第43話:両替商の、湖
突き合わせは、三日、続いた。
外の帳面と、内の帳簿。二枚を重ねるほどに、ドルンという名が、何度も、浮かんできた。
三月前、屋敷の凍結した金の流れ先として、一度だけ見た名。ヒルシュ様の控えの、返済の戻し先の欄で、また会った名。この二つが、同じ両替商だという確信は、もう、動かなかった。
金は、いくつもの流れになって、この家から、漏れていた。幽霊使用人の給金。水増しの納入。二度払い。ばらばらの、小さな流れ。けれど、その流れは、どれも、最後に、一つの湖へ、注いでいた。
ドルンという名の、湖へ。
「湖の水面は、見えまする」
老人は、そろばんを、置いて、言った。
「ドルンに、金が集まっておることは、これで、はっきりいたしました。……けれど、湖の水面を見ても、その水を、誰が、どこへ、汲み出しておるかは、わかりませぬ。大事なのは、流れ込む口では、なく——流れ出る口、でございます」
流れ出る、口。
金は、ドルンに集まる。集まった金は、そこから、誰かの手に、渡る。その、最後の一人が、二十年、この家を削ってきた者だ。
「ドルンの、口座の名義を、知る手立ては」
「両替商は、客の名を、明かしませぬ。それが、商売でございますからな。……ただ」
老人は、目を、細めた。
「わたくしの店は、王都で、ドルンの、二軒隣でございます」
わたくしは、顔を、上げた。
「六十年、隣で商売をしておりますとな、奥様。壁越しに、いろいろと、聞こえてまいります。誰が、いつ、金を預けに来たか。誰が、大口を、動かしたか。……壁は、薄うございますからな」
この老人は、水音を聞く人だ。壁の中の水漏れを、天井の染みが出る前に、聞き取る人。
その夜、わたくしは、屋敷の側からも、湖の口を、探した。
ミーナを、呼んだ。
「ミーナ。この三月より前、屋敷から、王都へ、書状や小包を出していたのは、誰の役目だったか、覚えている?」
「あたし、そういうの、けっこう覚えてるんですけど」
ミーナは、得意げに、指を、折った。
「王都行きの荷は、月に二度、まとめて出してました。出すのは、いつも、クラムさんの、お部屋から。あたし、廊下で、何度か、見ちゃったんですけど——クラムさん、王都行きの封筒だけは、ご自分で、封をなさるんです。ほかの書状は、書記のに任せるのに。あの、朱に茶色を混ぜた、変な色の蝋で」
朱に、茶を混ぜた蝋。
ベルトルトの、私印の蝋だ。給金の受領印と、同じ色。ロルフ商会の納品書と、同じ色。
「宛先は、覚えている?」
「王都の、両替商さん。ええと……ドルン、だったかな。何度か、見ました」
湖の、流れ込む口の一つが、屋敷の中に、あった。
管財人の部屋から、月に二度、朱に茶の封蝋を捺した封筒が、王都の両替商ドルンへ、送られていた。三月前、記帳権を取り上げるまで、ずっと。
わたくしは、翌朝、そのことを、老人に、話した。
老人は、うなずいた。驚いた様子は、なかった。とうに、知っていた顔だった。
「では、あと一つ。ドルンの、流れ出る口。その口座を、昔、差配しておった者の名が、わかれば」
老人は、飴色の控えの、いちばん奥の頁を、繰った。二十年より、前の頁。
「わたくしの店の壁が、いちばん古く覚えておる名を、一つ、申し上げましょう。この口座を、最初に、ドルンに作らせた男の名でございます。二十年前——ちょうど、お宅の水音が、おかしくなり始めた頃」
老人は、その名を、言った。
「フックス、と申しまする」
フックス。
どこかで、聞いた名だった。
わたくしは、記憶の帳面を、繰った。すぐに、出た。
前任の、管財人。ベルトルトの、前に、この家の帳簿を握っていた男。二十年前、先代と言い争い、王都へ、去った——。
お読みいただき、ありがとうございます。
大事なのは、流れ込む口ではなく、流れ出る口でございます。
次話「前の、管財人」——二十年前を知る、生き証人。
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