つ。いつぞや、お宅の客間で「前の御婚約の話は、伯爵はなさいましたか」と、余計なことを申し上げました。あれきりに、しております。老人が言いかけて黙るのは、いちばん性の悪いことでございますな。始末をつけておきます』



『前の御縁談は、婚礼の三月ほど前に向こうから、解かれました。


 理由の欄には、双方の合意、と書いてございましょう。書面とは、そういうものでございます。


 実のところは、こうでございます。伯爵様は、先方の御父上にこの家の借りの額を御自分から、お見せになりました。婚礼の前に。全部を。……手前は、その額を貸しておる側でございますから、いつ、誰にその帳面が開かれたかは、存じております。


 奥様。金貸しは、縁談の壊れるところを、ずいぶん、見てまいりました。


 縁談は、額を知ったときには、壊れませぬ。額を、隠されていたと知ったときに、壊れまする。


 ……あの御方は、隠されなかった。だから、壊れたのでございます。


 二十三の若い方が、それをどう、お受け取りになったか。手前には、わかりませぬ。ただ、その翌年から、伯爵様は、貸し手のところへ御自分でいらっしゃるようになりました。人を介さずに。……あれは、もう誰にも、間に立たせぬと決めた方の、来られ方でございました』



 わたくしはその手紙を膝の上に置いた。窓の外は、白かった。


 ——三年で、離縁して構わない。持参金は、いらない。互いに干渉しない。


 あの三条を初めて読んだ日、わたくしは条件のいいお話だと思った。この方は、妻に何も期待していないのだ、と。


 違った。あの三条は、全部、先に見せてあった。


 持参金は、いらない。——この家に、あなたの家の金を、巻き込まない。

 三年で、離縁して構わない。——逃げ道を先に書いておく。

 互いに干渉しない。——王都へ、出さない。


 この方は、婚礼の前に全部を見せる方なのだ。一度そうして、去られた後も、やり方を変えなかった。変えられなかったのかもしれない。



 その便にもう一通、あった。実家の顧問弁護士からである。封を切る前から、何の書面か、わかっていた。


 契約、第七条。三月ごとにこの婚姻を継続するか否かを、双方が、書面にて確かめる。窓口は、リンデン家の顧問弁護士。


 一度目は、九十一日目だった。あのときは、わたくしが署名し、旦那様が署名し、それだけのことだった。庭の話をするような速さで、済んだ。


 二度目である。



 夕刻、執務室へ上がった。旦那様は、返済の予定表を見ておられた。この方は、この三年、毎晩、これを読んでこられた。


「第七条の書面が、参りました」


「……ああ」


 わたくしは卓の上に置いた。二枚。同じ文言のものが、二枚。継続の欄と、解約の欄。どちらかに名を書く。


 わたくしは先に書いた。継続。アデーレ・フォン・ヴェッセル。ペンを置いて、旦那様の方へ紙を回した。


 旦那様が、ペンを執られた。継続の欄に筆を下ろされた。


 レ、と書かれたところで。


 止まった。



 窓の外で雪が、屋根から、落ちる音が、した。


 旦那様は、ペンを紙から、離されなかった。離さずに、止まっておられた。三つ、数えるほどの間だった。


 それから、残りをお書きになった。レナート・フォン・ヴェッセル。いつもと同じ、角ばった、まっすぐな字だった。どこにも、乱れは、なかった。


「……済んだ」


「はい」


 わたくしは二枚を揃えた。何も、伺わなかった。なぜ止まられたのですか、とは、伺わなかった。


 わたくしはこの方に伺ってよいことといけないことの境目を四月かけて、覚えた。境目は、書面の上にある。書面に書いてあることは、伺ってよい。書面に書いていないことを、伺うとこの方は、扉を閉める。


 三つ数えるほどの間は、書面には、書いていない。だから、伺わなかった。


 わたくしは茶を置いて、退がった。扉を閉めるとき、ペンが、卓に置かれる音が、した。少し、遅かった。



『百八十三日目。第七条、二度目の確認。双方、継続にて署名。契約の残り、二年と五月半』


 わたくしはそこまで書いた。家政帳の頁は、あと半分ほど、残っていた。わたくしはその残りを指で押さえた。


 一日一行。この調子で書けば、あと何日でこの帳面が、終わるか。終わったら、二冊目を買う。町のベンケ商店で。同じものが、置いてある。


 二冊目が、終わる頃には。


 わたくしはそこまで考えて、ペンの尻でこめかみを押さえた。こういうことを、考える人間ではなかったはずである。わたくしは数えるべきものだけを、数えて生きてきた。卵の数。蝋燭の本数。給金の日。数えるべきでないものを、数え始めると家政は、乱れる。


 わたくしはもう一行、書き足した。書き足してから、しばらくそれを見ていた。


『この頁が、あと何枚残っているのか、数えてしまいました』

 三条件は、隠された壁ではございませんでした。婚礼の前に、全部、先に見せてあったものでございます。一度そうして去られた後も、この方は、やり方を変えませんでした。


 「縁談は、額を知ったときには壊れない。額を隠されていたと知ったときに壊れる」——この一行は、金貸しの翁にしか書けない台詞だと思って書きました。


 次回、第58話「分家の、椅子」。春が参ります。お返事を、差し上げねばなりません。


 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。ブックマークをいただけますと励みになります。

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