第49話:分家の、叔父様
第五章「北の森と、分家の椅子」、始まりでございます。
翌朝、門が開いた。
馬車が四頭立てだった。この屋敷には、大きすぎた。わたくしは、玄関の段の上でそれを見ていた。
降りてきた方は、大柄だった。四十五。先代の弟。黒い外套の裾を御者に払わせながら、屋敷の正面をぐるりと見上げた。そして、笑った。
「ああ。変わらんな。北の家は、いつ来ても、寒い」
声が、大きかった。この屋敷で、あんなに大きな声を聞いたのは、わたくしが嫁いでから、初めてだった。
「オスカー様。ようこそ、おいでくださいました」
わたくしが礼をすると、その方は、段を三つ、一息に上がってこられた。近くで見ると目尻に笑い皺が、深く刻まれていた。
「これは。噂の、奥方だ」
大きな手が、わたくしの手を両手で包んだ。貴族の作法では、ない。けれど、無礼でも、なかった。ただ、そういうことをする方なのだ、という気安さが、あった。
「兄上の家をよく持ち直させてくださった。王都まで聞こえておりますよ。ヴェッセルの新しい奥方は、蝋燭の数を数える、と」
「……お恥ずかしいことでございます」
「恥ずかしい。とんでもない」
その方は、また笑った。
「数を数えられる者が、この家には、二十年、おらんかったのだ」
オスカー様は、土産を、持ってこられていた。それも、当主とわたくしへの贈り物だけでは、なかった。厨房へ砂糖の袋、洗濯場へ石鹸、門番のヴィムさんには煙草の葉。使用人の分まで、名指しで、配られた。
「あたし、リボンをいただきました。奥様、見てくださいこんないい色の」
ミーナが、頬を赤くして、駆けてきた。わたくしは、ええ、ようございましたね、と申し上げた。
厨房へ下りるとグレーテさんが、砂糖の袋を卓の端に置いたままにしていた。開けても、いなかった。
「……グレーテさん」
「はい、奥様」
「お砂糖は、お使いになりませんの」
「使いますとも。月次のご報告に書いてくださいまし。いただきもの砂糖、一袋、と」
老いた料理長は、それだけ言って、竈の方へ戻っていった。わたくしは、その袋をしばらく見ていた。
昼過ぎ、玄関のホールでオスカー様が、燭台を見上げておられた。十八座。あと六座は、まだ空いている。
「増えたな」
その方は、そうつぶやかれた。
「三年前、兄上の葬式で来たときは、十二だった。……よく、六つも戻された」
わたくしは、少し、驚いた。燭台の数を覚えている方が、この家の外にもう一人、いたのだ。
「奥方。あと六つは、いつ、戻る」
「……屋敷の外の帳尻が、合いきりましたら」
「ほう」
オスカー様は、こちらを見た。笑い皺が、少しだけ浅くなった。ように見えた。それは、ほんの一拍だった。
「なるほど。外の帳尻、か。いい言葉だ」
その日の夕餉は、久しぶりに賑やかだった。オスカー様は、よく、話された。北部の街道の話、王都の物価の話、先代様の若い頃の話。
「兄上はな奥方。抱え込む人だった。何もかも一人で背負って、誰にも見せん。……私はいつも言っていたのだ。分けろ、と。兄弟なのだから、分けろ、と」
旦那様は、何も、おっしゃらなかった。肉を、切っておられた。いつもと同じ速さで。コルネリア様は、俯いておられた。
「コルネリア。大きくなったな」
「……はい」
「兄様に似てきた。愛想のないところが」
「……」
コルネリア様は、鴨のソースを皿の上で少し、寄せられた。ふん、ともおっしゃらなかった。それが、わたくしには、意外だった。この方は、嫌いな相手には、必ず音を立てる方なのに。今夜は、音を立てなかった。
給仕の合間にわたくしは、壁際に目をやった。クラムさんが、立っておられた。いつもの位置。いつもの完璧な姿勢。
オスカー様が、ふとそちらへ声を投げられた。
「クラム。息災か」
「はい。恐れ入ります、オスカー様」
クラムさんが、頭を下げた。
その、お辞儀が。
深かった。
この方のお辞儀は、いつも寸分の狂いもない。角度が、決まっている。わたくしは、この四月、それを毎日、見てきた。今夜のお辞儀は、その角度より深かった。
そして、頭を上げたとき、クラムさんのまばたきが、減っていた。
夜。旦那様の執務室に灯りが、あった。わたくしは、茶を運んだ。
「叔父上は、二日、三日、逗留されるそうだ」
旦那様は、こちらを見ずにそうおっしゃった。
「さようでございますか」
「……好きにさせてくれ、と言われた。断る理由が、ない」
旦那様の声には、抑揚が、なかった。いつもの抑揚のなさとは、少し、違った。何かを、押さえている抑揚のなさだった。
わたくしは、茶を置いた。それ以上は、伺わなかった。わたくしの職分は、この家の家政である。ご兄弟の間にあったことは、家政帳には、書いていない。
『百十日目。分家、オスカー様、ご来訪。逗留。使用人一同へ土産あり。玄関の燭台の座数を御存知でいらした』
わたくしは、そこまで書いて、ペンを止めた。少し、考えて、もう一行、足した。
『クラム様のお辞儀が、いつもより深うございました』
翌朝。朝餉の卓のわたくしの席の前に一通、置かれていた。封蝋。分家の紋。
オスカー様は、もう席に着いておられた。上機嫌でパンを割っておられた。
「奥方。朝から、無粋で申し訳ないが」
その方は、笑って、おっしゃった。
「兄上のご負担を少し、分家で預かりましょう」
お読みいただき、ありがとうございます。第五章、始まりました。
人好きのする叔父様の登場でございます。土産を配り、燭台の数を覚えていて、笑い皺の深い方。——けれど、朝の卓に、封蝋の書面が一通。
次回、第50話「後見の、お申し出」。整いすぎた書面には、たいてい、書きたかった一行がございます。
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