第40話:返済計画の、再設計
翌朝も、老人は、屋敷に、いた。
昨夜は、東の客間に泊まった。長旅の老体である。一日で王都へ戻せるはずもなく、旦那様が、逗留を、勧められた。
朝の食卓に、老人の分の、卵が、載った。
厨房のグレーテは、客人の朝食に、ずいぶん、念を入れたらしい。老人は、その卵を、ゆっくりと、味わって、食べた。
「……よい、卵でございますな。ちゃんと、鶏の顔の見える卵だ」
鶏の顔の見える卵。
この家の卵が、週に百二十仕入れて厨房に四十しか届かなかった頃のことを、この老人は、たぶん、知っている。
食後、老人は、あらためて、御用の向きを、切り出した。
「伯爵様。奥様。——返済の、条件を、見直しませぬか」
旦那様の、手が、止まった。
「見直す、とは」
「二十年、痩せた牛から搾るような返済を、続けてこられました。その多くは、まっとうな返済では、なかった。あの細い欄を、ぐるりと回ってきた金でございます。……あれは、伯爵家が返すべき金では、ございませんでした。誰かが、伯爵家の返済に、紛れ込ませていた金でございます」
老人は、飴色の帳面を、また、開いた。
「わたくしの控えには、まっすぐ来た金と、回ってきた金が、両方、書いてございます。分けて、数え直しました。……この二十年、ヴェッセル家が本当に返すべきだった額と、実際に返させられた額とでは、差が、ございます。かなりの、差が」
わたくしは、息を、詰めた。
返しすぎていた、ということだ。この家は、返さなくてよい金まで、二十年、返し続けていた。誰かが、そう、仕向けていた。
「もっとも」
老人は、慎重に、付け加えた。
「差の額を、いま、確とは、申せませぬ。わたくしの控えは、貸し手から見た数字。もう半分——屋敷の中から見た数字と、突き合わせねば、確かなことは、言えませぬ。片側の帳面だけで断ずるのは、金貸しの、しくじりの元でしてな」
「その、屋敷の中の数字は」
「奥様が、お持ちでございましょう。この三月で、締め直された、正直な帳面が」
老人の目が、わたくしを、見た。
「わたくしの控えと、奥様のお帳簿。外と、内。二つを、突き合わせる。そうすれば、二十年の間に、いくら、余分に返させられたかが、出まする。……そのぶんを、これからの返済から、差し引く。それが、わたくしの申し上げる、条件の、見直しでございます」
わたくしは、老人の、飴色の帳面を、見た。
外から見た、この家。わたくしの手元の、三年分の帳簿は、内から見た、この家。二つを重ねれば、片方だけでは見えなかった歪みが、透けて、見えるはずだ。
紙を、二枚、光にかざすようなものだ。一枚では、ただの紙。二枚、ぴたりと重ねれば、透かしが、浮かぶ。
「……やって、みますわ」
わたくしは、言った。
「旦那様。お許しを、いただけますか。ヒルシュ様の控えと、こちらの帳簿を、突き合わせます」
旦那様は、しばらく、黙っておられた。
それから、短く、言われた。
「……頼む」
この人が、他家の金貸しに、家の帳簿を開くことを、許した。三月前なら、あり得なかったことだ。
「ありがたい」
老人が、頭を、下げた。深く、骨の軋む、お辞儀で。
「では、条件の見直しは、進めましょう。……ただ、奥様。一つだけ、こちらからも、お願いが、ございます」
「なんでしょう」
老人は、飴色の帳面を、静かに、閉じた。
閉じてから、その表紙の上に、両手を、置いた。まるで、これから言うことを、帳面に、聞かせぬように。
「二十年前の——いちばん、古い、一枚を。探して、いただきたい」
昨日と、同じ言葉だった。
「借金が、始まった、最初の証文でございます。あれさえ、出てくれば、二十年の水増しの、大元が、わかりまする。わたくしの控えにも、奥様のお帳簿にも、写しにも、載っておらぬ、たった一枚。……あれは、この御家の、いちばん奥に、眠っておりまする」
「奥、とは」
老人は、答えなかった。
答える代わりに、また、あの視線を、投げた。奥の間の壁の、その向こう——西棟の、暗い廊下の方へ。
閉ざされた、先代の書斎の、ある方へ。
お読みいただき、ありがとうございます。
外の帳面と、内の帳簿。二枚重ねれば、透かしが浮かびます。
次話「最初の、一枚」——いちばん奥に眠る、たった一枚の証文。
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