表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/22

写しで、結構です

 翌朝、わたくしは、もう一度、管財人の事務室の扉を叩いた。


 扉は、今朝も、間を置かずに開いた。


「これは奥様。昨日の今日で——旦那様のお許しが、もう出ましたかな」


 声に、ほんのひとさじ、勝ちの色が混ざっていた。

 お許しなど出るはずがない、と知っている方の、余裕の色。

 結構なこと。余裕のある方は、足元を見ない。


「いいえ。お許しは、いただきに行っておりませんの」


「……ほう」


「考えましたら、わたくし、帳簿の原本をいただく理由が、ございませんでした」


 ベルトルトさんの眉が、安心の形に、緩みかけた。

 その途中で、わたくしは、続けた。


「原本は、債権者様への義理がある大切なお品。ですから——写しで、結構です」


「……写し、と仰いますと」


「婚姻契約に、財産目録の写しが添えられておりましたでしょう。わたくし、あれに署名した身でございますから、目録にあるお品の現況を、確かめる義務がございますの。嫁いだ家の財産を知らないままでは、署名が嘘になってしまいますもの」


 わたくしは、にこやかに、申し上げた。


「目録と突き合わせるだけの、家政帳の写し。当代の分だけで、結構です。お忙しいでしょうから、お急ぎにならなくて、よろしくてよ。十日のうちに、いただければ」


 ベルトルトさんは、三つ数える間、黙った。


 昨日の「定め」は、原本を守る壁だった。

 昨日の「義理」も、原本を守る壁だった。

 写しには、どちらの壁も、かからない。

 そして、署名した目録の確認を妨げれば、それは管財人が、当主夫妻の署名を軽んじたことになる。軽んじてよい署名なら、この家の契約は、全部、紙屑になる。借財のある家が、いちばん言われてはならないことだ。


 断る理由を、頭の中の綴りから、一枚ずつ探して、見つからない。

 その三つ数える間が、この方の、今朝の敗けだった。


「……かしこまりました。写しを、お作りいたしましょう」


「ありがとう存じます」


 お辞儀の角度は、完璧なままだった。

 ただ、扉の閉まる音が、昨日より、ほんのわずか、早かった。


 お祖母様の家政帳、二十三頁目。

『扉が閉まっているときは、扉ごと押してはなりません。蝶番の側から、お入りなさい』


 蝶番の側から、入らせていただいた。



 写しは、五日目に、届いた。


 紐で綴じた、厚い束だった。

 几帳面な字で、最初から最後まで、整然と書き写されていた。

 急いで作った写しは、行の高さが暴れる。この写しの行は、定規で引いたように、揃っていた。

 五日で、この厚さを、この丁寧さで。

 几帳面さは、本物だ。それは、認めて差し上げないといけない。


 わたくしは、三晩かけて、財産目録と、仕入れの控えと、写しとを、突き合わせた。


 夜の部屋に、紙をめくる音だけがする。

 蝋燭が、三晩で、四本減った。

 燭台の数を誤魔化す家で、蝋燭を四本使って、蝋燭の数字を調べている。なんだか、おかしな話だ。


 数字は、合っていた。

 恐ろしいほど、合っていた。


 卵、週に百二十。

 蝋燭、月に三百。

 葡萄酒、月に樽二つ。


 屋敷の人数は、先代の頃の半分以下だというのに、仕入れの数字だけが、先代の頃のまま、まっすぐに続いている。

 倹約家の旦那様が、ご自分の卵を二つに減らしている家で。

 人が減れば、卵も減る。減らない数字は、誰かが、減らさずにいてくれと、頼んでいる数字だ。


 数字は、嘘をつくときに、揃いすぎる。

 これだけ揃っていれば、もう、確信してよい。


 そして、もう一つ。


 写しの筆跡が、途中で、一度、変わっていた。


 最初の三分の一は、撥ねの強い、若い字。

 行の終わりで、わずかに右に流れる、急ぎ癖のある字。

 残りは、ベルトルトさんの、あの几帳面な字。

 写し仕事を、誰かに手伝わせて、途中で、取り上げたのだ。


 ——なぜ、取り上げたのかしら。


 手伝いに任せてよい頁と、任せられない頁が、あったということ。

 境目は、当代二年目の、春のあたり。

 その春に、何があったのかは、まだ、わからない。

 わからないものの場所には、付箋を、挟んでおく。



「奥様ー、お茶のお代わり、お持ちしましたー」


 扉から、ミーナさんが、盆を持って入ってきた。

 今週から、わたくし付きになってもらった。本人は「お世話係に大出世です」と、廊下まで聞こえる声で喜んでいた。

 お茶の淹れ方は、まだ、危なっかしい。お喋りの注ぎ方は、誰よりも、なめらかだ。


「ミーナさん。一つ、伺っても」


「なんなりと!」


「事務室のお仕事を、お手伝いする方は、いらして?」


「ああ、ハンスですね。クラム様の甥っ子で、半年前から写字のお手伝いに。……あ、でも先月、お屋敷を辞めちゃったんですよ。急に、王都へ行くって」


「……そう。急に」


「あたし、見ちゃったんですけど。辞める前の晩、ハンスってば、事務室の前で、すっごく怒られてたんですよねえ。クラム様、声は荒らげない方なんですけど、ああいうときの方が、こわいっていうか……あ、これ、内緒ですよ?」


 ミーナさんは、悪気なく、とても大切なことを仰る。

 内緒の振り方まで、気前がいい。


 若い字の主は、叱られて、王都へ行った。

 叱られた理由を、わたくしは、まだ知らない。

 ただ、写しの中の、あの急ぎ癖の撥ねが、妙に、目に残った。


 わたくしは、家政帳に、一行、書き足した。


『七日目。写しの筆跡、二種。若い方は王都へ』


 筆跡は、人より、正直だ。

 人は口を閉じられるけれど、字は、書いた分だけ、残ってしまうから。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 蝶番の側から入る奥様でした。


 次話「義妹様の、お茶」——お屋敷には、十六歳の義妹様がいらっしゃいます。


 ブックマーク・評価をいただけますと、大変励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ