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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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第4話:写しで、結構です

 翌朝、わたくしはもう一度、管財人の事務室の扉を叩いた。扉は今朝も、間を置かずに開いた。


「これは奥様。昨日の今日で——旦那様のお許しが、もう出ましたかな」


 声にほんのひとさじ、勝ちの色が混ざっていた。お許しなど出るはずがない、と知っている方の余裕の色。結構なこと。余裕のある方は、足元を見ない。


「いいえ。お許しは、いただきに行っておりませんの」


「……ほう」


「考えましたら、わたくし、帳簿の原本をいただく理由が、ございませんでした」


 ベルトルトさんの眉が安心の形に緩みかけた。その途中で、わたくしは続けた。


「原本は、債権者様への義理がある大切なお品。ですから——写しで、結構です」


「……写し、と仰いますと」


「婚姻契約に、財産目録の写しが添えられておりましたでしょう。わたくし、あれに署名した身でございますから、目録にあるお品の現況を、確かめる義務がございますの。嫁いだ家の財産を知らないままでは、署名が嘘になってしまいますもの」


 わたくしは、にこやかに申し上げた。


「目録と突き合わせるだけの、家政帳の写し。当代の分だけで、結構です。お忙しいでしょうから、お急ぎにならなくて、よろしくてよ。十日のうちに、いただければ」


 ベルトルトさんは、三つ数える間、黙った。


 昨日の「定め」は原本を守る壁だった。昨日の「義理」も原本を守る壁だった。写しには、どちらの壁もかからない。


 そして、署名した目録の確認を妨げれば、それは管財人が当主夫妻の署名を軽んじたことになる。軽んじてよい署名なら、この家の契約は全部、紙屑になる。借財のある家が、いちばん言われてはならないことだ。


 断る理由を頭の中の綴りから一枚ずつ探して、見つからない。その三つ数える間が、この方の今朝の敗けだった。


「……かしこまりました。写しを、お作りいたしましょう」


「ありがとう存じます」


 お辞儀の角度は完璧なままだった。ただ、扉の閉まる音が昨日よりほんのわずか、早かった。


 お祖母様の家政帳、二十三頁目。

『扉が閉まっているときは、扉ごと押してはなりません。蝶番の側から、お入りなさい』


 蝶番の側から、入らせていただいた。



 写しは五日目に届いた。


 紐で綴じた、厚い束だった。几帳面な字で、最初から最後まで整然と書き写されていた。急いで作った写しは、行の高さが暴れる。この写しの行は、定規で引いたように揃っていた。


 五日でこの厚さを、この丁寧さで。几帳面さは本物だ。それは、認めて差し上げないといけない。


 わたくしは三晩かけて、財産目録と、仕入れの控えと、写しとを突き合わせた。


 夜の部屋に紙をめくる音だけがする。蝋燭が三晩で四本減った。燭台の数を誤魔化す家で蝋燭を四本使って、蝋燭の数字を調べている。なんだか、おかしな話だ。


 数字は、合っていた。恐ろしいほど、合っていた。


 卵、週に百二十。

 蝋燭、月に三百。

 葡萄酒、月に樽二つ。


 屋敷の人数は先代の頃の半分以下だというのに、仕入れの数字だけが先代の頃のまま、まっすぐに続いている。倹約家の旦那様が、ご自分の卵を二つに減らしている家で。


 人が減れば、卵も減る。減らない数字は、誰かが減らさずにいてくれと頼んでいる数字だ。


 数字は、嘘をつくときに、揃いすぎる。


 これだけ揃っていれば、もう確信してよい。そして、もう一つ。


 写しの筆跡が、途中で一度変わっていた。最初の三分の一は撥ねの強い若い字。行の終わりでわずかに右に流れる、急ぎ癖のある字。残りは、ベルトルトさんのあの几帳面な字。写し仕事を誰かに手伝わせて、途中で取り上げたのだ。


 ——なぜ、取り上げたのかしら。


 手伝いに任せてよい頁と、任せられない頁があったということ。境目は、当代二年目の春のあたり。その春に何があったのかは、まだわからない。わからないものの場所には、付箋を挟んでおく。



「奥様ー、お茶のお代わり、お持ちしましたー」


 扉から、ミーナさんが盆を持って入ってきた。今週から、わたくし付きになってもらった。本人は「お世話係に大出世です」と、廊下まで聞こえる声で喜んでいた。


 お茶の淹れ方は、まだ危なっかしい。お喋りの注ぎ方は、誰よりもなめらかだ。


「ミーナさん。一つ、伺っても」


「なんなりと!」


「事務室のお仕事をお手伝いする方は、いらして?」


「ああ、ハンスですね。クラム様の甥っ子で、半年前から写字のお手伝いに。……あ、でも先月、お屋敷を辞めちゃったんですよ。急に王都へ行くって」


「……そう。急に」


「あたし、見ちゃったんですけど。辞める前の晩、ハンスってば、事務室の前ですっごく怒られてたんですよねえ。クラム様、声は荒らげない方なんですけど、ああいうときの方が、こわいっていうか……あ、これ、内緒ですよ?」


 ミーナさんは悪気なく、とても大切なことを仰る。内緒の振り方まで気前がいい。


 若い字の主は叱られて、王都へ行った。叱られた理由を、わたくしはまだ知らない。ただ、写しの中のあの急ぎ癖の撥ねが、妙に目に残った。


 わたくしは家政帳に一行、書き足した。


『七日目。写しの筆跡、二種。若い方は王都へ』


 筆跡は人より正直だ。人は口を閉じられるけれど、字は書いた分だけ、残ってしまうから。

 写しをお願いするときは、綴じ方まで指図してはなりません。綴じるのはお作りになった方で、その方の癖は、いちばん綴じ目に出ますので。


 次話「義妹様の、お茶」。お屋敷には、十六歳の義妹様がいらっしゃいます。お茶の席にお出しするものが、いつもお茶とはかぎりません。


 蝶番の側から入る奥様に、にやりとなさった方。ブックマークと評価が、次の一頁になります。

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