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三年で離縁の契約ですが、まずこの家の帳簿を直させていただきます 〜お飾り妻の、静かな家政立て直し〜  作者: 銀月ソフィ


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第30話:当主の、お言葉

 ロルフ商会のご主人が、屋敷に乗り込んでいらしたのは、注文書を改めて、最初の納入日の翌日だった。


「お取り次ぎを! 取り決めと違う! うちは先代様の御代から——」


 玄関ホールまで、声が、響いていた。

 商人が、お屋敷の玄関で、声を荒らげる。

 それだけで、もう、半分、負けていらっしゃる。声の大きさは、手札の少なさだ。


 応対に出たベルトルトさんが、何かを、低く宥めている。

 宥めながら、ちらり、と階段の上を、見た。

 わたくしが、いることを、確かめる目だった。


 わたくしは、階段を、下りた。

 ゆっくり、一段ずつ。

 急いで下りる足は、相手に、こちらの動揺を教える。階段とは、そういう道具でもある。


「まあ、ロルフ商会のご主人。ようこそ。先日は、お手紙を、ありがとう存じました」


「っ、奥様……! 奥様ですな、注文書をいじられたのは! 樽二つが一つ、蝋燭三百が九十とは、ご冗談を。あれでは商いが——」


「あら。ご注文は、お屋敷の入用に、合わせただけですのよ。蔵の樽の在高表も、お見せいたしましょうか。それとも」


 わたくしは、にこやかに、続けた。


「『納品書のとおりに相違ない』はずのお品が、なぜ蔵で半分になるのか、先に、ご一緒に、お確かめになります?」


 ご主人の顔が、赤から、白に変わった。

 ご自分の手紙の文言を、ご自分の耳で聞かされた顔だった。

 白くなってから、あの方は、最後の札を、出した。


「……ク、クラム様! 何とか言ってくだされ! 『いつもの形』は、お宅様と、うちとの」


 それは、悪手というものだ。

 この玄関で、その名前を呼ぶのは。


 ベルトルトさんの顔から、すっと、表情が消えた。

 消えた、その上から——


「いつもの形、とは」


 低い声が、階段の上から、降りてきた。


 旦那様だった。

 執務室から、書類を、一枚だけ持って。

 ゆっくりと、階段を下りて、ご主人の前に、立たれた。

 急がない足の使い方を、この方も、ご存知だった。


「ヴェッセル家当主、レナート・フォン・ヴェッセルだ。商会の主人に、聞く。当家との取引に『いつもの形』なるものがあるそうだが——その形を、私は、知らん。当主の知らない取り決めを、誰と、結んだ」


「そ……それ、は」


 ご主人の目が、泳いだ。

 ベルトルトさんの方へ、泳ぎかけて——ベルトルトさんが、半歩、下がった。


 静かに。

 滑らかに。

 二十年のお付き合いの方の視線から、半歩だけ、外れる位置へ。


 ああ、と、わたくしは思った。

 切り捨てる手つきまで、美しい方だ。

 半歩。たった半歩で、二十年が、他人になる。


「で、では、その……取り決めなどとは、大げさな話では、なく……長年の、あの、商いの、慣れと申しますか……」


「慣れ、か」


 旦那様は、持っていた書類を、ご主人に、向けた。

 ロルフ商会の、あの手紙だった。


「ここに『クラム様と取り決めましたる、いつもの形』と、貴店の封蝋入りで、書いてある。取り決めか、慣れか。どちらかが、嘘だな。——どちらだ」


 玄関ホールが、静まり返った。


 怒って書かれたものは、宝でございます。

 お祖母様、宝の出番が、思ったより、早うございました。


 ご主人は、紙と、当主と、管財人の背中を、順に見た。

 紙は、動かない。当主は、待っている。背中は、他人の顔をしている。

 それから、観念して、肩を、落とした。


「……取り決めで、ございます。納品の量を、多めに、書く形で。差額は、その……手前どもの、預かりと、いうことに」


「誰の指図だ」


「————それ、は」


 ご主人の口が、開きかけた、そのとき。


「旦那様」


 ベルトルトさんが、静かに、進み出た。


「お客様を、玄関先で、お責めになりますのは。……続きは、書面に、なさいませ。商人の口は、立ち話では、軽くなったり重くなったり、いたしますもので」


 お見事、というほかなかった。

 忠義な家令の顔で、ご主人の口を、塞いだ。

 しかも、仰っていることは、正しい。立ち話の白状は、あとで、いくらでも覆る。正しいことを、いちばん都合のよい瞬間に言う——それが、あの方の剣の振り方だ。

 ご主人も、それで、我に返ってしまった。


「……は、はい。書面で。書面にて、改めて……」


 旦那様は、しばらく、ベルトルトさんを、見ていらした。


「……そうだな。クラムの言うとおりだ。書面が、いい」


 それから、わたくしの方を、ご覧になった。


「アデーレ。ロルフ商会から、これまでの納品と預かりの明細を、書面で出していただけ。期限は——」


「十日、で、いかがでしょう。お急ぎになりませんように。正確な方が、ようございますもの」


「だ、そうだ。十日だ」


 ご主人は、何度も頭を下げて、帰っていった。


 ベルトルトさんは、最後まで、完璧なお辞儀で、お見送りをなさった。

 お辞儀の向こうの目だけが、誰のことも、見ていなかった。


『七十七日目。ロルフ氏、白状半分。口止めの手際、完璧。書面の期限、十日』


 半分しか、取れなかった。

 けれど、半分で、十分だ。

 「取り決めはあった」が、当主と、奥方と、玄関の何人かの耳に、残った。


 残った言葉は、消えない。

 帳簿と、同じだ。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 玄関ホールで、半分だけ、白状がございました。


 次話「管財人の、過誤」——いよいよ、あの方と、机を挟みます。


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