第28話:居直りの、根
ロルフ商会の手紙を、もう一度、机に広げた。
今度は、文面ではなく、紙そのものを、見る。
文面は、昨日、三度読んだ。文面の用は、済んだ。
紙には、文面の書き手が選ばなかったもの——選べなかったものが、残っている。
よい紙だ。商会の格に、合っている。
封蝋は、商会の印。
ただ——封蝋の蝋の色が、目に、引っかかった。
朱に、わずかに茶の混じる色。
わたくしは、引き出しから、給金台帳の写しと、預かっていた受領印の控えを、出した。
ヨルク、ターレ、ブルーノ。三つの幽霊の印の、蝋の色。
並べる。
窓の光に、三つとも、かざしてみる。
同じ、だった。
蝋は、職人が釜で煮て、樽で固めて、店に並ぶ。
同じ店の、同じ釜の蝋は、同じ色になる。
違う街の、違う店の蝋が、同じ色になることは、まず、ない。
朱の顔料の出どころと、混ぜる手の癖が、釜ごとに違うからだ。
ロルフ商会の封蝋と、屋敷の事務室の封蝋が、同じ釜から、来ている。
どちらかが、どちらかに、蝋を分けている。
文を、頻繁に、やり取りする間柄ということだ。納品書と請求書だけの仲では、封蝋を、共には使わない。
蝋を分け合う仲——それは、紙の上の言葉でいえば、同じ机、ということだ。
午後、ヴィムさんの門の控えを、見せていただいた。
門番小屋の棚に、革背の控え帳が、年の順に、ぎっしりと並んでいた。
出入りの控えは、門番の誇りだ。ヴィムさんの控えは、五十年分、揃っているという。
頁を繰る老門番の手は、自分の帳面の、どこに何があるかを、全部、覚えていた。
「ロルフ商会の方が、納入の日以外に、お屋敷へいらしたことは?」
「商会の旦那さんなら……ございますよ。月に一度ほど、クラム様をお訪ねで。古いお付き合いだそうで」
「いつ頃から、かしら」
ヴィムさんは、控えを、何冊か、さかのぼってくださった。
埃が、午後の光の中で、ゆっくり舞った。
「……二十年前、で、ございますな。クラム様がお屋敷にいらした、その年から」
二十年前。
ベルトルトさんが、この家に来た年。
ロルフ商会が、月に一度の客になった年。
始まりの揃った二つの事柄は、別々の事柄では、ない。
「ヴィムさん。クラムさんは、この家にいらっしゃる前は、どちらに?」
「王都の、商家の手代上がりと、伺っておりますが……さて、どこの商家かまでは。先代様が、お珍しく、ご自分でお決めになった奉公人でしたよ。『書付の出来る者が要る』と仰って」
書付の出来る者。
先代は、ざるで、帳簿を見ない方だった。
帳簿を見ない主が、書付の出来る者を、自分で選んだ。
帳簿を見ない人は、書付の出来る人を、見分けられない。
……どなたかの、お勧めが、あったのではないかしら。
「その口入れを、なさった方は」
「そこまでは、手前には。——ですが、奥様」
ヴィムさんは、声を、低くなさった。
控え帳を、一冊、棚に戻してから。
「お調べになるなら、お一つだけ、年寄りの話を。クラム様がいらした年に、もうお一方、お屋敷を出られた方が、ございます」
「……どなた」
「先代の、管財人様で。フックスさんと仰る、堅い堅いお方でした。急にお辞めになって、王都へ。……お辞めになる前の晩、先代様と、書斎で、声を荒らげて、言い合いをなさっていた。手前は、それを、門で聞いておりました」
「言い合いの、中身は」
「遠うございましたから、切れ切れで。ただ……フックス様が、一度だけ、大きなお声で。『帳簿だけは』と。『帳簿だけは』と、確かに」
帳簿だけは。
その先は、夜の門までは、届かなかったそうだ。
二十年前。
堅い管財人が、当主と言い争って、辞めた。
入れ替わりに、書付の出来る手代が、入った。
そして、蔵は、痩せ始めた。
『七十一日目。封蝋、同じ釜。商会と事務室、二十年の月一。前任管財人フックス氏、「帳簿だけは」と言い残して王都へ』
書き付けながら、わたくしは、思った。
フックスさん。
お堅い前任者どの。
生きていらっしゃるなら——お会いしたい。
二十年前にこの家で何があったか、湖の底を見た最後の方かもしれない。
王都。
ドルン両替商も、王都。
ヒルシュ商会も、王都。
ハンスさんが、叱られて、出ていった先も、王都。
この家の謎は、糸の端が、みんな、王都を向いている。
北部の屋敷の帳簿の謎が、王都の方角にばかり、糸を伸ばす。
それ自体が、もう、一つの答えの形をしているのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
二十年前、管財人が、入れ替わっておりました。
次話「旦那様の、書斎」——夜更けの共同作業でございます。
ブックマーク・評価をいただけますと、大変励みになります。




