第55話:二十年前の、入会権
二十年前の書面は、文書庫のいちばん下の段にあった。探すのに、三日かかった。
文書庫は、埃の匂いのする、細長い部屋である。古い綴じが、年ごとに積んである。ただし、二十年より古いものは、順が、乱れていた。誰かが、一度掻き回した後に戻したような乱れ方だった。
「奥様。ここ、崩れてます」
ミーナが、下の段を指した。
「崩れて、いる」
「はい。あたし、こういうのわかるんです。積み直したところって、端が揃いすぎてるんですよ。古い山って、端が、ばらばらになるものなんです。誰かが一回、抱えて、置き直すとこうきれいになっちゃって」
わたくしはその、きれいな端を見た。この娘は、物の置かれ方を覚えている。誰かの動線を覚えている。それを才だと思ったことは、一度もないのだろう。
「ミーナ」
「はい」
「あなたは、この家の宝でございます」
「……えっ」
わたくしはその段の綴じを抜いた。
書面は、四つ折りにして、綴じの背に挟んであった。わたくしはそれを卓の上で開いた。
紙は、上等だった。二十年、湿気にも、鼠にも、やられていない。折り目のところだけが、うっすらと茶色くなっている。
文言は、次のとおりであった。
『北の森、入会ならびに山方の権に関する取極めの事
一、北の森における入会の権は、これまで森下三村の慣いに任せてまいったところ、近年、伐り出しに乱れあり。よって以後、入会の差配は、ヴェッセル伯爵家に一本化するものとする。
二、三村へは、これまでどおり、薪炭のための入りを許す。ただし、伐り出しの本数、および山方の事は、伯爵家の差配に従うものとする。
三、山方の事につき、その差配は、伯爵家管財の役の者が、これを執り行うものとする。
四、本取極めは、以後、書き換えを要せざるものとする。
右、相違なきことを立ち会いのうえ、証す』
わたくしは二度、読んだ。それから、三度、読んだ。
どこも、おかしくなかった。
村の乱伐を止めるための取極めである。理由は、正当だった。村の暮らしにも、配慮がしてあった。薪と炭のための入りは、これまでどおり、許されている。村が困る条ではなかった。
ただ、一つ。三条だけが、他の条と違う顔をしていた。
「……山方の事」
わたくしはその四文字を指でなぞった。入会。伐り出し。薪炭。この書面は、そこまでを丁寧に書いている。
山方、というのは、木の話では、ない。地の下から、何かを掘る話である。
二十年前のこの取極めは、村から屋敷へ木を伐る権をまとめた。そして、そのついでのような一条で、地の下の事の差配を管財の役の者へ渡していた。
四条。以後、書き換えを要せざるもの。——一度きりでよい。二度と開かなくてよい。二十年、誰も、この頁を開いていない。
わたくしは末尾へ目を下ろした。署名が三つ、あった。
ヴェッセル伯爵。先代様の御名。字は大きく少し、傾いでいた。
森下三村、惣代。三人。判が、押してある。
そして、立会人の欄。わたくしはそこで息を止めた。
『管財 フックス』
その一つの名をわたくしは四月前から、知っていた。二十年前、この家の管財人だった方。先代様と言い争いその夜、帳簿を一冊、抱えて、この門を出て行かれた方。そして、門でヴィムさんに向かって、こう叫び残されている。
——帳簿だけは、燃やすな。
わたくしは日付を確かめた。二十年前の冬。
わたくしは家政帳の頁を繰った。この四月で書き溜めた覚え書きである。
二十年前。ベルトルト・クラム様、この家に着任。
二十年前。フックス様、退職。出奔。
二十年前。ロルフ商会の月に一度の訪いが、始まる。
そして、二十年前。この家の借りが、膨らみ始める。
同じ、一年である。その一年の冬にこの森の地の下の差配が、管財の役の者へ渡っていた。
わたくしは書面を持って、執務室へ上がった。旦那様は、それを長く、読んでおられた。読み終えて、卓に置かれた。
「……知らなかった」
「はい」
「森の帳面は、実入りが薄い。だから、私は三年、後回しにしてきた。返済の方が、急いていた」
旦那様の指が、三条の上で止まっていた。
「山方、とは」
「木の話では、ございません」
旦那様は、しばらく黙っておられた。
「……父はこれを承知で署名したのか」
わたくしは答えなかった。答えられなかった。この書面は、そこまでは、教えてくれない。書面は、書いてあることしか、教えてくれない。
ただ、一つだけ、この書面が、教えてくれることが、あった。二十年前のこの冬、この紙の前に三人の村の惣代と、先代様と、もう一人が、いた。
その、もう一人は。その翌年に帳簿を抱えて、この門を走り出ている。
「旦那様」
わたくしは書面の末尾を指した。
「この署名を書いたご本人に伺えば、よろしいのですね」
二十年前の冬の取極めでございます。村の乱伐を止めるための、正しい書面。ただ、三条だけが、地の下のことを、管財の役へ渡しておりました。そして四条——以後、書き換えを要せざるもの。
書面の中でいちばん怖い一文は、たいてい「もう開かなくてよい」と書いてある条でございます。開かせないために書いてあるからで。
次回、第56話「写字屋の、返信」。王都へ、一通、差し上げます。
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