第50話:後見の、お申し出
「後見、と申しましてもな。堅苦しいものでは、ない」
オスカー様は、卓の向こうで、そうおっしゃった。朝餉は、下げられていた。残っているのは、茶と封蝋を切った書面が、一通。
「兄上は、返済に追われておられる。三年、ずっとだ。人ひとりが背負うには、多すぎる。……そこで分家が、いくつか、預かる。領地の端の細かいところをな。管理も、報告も、こちらでやる。兄上は返済に専心なされば、よい」
「叔父上」
旦那様が、口を開かれた。
「必要ない」
「即断されるな」
オスカー様は、笑っておられた。怒られなかった。そこが、この方の厄介なところだった。
「兄上も、そうやって、何もかも一人で抱えて、早く逝かれた。……レナート。お前は、父上によく似ている」
旦那様の手が、茶碗の縁で止まった。わたくしは、それを見ていた。
クラムさんが、脇から、静かに口を添えられた。
「僭越ながら。……まことにご賢明なお申し出かと、存じます」
「クラム」
「旦那様。管財の側から、申し上げます。この三年、当家の帳面は、返済のために他の一切を細らせてまいりました。領地の端まで目が、届いておりませぬ。届いておらぬところは、必ず傷みまする。……分家様がお預かりくださるのであれば、それは、当家の傷を一つ、減らすことになりましょう」
まことに正しいことをおっしゃっていた。管財人として、まことに正しかった。わたくしは、その正しさを聞きながら、この方のまばたきを数えていた。
「レナート。奥方にお読みいただいてはどうかな」
オスカー様が、そうおっしゃった。
「王都まで噂の蝋燭を数える奥方だ。私の書面など、すぐに粗が見つかろう」
旦那様は、少しの間、黙っておられた。それから、書面を卓の上でこちらへ滑らせた。
「家政の書面は、妻の職分だ」
それだけ、おっしゃった。わたくしを見ずに。
わたくしは、その紙の端に指を置いた。——十一話目のあの日と、同じ言葉の形だった。あのとき、この方は、廊下の向こうでわたくしの言葉を借りて、わたくしを庇われた。今日は、それを卓の上で公になさった。叔父上の前で。管財人の前で。
「……謹んで拝読いたします」
書面は、美しかった。わたくしは、その日の午後をまるごと、それに、使った。
文言に隙が、なかった。誰が読んでも、善意で誰が読んでも、断る理由が、見つからない。預かる期間は、五年。報告は、季節ごと。費用は、分家持ち。収益が出れば、当家へ七分。
七分。多すぎもせず、少なすぎもしない数字だった。あまりに、ちょうどよかった。
わたくしは、目録の頁をめくった。預かる対象の一覧である。
東の畑地、三区画。書きようは、二行。
南の水車小屋。一行。
街道沿いの空き家、二軒。まとめて、一行。
北の森。
——そこから、頁が、変わった。
北の森は、三頁、あった。
区画の境が、木の名で書き分けられていた。西は樅の並び、東は倒れた岩から数えて七本目の樫、と。炭の窯が、いくつあるか。そのうち、現に火の入っているものが、いくつか。入会の権が、いつ、どの村にどの範囲で認められているか。冬の、人足の入り方まで。
わたくしは、その三頁を二度、読んだ。それから、東の畑地の二行に戻った。
三区画の畑を、二行で済ませる方が、森の窯の火の数を、数えておられた。
夜。わたくしは、家政帳を開いた。
この書面には、悪いところが、一つも、なかった。条件は公正で、文言は丁寧で、費用はあちらが持ち、収益はこちらに厚い。断れば、こちらが、無礼になる。
けれど、家政をしているとわかることが、ある。人は、いちばん欲しいものの前で、丁寧になる。
届け物の書きようでそれは、わかる。届け先が大事なほど、宛名の字は、大きくなる。買い物の控えでも、そうだ。どうでもよい買い物は、まとめて「雑」と書く。どうしても欲しかったものだけ、値段まで、書いてしまう。
この書面を書かれた方は、東の畑地に興味が、なかった。水車小屋にも、空き家にも。
『百十一日目。オスカー様より後見のお申し出。書面、拝読。条件に非の打ちどころなし。ただし——』
わたくしは、そこでペンを持ち替えた。
『他の頁は、ざっと。森の頁だけが、ていねいでございました』
書面の粗を探すとき、わたくしはいつも、いちばん丁寧に書かれた頁から読みます。人は、どうでもよいものを「雑」とまとめ、どうしても欲しかったものにだけ、値段まで書いてしまうものですので。
完璧な書面でございました。条件も、文言も、費用も。ただ、北の森の頁だけが、三頁ございました。畑地は、二行でしたのに。
次回、第51話「先代の、奥様」。厨房には、この家のいちばん古い記憶が、残っております。
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