第53話:炭焼きの、小屋
オスカー様は、三日の逗留の後、王都へ発たれた。
「返事は、急がぬ」
馬車に乗る前に、そうおっしゃった。
「春までにお考えくだされば、よい。……奥方。書面は、置いてゆく。何度でも、読んでくださって、結構」
何度でも読め、と言える書面だった。実際、そのとおりの書面だった。わたくしは深く礼をした。
その翌週、わたくしは北の森へ参った。橇である。雪は、まだ脛の下までだった。あと半月もすれば、道は、閉じる。行くなら、今しか、なかった。
橇の座には、膝掛けが二枚、畳んで置いてあった。一枚は、コルネリア様の分。もう一枚を、わたくしは頼んだ覚えがなかった。物置から出したものだと伺ったけれど、物置の膝掛けにしては、埃の匂いがしなかった。
「なんで私まで」
毛皮の襟に顎を埋めて、コルネリア様が、そうおっしゃった。ご自分で、乗り込まれたのに。
「コルネリア様。この帳面と鉛筆をお願いできますか」
「……何を書けばいいの」
「わたくしが申し上げたことを、そのまま。数と時刻を」
「それだけ?」
「それが、いちばん難しゅうございます」
コルネリア様は、ふん、とおっしゃって、手袋を外された。
北の森は、細い森だった。木が、痩せていた。斜面が北を向いているので、日が、根元まで届かない。クラムさんのおっしゃったとおりだった。この森からは、良い材は、出ない。
橇が、道を上がっていく。
その道が。
広かった。
わたくしは両側の切り株を、見ていた。切り口が、新しい。片側だけではなく、両側の木が、払われている。橇一台がやっと通るはずの山道が、荷馬車の轍で二本、深く抉れていた。
「コルネリア様」
「うん」
「轍が、二本。幅は荷馬車。深さは——雪の下まで」
「……深さって、どう書くの」
「わからなければ、わからないとお書きください」
鉛筆の音が、した。
炭焼きの小屋は、森の中ほどにあった。窯が、並んでいる。土を盛った、丸い、大きな塚のようなもの。わたくしはそれを数えた。
「八つ」
煙が、立っているのは。
「……三つ」
あとの五つは、雪をかぶっていた。かぶり方が、新しい雪ではなかった。何度か降って、何度か融けて、また降った、古い雪の乗り方だった。
「奥方様が、こんなところへ」
小屋から出てこられたのは、ヨストさんという、炭焼きの親方だった。歳は、ヴィムさんと同じくらいに、見えた。目のまわりが、煤で黒かった。
「窯は、五つ、冷えておりますね」
「……へえ」
「今年は、炭を焼いておられませんの」
ヨストさんは、帽子を取られた。
「焼いておりますよ。三つは。……昔は八つ、みな、焚いておりました。手前の親父の代には」
「なぜ、減りましたか」
「人が、足りませんので」
わたくしは少し、黙った。
「……人は、多うございましょう」
ヨストさんは、こちらを見た。それから、雪の道の方を見た。
「多うございます。今年も、去年も」
「その方々は」
「窯には、来ませんので」
鉛筆の音が、止まった。コルネリア様が、顔を、上げておられた。
「町から、衆が参ります。二十人ばかり。冬の初めから、春の雪解けまで」
ヨストさんは、ゆっくりとおっしゃった。
「手前どもは、炭焼きでございます。あの衆は、炭を焼きませぬ。焚き付けの木も、切りませぬ。……手前どもの窯の火を手伝ってくれることも、ございません」
「では、何を」
「存じません」
ヨストさんは、そうおっしゃった。
「そういう決まりで、ございますので」
「決まり」
「差配の方が、そう。あの衆のことは、聞くなと。手間賃は、こちらにも、下りてまいります。窯を三つしか焚けぬのに、手間賃だけは、去年より厚い。……手前は、炭焼きでございます。読み書きは、いたしませぬ。頂いたものを村へ配って、それでしまいでございます」
わたくしはその言葉の中の一つを拾った。
「差配の方は、どちらの」
「お屋敷の、お使いの方でございます」
「お名前は」
「名乗られません」
ヨストさんは、帽子を、かぶり直された。
「ただ、書き付けをお持ちになります。判の、押してある」
わたくしは小屋を出た。三つの窯は、静かに煙を上げていた。焼き上がるまで、七日はかかる。この森の炭は、七日かけて、村の竈へ消えていく。
その煙の向こうに道が、もう一本、あった。窯の並びを迂回して、森の奥へ続いている道である。轍が、あった。わたくしはそちらへ歩いた。
「義姉様。そっちは」
「……少しだけ」
雪を踏んだ。小屋の裏手を回りきったところでわたくしは足を止めた。斜面が、削られていた。人の背丈の二倍ほど。木が、根ごと退けられている。その下に掘り返された土が、雪に、埋もれきらずに、盛り上がっていた。
わたくしはしゃがんだ。手袋を外した。炭焼きの土地には、灰が、まじる。黒い灰と、白い灰。窯の周りの土は、そういう色をしている。四月、この家の竈を見てきたので、それは、わかる。
この土は。
赤かった。
指の腹に細かい粒が、残った。冷たく、重かった。
「……コルネリア様」
赤い粒を、雪の上に置いた。白の上では、それはもう、言い逃れのきかない色をしていた。
「時刻をお書きくださいませ」
窯は八つ、火が入っているのは三つ。人は二十人。けれど、その二十人は、窯には来ません。
炭は焼き上がるまで七日かかります。その七日を守るのが炭焼きの仕事で、だからこそ「窯に来ない人足」というのは、炭焼きの目から見ると、いちばん奇妙なものなのでございます。
次回、第54話「石の、目方」。わたくしは、石のことは存じません。存じませんので、家政の目方で、量ることにいたします。
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